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自分への「基準」

今年も残り29日。
毎日投稿3日目でございます。

本日も笑顔で充実した一日にしていきましょう!


「基準を上げよう」
これは僕が指導者として選手に使う口癖だ。

基準とは
”物事を比較・判断するよりどころとなる一定の標準”

oxford Languages

数値や物事を比較する際に、”基準”があるから、その値が高いのか、低いのかを判断することができる。

小学生3年生の身長の平均は130~135㎝である。この基準に対して150㎝であれば高いと判断でき、120㎝であれば、低いと判断できるということ。

また、集団の中で平均に近い標準状態を正常といい、
集団の中で平均から極度に離れた状態を異常という。

先ほどの例で考えると、小学校3年生で170㎝や100㎝だとそれは異常値である。逆に、125~140㎝くらいであれば正常値ということができる。

他にも、「気温」で考えてみたい。

では、夏に最低気温マイナス4度は正常?異常?

これは、どこを基準に置いているかで変わる。

シベリアでは、夏の最低気温はマイナス4度程度まで下がる。
しかし、日本では、北海道であっても夏の最低気温は20度程度である。

シベリアの基準では、夏に最低気温20度の日があれば異常気温であり、日本の基準では、夏に最低気温がマイナス4度であれば、異常気温になる。

つまり、気温はその場所やその季節などによって、それぞれの基準が設定されている。
ニュースキャスターや天気予報士が「今日は暑いです」という。
これは、主観的な判断しているのではなく、基準値から判断しているのだ。

基準とはこのように、どこでも共通ではなく、それぞれ異なるものである。

では、僕たちは自分に対してどのような基準を設けているだろうか。
低い基準だろうか。高い基準だろうか。
「これくらいでいいや」は、自分に対して低い設定をしている。
「もっとできる」は、自分に対して高い設定をしている。

高尾山を登ることが基準であれば、高尾山を登れば満足する。
しかし、富士山を登ることが基準であれば、高尾山に登っても満足しないだろう。


基準を高くして目標を達成できないことで、自己肯定感が下がってしまうという考え方もある。
しかし、自分で基準を下げてしまうということは自分の可能性に蓋をしているということ。
特に、困難に直面した時には、「これくらいでいいや」という基準を下げようとする言葉が浮かんでくる。
しかし、「もっとやれる」という基準を上げる言葉で、自分ならできるという暗示をかけることによって、自分に無理を利かせることができる。

基準を高く設定することは場面によっては大事なことだと思う。
基準というのは、その人、その組織、その環境によって変わるものだから。

「今日は頑張った」
どの基準で頑張ったと言うのか。
大学の授業に遅刻しなかったことを頑張ったということもできる。
朝早く起き、自己研磨に時間を使い、やるべきことをやり切った一日を頑張った日ということもできる。
この違いこそが自分への基準。
自分に負荷をかけ、「まだやれる」そう言い聞かせて一歩を踏み出していきたい。

自分への「基準」を高く。
求める基準を一歩先へ。

『まだやれる』



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