みなもと太郎と『風雲児たち』―読書月記20

みなもと太郎が亡くなった。
『風雲児たち』と出会ったのは、1987年。かねてからファンだった星野之宣の『ヤマタイカ』が連載されていた「月刊コミックトム」でのことだった。最初からその面白さに気づいたわけではなかったが、11月15日にコミックスの第1~3巻(潮出版社版)を、16日、17日もそれぞれ3冊ずつ、そして18日は第10~13巻を購入している。当時、勤め先が水道橋にあったので、神保町の「コミック高岡」で購入した。というより、他の店で見つけるのが難しかった(手塚治虫の遺作の一つ『ルードヴィヒ・B』が連載されていたのも、「月刊コミックトム」。そして手塚にも晩年、自身の曽祖父・良仙を描いた『陽だまりの樹』があるが、これは江戸末期から明治初期を描いた歴史マンガだ)。

『風雲児たち』に惹きつけられた理由はいろいろだ。歴史マンガといってもそれまでにないものだった。武将や剣豪が主人公のマンガであれば、どうだっただろうか。そういった意味で、出会ったころの話のメインが、前野良沢や平賀源内、最上徳内らだったのは運が良かったと言える。大谷吉継や保科正之も十分に魅力的だが、それでもこの二人の頃だったら多少違っていたのかもしれない。それと『レ・ミゼラブル』を読んでいたので、みなもと太郎のギャグに抵抗がなかったのも大きい。

また、当時、私は出版界の端っこの方にいただけに、須原屋市兵衛の存在は大きかった。江戸時代の出版人として最も有名なのは蔦屋重三郎。「蔦重」(つたじゅう)とも呼ばれ、山東京伝や東洲斎写楽を世に送り出したため、出版に興味がない人でも耳にすることがあるだろう。それに比し、蔦屋重三郎と同時代の須原屋市兵衛を知る人は少ない。エンタメ系の出版社の方が学術系の出版社よりもポピュラーなのは江戸時代も今も同じということだろう。そして、須原屋市兵衛に興味を持って調べていて出会ったのが、今田洋三の『江戸の本屋さん』。『風雲児たち』のなかでは『解体新書』『三国通覧図説』などを刊行した書肆として登場するが、『江戸の本屋さん』を読めば、ほかにも多くの蘭学書関連書を出し、晩年の貝原益軒が、朱子学への疑問などを記した『大疑録』も刊行している。
現代の出版人についてであれば、どういった信条や思想があって、その本を編集したということが分かるケースは多い。その思想や信条を公言する人もいれば、それがなくても分かる人がいる。もちろん、売れることが大事、売れさえすればいい、と言う出版人もいるだろうが、どこかに社会的使命みたいなものを持っている人も少なくない。大きな出版社の場合は難しいかもしれないが、中小の出版社は“志”に基づいて出版する本を選択しているところは少なくない。
須原屋市兵衛がそうだったのかどうかは分からない。しかし、須原屋市兵衛が出していった本を見れば、単に売れればいいと考えていたわけではないと思わざるを得ない。商人なのでそれなりに算盤をはじいていたことは間違いないが、冒険的な出版の数々を見ると、そこにある種の“ロマン”を感じざるを得ない。
以後、江戸時代、蘭学者、江戸時代の出版に関する本をよく読むようになった。

私は1979年に刊行された高田宏の『本のある生活』を刊行後間もない時期に読んでいるのだが、同書では紀田順一郎の『日本の書物』を取り上げ、その引用の選択が素晴らしいと書かれている。紀田順一郎は同書のなかで『北槎聞略』を取り上げ、大国屋光太夫と庄蔵のあの別れを引用しており、高田宏もそれを書いていた。だから、その時点で、第15巻で描かれるシーンを私は読んでいたのだ。しかし、1979年の私には何も訴えてこなかったし、記憶にも残らず、『風雲児たち』を読み、それから何年か経って『本のある生活』を読み直して、二人の慧眼に気づくことになった。

『風雲児たち』の連載は紆余曲折があって、掲載誌の「コミックトム」が「月刊コミックトムプラス」に衣替えした段階で一度終了。坂本龍馬を主人公とした『雲竜奔馬』が連載されるが、それも全5巻で終了。さらに、「月刊コミックトムプラス」が休刊となる。しかし、リイド社の時代劇漫画雑誌「コミック乱」で、2001年から続編として『風雲児たち 幕末編』が連載される。以後、2004年の手塚治虫文化賞、文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、日本漫画協会文部科学大臣賞などを受賞し、本作を原作とする前野良沢と杉田玄白を中心とした蘭学黎明期の部分はNHKでドラマ化、大黒屋光太夫の漂流に関しては歌舞伎化もされている。
2004年の手塚治虫文化賞受賞は、当然と思ったものの、コミックスの入手が難しかった頃から考えるとどこで何がどう変わったのか、とも感じた。『幕末編』新刊のコミックスが出るたびに、帯にでる名前に驚かされる。潮出版社版のコミックスには、帯もなかった。

さて、『幕末編』第20巻の帯に名前がある関川夏央は、『知識的大衆諸君、これもマンガだ』(1991年刊)のなかでも『風雲児たち』を肯定的に取り上げている。同書は同名タイトルで、1988年から1990年に「諸君!」に連載されたものをまとめたもの。私が持っているのは文庫本だが、掲載順が連載順であれば、『風雲児たち』を取り上げたのは1989年後半ぐらいだろう。今のマンガの隆盛だけを知る人にとっては分からないかもしれないが、この本を読むと、まだマンガに対する風当たりが強かったことが分かる(ちなみに、この連載のさなかに手塚治虫は亡くなり、その追悼文も掲載されている)。そこで、関川夏央はマイナー作家だったみなもと太郎の変貌の謎に首を傾げている。たしかに、その変貌はかなりのものだ。歴史に「もし」は禁句だが、それでも『風雲児たち』がなければ、みなもと太郎の死去の報道は全く違っていたことは間違いないと言える。あくまで私見だが、21世紀に入って書かれた時代小説のなかには、『風雲児たち』が切り拓いた土壌で育った読者がいなければヒットしなかった作品がいくつかあるはずだ。剣豪小説でもなければ、人情小説でもない、武芸・刀ではなく「知識」で仕える侍を主人公にした小説を受け入れる人が増えたことと無関係だと思えない。
それぐらい、この作品が与えた影響は広くて深い。(敬称略)


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