8月25日、チェコとウイスキー藤村。

駅で朝を迎えた。

なかなか悪くない寝床だったと言える。

やっぱり、横になって寝れるだけでもありがたい。

本当にそう思うよ。

 

たとえそれが、駅構内の床だったとしてもな!!!

さて、起きてからは、待合室の部屋でぬくぬくしていた。

そりゃそうだ、昨日の晩はあまりに寒くて寝れていない。

幸い、待合室でぬくぬくしたおかげもあり、寝やすかった。

 

 

コーヒーと3種類のパンを食べ、戦略を練る。

とりあえず、チェコに行き、ウイスキー藤村と合流する事にした。

よって、チェコのプラハ行きのバスを予約した。

あとで荷物代だ。9€よこしやがれ。とか抜かしてたので、もうドイツに対する信頼は薄れてきた。。。。。

(許すまじ!!😡)

 

 

 

広場があって、そこでしばらく佇んでいた。

トイレを探して入りたかったのもある。

 

 

とりあえず2時半のバスに間に合うようにヒマ潰すか〜。という感じだ。

あたりを巡って、テキトーに路上LIVEしてみることにした。

通貨はいくら稼いでも困らない。

 

しばらくすると、お姉さんがやってきて、

『おいクソてめぇーそこをどきやがれ。20分で終わらしたるわクソボケ!』

という内容をめちゃめちゃ優しく優しく優しく…

した言葉で話しかけてきた。

 

当然、郷に入らば郷に従えマンなので、譲る。

ってか、ふつうに見たかったのもある。

 

 
眺めてみた。

開始わずか20分そこらで、およそ12〜6€ほど入っていた。(もっとあったかもしれない。)

管楽器は街の雰囲気によく合っている。

ヨーロッパはそもそもパフォーマーへの投げ銭文化が濃いので、入るように意図すれば、入るよ。

という印象だったのだ。

 

個人的にそれは、雰囲気であり、フロウ(音の流れ)が綺麗に聴こえる事。

だと思った。

つまり、この場合、言語を含まないほうが

余計なものが伝わらないので逆に良い。

ということだ。

だから、クラシックに基本歌詞はない。

管楽器が既に言語並みの色を持っているからだ。

ここに言語を足すと、チョコとプリン一緒に食ってるみたいで

聴いてる側は『カンベンしちくれぇ〜〜😿😿(oh my god)』
となるだろう。

 

 

 

まぁなんだかんだ言ったって、オレはギタリストとしてヨーロッパに修行しに来たわけではないのだ。

管楽器やクラシックが強いのはもう十分わかった。

だからなんなのだ???

オレはあくまでも歌手だし、歌うことでその身を立てていくと決めたのだ。

安易にギターに逃げるような事はよろしくない。

彼女の演奏を見つつも、歌うことは避けたらイカンと感じた。

 

 

場所を変えてバスの時間までやると、小さな子供から、おじいちゃんおばあちゃんまでもが投げてくれる。

計6€ほど。

約700円ほどだから、投げてくれる側の気持ちは

『あー、ハゲが弾いとんのや〜、寒いのに頑張ってんな〜、ハゲがんばれー』とかそんな気持ちなのかも知れないし

哀れんでるのかもしれん。

いずれにしても、入ってるのだから問題はありゃせん。

 

 

いずれにしたって、入れてもらえる時のあの感動は言葉にはできない。

嬉しいし、素直にその人とつながれるからね。

路上LIVEは交わりが存在してて好きだね。

 

 

 

さて、それで、チェコのプラハまでバスでバビューンだ。

チェコは€(ユーロ)じゃなくなるから、現地の通貨を稼がな、飯が食えんと思い

しばらくやって、60KC入った。

一応300円ぐらいの扱いらしい。

とは言っても、チェコは物価が安いので、これだけでも生存していけるらしい。

面白い、、、。

なら、もっとKCを稼いでみたいぞ。

(海馬コーポレーションみたいでカッコイイね😇)

ウイスキー藤村との出会いの話は、また改めて更新する。またねー!👻

 

 

 

 

追記(2018/08/27)

ウイスキー藤村にチェコで会って話をたくさん聴いた。

彼は、本当におしゃべりで、コンピューターのように情報や回路が多い。

大変誤解のないように言わせてもらうと

やかましい!

といった印象だ。

 

 

(ごめんなさい…悪気はないんですwww)

彼はウイスキーの専門家。

ウイスキーと言ったら、、、のポジションに居る人。

ウイスキーについて知識が豊富であり、ウイスキー愛にあふれる人だ。

 

彼との出会いは、会社員時代にウイスキーを奢る代わりに教えてもらうという企画が初対面。

 

その時から、情報豊かで、なぜかイヤミったらしくない態度がすごく好きになった。

僕は音楽が好きなので、ウイスキーにおける音楽みたいな高い熱を感じた。

ハッキリ言って、異常なぐらいの情熱をね。

 

そんな彼と、2日ほど共に過ごして話をする。

 

オレのバックボーンとは当然違う生き方。

他人の死を身近で体感し、その経験が現在まで影響を与えている。という話を聞かされた。

うまい飯と、うまいビールを頂きながらね。

 

話は少し変わるが、
僕は、地元にいる間。

ある種の絶望を感じていた。

思想的な限界。

つまり、一方しか知らないことに対する恐怖。が無いことにオレ自身が耐えられなかった。

 

大した話じゃない。

死生観や、人を見た時に体へと語りかける残留意志みたいな。

オカルトじゃないが、感覚として脳や肌へと伝達される気持ちよさや、不安な感じがずーっと、昔からあった。

故に人が怖かったし、興味深かった。

 

そして、その概念は人には永遠に伝わることはないと思っていた。

 

どんなに人に話しても
『お前頭大丈夫か?』『そんなことよりテスト勉強しろ』と返されるのが常だった。

あぁ、この人たちには、多分伝わらない。

理解されない。

という懸念と無念さがあった。

 

 

だから、山形を出た。

きっと、この集団通念のような価値観に飲まれ、みんなが同じ事を同じように幸せだと言い、何も疑わずに生きる事に

本当に絶望を感じていたんだ。

 

ウイスキー藤村と話をしていた時、ふとその時の記憶みたいなのが蘇った。

 

『大地は感受性豊かだね』

その言葉すらも、高貴なものだと思ってあまり当てはまらない。

 

感受性豊か。なんて感覚ではいなかった。

ただ、人が見たり、聴いたり、歌やサッカーしてるってそういうことへの熱を目や耳や肌で感じやすい。

って、、、それが感受性豊かってんならそうなんだろう。

 

本を読んでて、物語も脳裏に刻まれやすいしな。

 

そんな不安や浅い思いは、彼との会話で全て打ち砕かれる。

素直に思考レベルが高い。

と思った。

そして、穏やかで、まっすぐな狂気を本のように脇に携えている。

不思議だなぁ。と思った。

ウイスキー藤村。

人はふざけた名前やなー。と思うかも知れないが、

オレは完全に脱帽だった。

ただただ、彼の思想、思考の先に導き出されたAnswerを眺めるのが高貴なものに思えた。

十分、存在価値足り得ると思っていた。

その時、有難いなぁ。と感じた。

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