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情緒を育てる存在
昼休み、仕事に余裕がある時はカメラを持って散歩に出かける。心の向くままに撮ろうと抽象的に意気込んでもなかなかシャッターは押せないので、とりあえず目がある程度引き込まれたら撮るようにしている。
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僕にとって、カメラはどんな存在何だろうって撮りながら考えた時に、今日の時点での答えは、「情緒を育てる」存在なのかなと思った。
カメラを持つようになってから、常に自分の心のセンサーが「敏感」に設定されている感じを、意識するようになった。今まで震度4しか反応しなかったセンサーを震度1でも観測できるようにアップグレードしたイメージだ。この状態が続けば、きっと震度0.1でも観測できるようになる気がした。その敏感にした状態が続くことこそ「情緒が育っている状態」なのかなと一旦結論付けた。
自ずと視線はキョロキョロとするようになる。卓上を照らすライトのように常にスマホを眺める自分とはおさらばした。
ビル群に囲まれ続けて、最近は満員じゃないけど、混んでいる電車に揺られて、なんだか狭いなぁって感じることが多かったのだけど、カメラを持って、情緒に身を委ねていると、今日初めて自分の周りにはこんなに世界が広がっていたんだと、本気で感じられる瞬間があった。その瞬間は正にセンサーが反応した瞬間と言えよう。この感覚は仕事に追われることもなく、何ら心に負荷のない時に感じられる感覚なのだと思う。
話は飛ぶが仕事帰り、奥さんからパンが食べたいとの連絡があり、東京駅を少し周った。正直、頼まれた時は面倒に感じたが、まぁいっか、行くかと思った。これはいいものが撮れるかもと思った気持ちが、足を前進させた。浅野屋というお店で5個買って帰った。
「おかえりー。ありがとう。」
奥さんのほがらかな表情。この瞬間はセンサーを敏感にさせなくても感じられるほどの震度であった。
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