2021年の重要な国内の切り絵実践

 コロナ禍が日常となった2021年でしたが,特筆すべきだと思った切り絵(あるいはPaper-Cutting)の実践について作品評を書こうと思います。

※切り絵という語は,少し意識的な偏りを孕むので,単に紙を切ることによる造形としての意味の言葉を使いたいときはPaper-Cuttingと表記しています。(厳密に言えば,偏り=「絵に収斂してしまう危険性」が想定されます。最もよく使われるのが「切り絵」であって,作家ごとに異なる意識があるはずです。)

 paper-cuttingの技法の作品としては,少なくとも2021年に国内で発表された作品のなかでは,最もクオリティの高い作品だと思っています。本来なら,展示を見たあとすぐか,六甲ミーツの展示の際に取り上げるべきだったと自省しています。(というか,もっと多くの人に言及されるべき作品だと思う。)

皆さんが思う2021年を振り返って特筆されるべき切り絵の実践がほかにもあれば,ぜひ教えてください。

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河原雪花≪青い城≫(2021) 

展示:京都市立芸術大学修了制作展/あまらぶアートlab/六甲ミーツアート

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 《青い城》は,切り絵で制作されたアニメーション作品だ。細密に書き込まれた水彩画と,その水彩画で作った切り絵を用いたコマ撮りである。この作品を取り上げた理由は,①コンセプト性と訴求性,②技法と作品の固有性/強い結び付きに惹かれたからだ。もちろん,圧倒的な技術量と表現力が前提となっている。

 ポーランドの伝承話がもとになっている本作は,川底を舞台に,2人の少女たちが人魚にいざなわれるような物語が展開していく。一方は日本人の少女で,他方は(おそらく)ポーランド人の少女。異なる出自の二人が川底で不思議と巡り合うが,何か共通する感覚が互いに通底ものが響いていた印象がある。細かくは思い出せないけれど,たしか最後のシーンで目が覚めて現実世界としての現代日本の少女の部屋が描かれていたように思う。

 一貫して抒情的な世界観が映し出される中で,捉えられた人魚に無数の視線が集まるシーンが最もインパクトがあったように記憶している。女性性がテーマの一つになっていることが推察できるのだけれど,角がなくソフトな形で作品に内包されていた。訴求したいものは,押し込まれておらず,むしろ融け合っていると言うべきかもしれない。強固なメッセージを柔和に示す手立てとして,水彩と切り絵の組み合わせが採用されたことの是非については,もう少し個人的には考えてみたいテーマである。

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(アニメーション投影のほか,元になっている水彩画や切り絵(手前のフレーム)や,舞台のセットのような組み合わされたパネル(奥)によって構成されたインスタレーション展示でした。あまらぶアートlabにて。)


 国内の実践として紹介してしまっているが,その片足はポーランドについていると言えるだろう。実際に河原さんはポーランドに留学もされたそうだ。あるいは,京芸にはポーランド美術がご専門の加須屋明子が在籍されているので,積極的にポーランドの芸術にアクセスされていたことが想像できる。

 切り絵,もう少し抽象化して,Paper-Cuttingは何も日本だけの文化ではない。民間芸術的なポジションで世界各地で実践されてきた。ポーランドやウクライナなどの東欧では,ヴィチナンキと呼ばれるPaper-Cuttingが伝統的なものとして存在している。つまり,離れた地の少女が邂逅したように,技法のレベルでも異国の文化が出逢っているのだ。だから,この作品がこの手法で作られたことには深い深い意義がある。


 ポーランドは雪の降る国だ。水中だから,凍っているわけではないのだけれど,幾何学的な氷雪の結晶のような図像が繰り返されていた。川を地上から見るような描写はなかったと思うんだけど,降雪の印象が深く残っている。そしてこの作品,河原さんのお名前が作品世界と重なりすぎていて,何がどこまで考えられていたのかはいつまで経っても捉えがたいが,アニメーションのテイストを超えて,多くの要素の重奏が聴こえてきた。ここまで触れずに書き進めてしまったが,《青い城》はモンゴメリの小説から来ていると思われるので,もっともっと懐は深いだろう。

 ところで,僕は彼女と話したことどころか面識すらない。会ったことはないが,一方的にすでに会えている気がする。


 結果論的な言い方になってしまうが,河原さんは2021年の六甲ミーツアートに招聘された。そして,切り絵アニメーションの新作を発表されていた。おそらく切り絵の文脈ではなく,アニメーションや映画の文脈での評価に違いないが,今後も積極的に作品を追っていきたいと思う。


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