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「見えない世界」を想像すること

中学時代、とてもいい先生に出逢いました。

その先生は、1年間 現代文の授業をしてくださいました。
たった1年ですが、私はその先生のことを今でも覚えているし、時折思い出します。

ある日の授業中、先生は とある写真家の写真集を買った話をしてくれました。

その写真家が誰だったか、写真集のタイトルは何なのか、先生がなんと言って紹介してくれたのか。
それについては、まったく覚えていません。

ただ、先生がこんなようなことを言っていたのを覚えています。

今こうしている瞬間にも、地球のどこかでは辺り一面真っ白な雪山で吠えているオオカミがいる。それを想像するだけで、人生は豊かになる。

その話を聞いて、私の中に「辺り一面真っ白な雪山で遠吠えをするオオカミ」の様子が浮かんだことだけは、今でも鮮明に覚えています。

数年後、先生に連絡する機会があり、当時の先生の話がとても印象に残っている、という話をしました。

先生は、「〇〇さんという写真家の写真集にあった、『〜〜』という言葉を紹介したときのことですね。少し言葉は違うけど、あなたの解釈もとても素敵ですね」と返事をしてくださいました。

〇〇、〜〜と書いたのは、それが何だったのか まったく思い出せないからです。
(当時の携帯にデータがあればいいのですが、水没してしまった&キャリアメールでのやりとりだったので、復旧できません。。)

ただ、話を聞いてから10年以上経った今でも、私の心には当時のオオカミが居ます。

当時、先生が紹介してくださった言葉を 私はこう解釈しました。

どんな瞬間にも、地球の裏側では 今の自分に起こっている事象とはまったく違う事象が起こっている。
そのことを想像できれば、自分に見えていない世界の広さを実感できて、人生が豊かになる。


今 私は、日本という国の東京という都市の中の とある地域の一角にある部屋の中で ベッドに横たわってnoteを書いています。

あなたは、膨大な情報があるインターネットの世界から、この記事を発掘してくれて、どこかで何かの媒体を使って、これを読んでくれています。

その瞬間にも、地球のどこかでは

辺り一面真っ白な雪山でオオカミが吠えているかもしれません。

豪華客船よりも大きなクジラが、海の中をスイスイと泳いでいるかもしれません。

オギャーと産声をあげながら、地球に誕生した子どももいるかもしれません。

誰にも知られることなく、そっと命を終えた人もいるかもしれません。

仲間に食糧を取られて怒っている猫がいるかもしれません。

流氷の上でアザラシに狙われて困っているペンギンがいるかもしれません。

愛する人と将来を誓い合い、幸せいっぱいの人もいるかもしれません。

こんな人生はいっそ終えてしまった方がマシなのではないか、と追い詰められている人もいるかもしれません。


辛いときや悲しいとき、何かに対してどうしようもない怒りが湧いたとき、私はいつも雪山のオオカミを思い出します。

しんしんと降り積もる雪。
頬をつんざくような寒さ。
鳴り響く力強い遠吠え。
オオカミの毛並み。
白い吐息。

まるで自分がその雪山にいるかのように、目の前でオオカミを見ているかのように、その情景を心で再現します。

そうすると、自分の悩みや怒りが 一瞬忘れられます。

そして、しばらくすると、なんだか悲しみや怒りが少し軽くなった気がするのです。

理由はわかりませんが、なんだかそんな気がするのです。

もしかしたら、自分に見えている世界を1とすると、怒りや悲しみといった感情は そのときその世界を占拠しているので、怒りや悲しみが私の100%を占めています。

自分に見えている世界に加えて オオカミの世界を想像することで、見えている世界が2、悲しみや怒りが存在する世界が1になるので、怒りや悲しみが50%になるのかもしれません。

じゃあ10個の世界を想像すれば、怒りや悲しみが1/10になるのかと言われると、わかりません。

だけど、10もの世界を真剣に想像している間、少なくとも 元々持っていた怒りや悲しみが増幅することはない気がするのです。


これを読んでくれているあなたにも、もしかしたら いつか悲しみや怒りが襲ってくるかもしれません。

そんなときには、よかったら このnoteを思い出して、雪山にオオカミがいる「見えない世界」を想像してみてください。



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