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フランス南西部の街(20)Toulouse(トゥールーズ)

トゥールーズは、言わずと知れたフランス南西部最大の都市です。
フランスに22ある地域圏の一つ、ミディ・ピレネー地域圏の首府であり、その中のひとつオート・ガロンヌ県の県庁所在地も兼ねています。もっとざっくり言うと、六角形をしたフランス国土の左下方面全部の中心都市といっていいんじゃないかと、勝手に思っています。

ガロンヌ川という大きな川沿いに開けたトゥールーズの街は、あざやかな赤い煉瓦の建物が並ぶ街並みが特徴的です。その姿から、「バラ色の街」なんて呼ばれていますね。
旧市街とも呼ばれるこの街を中心として、トゥールーズは大きな都市圏を形成しており、工業都市、学生都市として発展しています。周囲の人口を合わせると、だいたい100万人くらいになるそうです。
この大都市の起源は、やはりほかのフランスの大都市と同様非常に古く、はるか古代ローマ時代にさかのぼります。だいたいにおいて、フランスの都市は大きな川のそばにあり、古くから発展しているという点で共通しています。

この街を観光で訪れることも多いとは思いますが、それとは別に、フランスのミディ・ピレネー地方やラングドック・ルシヨン地方を旅する場合、まずここを起点にして旅が始まる場合が多いんじゃないでしょうか。たとえば、カルカッソンヌなんかはまずトゥールーズが近いですよね。
ぼくもこちら方面にくる場合は、たいがいトゥールーズかモンペリエのどっちかに飛行機でやってきます。
そういう意味でも、非常に外国人にはなじみ深い都市なんじゃないかと思います。
そういえば、前に日本が初めてサッカーのワールドカップに出場した際、最初に試合したのはここトゥールーズのスタジアムでした。

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さて、トゥールーズといえば歴史的建造物が集中する旧市街と、ガロンヌ川沿いの散歩道です。

「アンリ・マルタン散歩道」と呼ばれる、ガロンヌ川沿いの散歩道は、ここはすばらしいです。
トゥールーズに来たら、ぜひ訪れていただきたい。
散歩道自体にとりたてて名所旧跡として大きなものがあるわけではありません。ただ、この周囲のたたずまいが本当に美しいんです。
散歩道というよりは、公園のようによく整備された芝生が広がり、目の前には静かに流れる大きな川。遠くにバラ色の街並み、もしくは木々の緑。ここが大都市の一角であることを忘れてしまうくらい、こころやすまるいいところです。
散歩するもよし、走るもよし、絵を描くもよし、楽器を練習するもよし、ただ座っているのもよし、見知らぬ人と会話を楽しむもよし、思い思いの過ごし方で、ぜひちょっとゆっくりとこのトゥールーズの時間を楽しんでいただきたいですね。

大きな並木道。
こんな、遊具施設もあります。

上の写真に出てきた橋はポン・ヌフです。
フランスにお詳しい方ならおわかりであろう、パリのセーヌ川にかかっているポン・ヌフと同じ名前で、意味ももちろん同じ「新しい橋」です。パリのもトゥールーズのも、名前の割には今や歴史遺産ぽい扱いになっている点も共通しています。調べてみたら、トゥールーズのもパリのも、その街では現存最古の橋なのだそうです。
全然関係ないですけど、そうえいば、JR新橋駅に「ポンヌッフ」っていう名前のそば屋がありましたね・・・。

そのほかにも、ポン・サンピエールなど、旧市街からガロンヌ川には大きくて美しい橋が何本も架かっています。
アンリ・マルタン散歩道は、これらの橋を中心として、その周囲にやさしく美しく広がっています。
夏場などは多くのイベントが開かれ、花火やったり音楽祭をやったりしているようです。

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そして、旧市街です。旧市街は、だいたい一日あれば徒歩で一回りできるくらいの規模です。
いくつか有名な建物などがありますが、もっとも有名なのはやはりサン・セルナンバジリカ大聖堂でしょうか。11-13世紀くらいに建てられたこの大聖堂は建物として非常に美しいです。
八角形のきれいな鐘楼が伸びているのがとても印象的です。

こんなかんじです↓

スタンダールの「南仏旅日記」という本がありまして、これは1838年のスタンダールの旅行を記録したものなのですが、この中にトゥールーズが登場します。スタンダール自身はトゥールーズの街がどうにも下品で汚らしくて田舎趣味で気にくわなかったようなのですけれど(それはまあ、今見てもわからんでもないのですが)、それでもこのサン・セルナンバジリカ大聖堂だけは手放しで絶賛しています。
この本を通してみても、ほかの地方のほかの建築物も含めて、ここまで絶賛されているものはみあたらないくらいでしたので、やっぱり今見ても昔の人が見てもいいものはいいのだなぁと改めて思います。

旧市街の中心にあるのがキャピトル広場です。この広場のまわりに市役所、メトロの駅(そう、トゥールーズの街はメトロが走っているのです)などがあります。もちろんマルシェもここで開かれます。
キャピトル広場からサン・セルナンバジリカ大聖堂までの道などはおみやげ屋さんも多く、楽しい街並みです。
ちなみに、さっきのサン・セルナンバジリカ大聖堂のストリートビューの画面で後ろを振り返ったところにある正面の道がその道です。
ストリートビューでもそのまままっすぐ行くとキャピトル広場に着きます。さっきやってみたら、大聖堂から11クリックで広場に着きました。
こんな風に↓

そのほか、ジャコバン修道院など、歴史的建造物が旧市街に点在しています。

さて、スタンダールに酷評された旧市街の街並みですが、いくぶんか暗いところはあるものの、異国からやってきた我々から見れば、情緒のあるすてきな街並みと言っていいと思います。トレードマークの赤煉瓦もきれいです。
やや入り組んで路地が作られているので、慣れないとちょっと迷ってしまいますが、一度覚えると、狭くてくねくねした街並みを最短距離で通っていったりするのがちょっと楽しくなってきます。というより、この裏路地がまた雰囲気があっていいんです。ぷらぷらしてると、あっという間に時間が過ぎます。
人々も、大学があるということもあり、若いですし明るいですよね。
ほかの南西部の街が、なんというか、老人比率が高い感じがするのに対し、ここはやっぱり若いです。

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このトゥールーズは、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路が通る街の一つでもあります。
これは、スペインにあるキリスト教の聖地を目指す巡礼路ですよね。この巡礼路にゆかりのある建物が世界遺産に認定されています。
お遍路さんじゃないですけど、今も杖をついて徒歩で巡礼に行かれる方は大勢いらっしゃるようです。
ぼくは会ったことないのですが、最近買ったトゥールーズを紹介するDVDに巡礼をしている方が映っていたので、今もいらっしゃるのだと信じています。

また、工業都市、特に航空機の工場があることで知られていますね。エアバス社の工場で、ここの工場見学も観光コースに組み込まれていたりします(と、さっきのDVDにありました)。

バラ色の街、また別名「バイオレットの街」でもあります。バイオレット、すなわちすみれです。
このトゥールーズの特産品がスミレなんです。香水や石けんに使われていて、おみやげ屋さんに行けば必ず売っています。
今でもあの香りがするとすぐにトゥールーズを思い出します。とてもすてきな香りなんです。

そうそう、ここは今までの街の紹介でもさんざん出てきた、ミディ運河の終着点でもあります。
大西洋と地中海を結ぶ目的で作られたミディ運河は、地中海からここトゥールーズにやってきて、ここで大西洋に注ぐガロンヌ川と合流します。
ちなみに、地中海側のナルボンヌ方面からトゥールーズに来る高速道路(A61ですね)は、基本的にミディ運河と並行して走っています。いつも、窓の外にミディ運河の目印であるプラタナス並木が見えていました。

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ぼくはこのトゥールーズに、約二週間くらい滞在していたことがあります。
フランスに来てアンドレの家がある場所以外に宿泊したことはほとんどないので、これは珍しいです。
そんなぼくがなぜここに滞在したかというと、母親が亡くなるときに入院していた病院があったからなんですね。
母親はガンで、ガロンヌ川にかかるポン・サンピエール橋を渡った先にある、ガンの専門病院で治療を受けていたのです。
なくなる一週間ちょっと前から、看病のためにぼくはトゥールーズに滞在していました。
宿泊先は、病院に併設の宿舎でした(ちなみに、担当の先生も一緒の宿舎で、朝食時によく顔を合わせたりしました)。
食事はついていないので、自分たちで買ったり作ったりしました。でも、やはり看病が優先なので、あんまり悠長に食べに行ったりするわけにも行かなかったですね・・。フランスにいて、あれほどピザハット食べたのもあの一週間くらいです。

ぼくが到着してから、母親は、日に日に衰弱していきました。
朝、母親に面会に行く前、ぼくは毎日、ガロンヌ川沿いの散歩道をひとりで走りました。
無音の朝靄の中、一歩一歩、川沿いの芝生を踏みしめていくたびに、母親の何かが削り取られていっているような、そんな心境でした。
そして走り終えて病室に行くと、必ず前の日よりもはるかに悪く、これまでに想像したどの姿からもかけ離れた表情になっていく母親がいました。

看病の合間に、気晴らしに交代でトゥールーズの街を散歩したりしました。
街を、もう何周したでしょう・・。サン・セルナンバジリカ大聖堂も、キャピトル広場も、何度行ったでしょうか。あてどもなく、何度も何度も歩きました。そして、お昼にパニーノを食べ(ここトゥールーズで初めて食べました)、帰ってきました。街並みは光に照らされて明るく、人々も陽気な街の中で、自分一人切り取られて違う世界をさまよっているような、そんな日々でした。何をどうして過ごしていたのか、細かい記憶は全くありません。ただ、まぶしすぎる日差しの印象だけが茫洋としたイメージで残っています。

なくなる前、なくなった時、なくなった後、常にバイオレットの香りがありました。
とてもすてきな香り、でも、胸が締め付けられるような香りです。

個人的な印象で全く恐縮ですが、自分がトゥールーズの街に抱いている印象は、おそらく、誰とも共通しない、また世界のここにしかない、あのときの感覚そのままのものになってしまっています。

なくなったその時、ぼくと母親は二人きりでした。
はっきりと覚えています。夕暮れで、ブラインド越しにオレンジ色の光が、ほぼ水平に差し込み、深いシルエットを作っていました。
薄闇の中、はっきり過ぎるほどオレンジと影のコントラストが広がり、その中で訪れたひとつのおわり。
もう戻らない。今まで、60年間、全部の、母親の脳にある全てのものが、もう、ただの土になってしまう。
ただ、抱きかかえるのみでした。
泣くこともできなかったことを覚えています。
自分の顔と、母親の顔に深く差し込む夕闇の光と、静寂。
トゥールーズ。自分にとって、特別な地であることは間違いありません。

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※この文章は2009年に書かれたものをリライトしたもので、現在では状況が違っている場合があります。ご了承ください。でも多分たいして変わっていないと思います。

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