能登の災害ボランティア参加記録3

2024/04/05

崩れて痩せた見附島が最初に見えた。
道路に激しい損傷。
倒壊した家、家。
仮設住宅が建設中。

正午の放送は、昔と変わらずボールモーリアの恋はみずいろ。
それを聴きつつ、ボランティアセンターに到着。

ボランティアの作業は、市内の要望のあった方のお宅へ伺って、災害ゴミ等の分別及び搬出である。
1グループ10人で車に乗って作業場所に移動する。軽トラの運転手に志願し、マニュアル車をあてがわれる。
作業は津波の被害を受けたお宅で、さまざまなゴミが山積みになった場所で分別する。
津波のあった地域のゴミは海砂に塗れた状態で、砂埃が舞う。
軽トラに乗る分が集まったところで積み込み、市内の仮置き場に運ぶ。まずは鉢ヶ崎に運ぶこととなった。

飯田方面から鉢ヶ崎へ、海岸沿いを走る。信号が傾き、道路は歪み、競り上がったマンホールを避けつつ軽トラを走らせる。

正院町。
道の両側に倒壊した家屋が多い。

蛸島町。
かつて暮らした町が、大きく傷ついていた。

行き交う車両は県外が多く、他府県からの派遣とみられる。
鉢ヶ崎に到着。
ホテル内も災害関連の車両が多数。

仮置き場にゴミを置いて引き返す。
ゆっくりしか走れないので、一往復で今日の作業時間が終わってしまう。
飯田にも仮置き場があり、なんとかもう一往復ゴミを運ぶことができ、今日の作業は終了。

帰りのバスは行きよりも会話が弾んでいる。
グループで作業したためか、参加者同士がすこし打ち解けた感じである。
拠点に戻る途中、バスでうたた寝。

テント泊。
と言っても拠点の体育館内に設置されたテントでの宿泊で、快適である。断熱シートが床に敷いてあり、さらに一人分のマットも一枚使える。
ただ、4月5日の夜から朝にかけてはまだ寒く、予報は3℃。持参した寝袋では少し寒かった。

風呂、シャワーはないため、持参した使い捨てのウエットティッシュで体を拭く。
洗顔した水も持ち帰るように、との記載があるので、水は使わない。歯も磨けないので、こちらも歯磨きティッシュなる物で口内を拭き取り終わる。22時には消灯。とっとと寝る。

その4へ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?