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日本書紀と相撲

花のお江戸にお出かけして来ました。
お台場の日本科学未来館で3Dドーム映像作品『9次元からきた男』を鑑賞したいというのが動機の今回。
日程調整をして決まった1月下旬の2泊3日。
それなら丁度、東博であの特別展をやっているし、初場所も開催中。
こりゃあ春から縁起がええわいといそいそと箱根越え。

この注意書きに気がついたのはゆりかもめの中。
※2020年1月15日(水)~3月19日(木)まで、改修工事に伴いドームシアターを一時閉鎖します。
何次元にもなれずに、科学に触れ未来を感じながら併設のレストランで青色の地球肉まん(これが美味なのだ)などをしょんぼり食べたものでした。

さて、気を取り直して両国へ移動してまずは江戸東京博物館へ。
展示を丁寧に見ていたら閉館時間までに全く終わらないことが入館直後でわかったので、江戸ゾーンだけ。東京ゾーンは今回もう見ない!ことにした。時代小説・漫画・映画・ドラマそして落語から得た知識を総動員して見ていく。もう一度必ず来ますと唱えながら蛍の光と共に17時30分に退館。

隣の両国国技館へ急ぐ。もちろん外側から見るだけ雰囲気を楽しむだけのこと。スマートフォンで郷土力士の徳勝龍関が一敗を守ったことは確認済。なんてったって幕尻だから取り組みの順番が早いのだ。国技館はもう夕闇の中、多くの色鮮やかなのぼりに照明が当てられ風にはためく心ときめく。屋台の焼き鳥の匂い(撤収中)。街頭テレビなんかがあればいいのにと思っていたらありました。テントに一台の大画面テレビが。ネット中継有難い。
炎鵬ー高安、貴景勝ー栃ノ心、朝乃山ー豪栄道(これで負け越し決定)。
見ごたえのある三番を街頭で人だかりの中で見ることが出来ました。
お好きな方ならこれで日付がわかりますね。そう23日(木)十二日目です。

翌日は東京国立博物館 日本書紀成立1300年 特別展「出雲と大和」です。
音声ガイドに導かれながら、ゆっくりと丁寧に時間をかけて見ていきます。
島根県立古代出雲歴史博物館と奈良県立橿原考古学研究所附属博物館が引っ越してきたような、それを東京の編集者が編集したような圧巻の展示。
それぞれの館を訪れたことはありますが、「日本書紀」をテーマに続きで見るとなるほどそういうことだったかーという事が数多くありました。
だがしかし、「大和」パートでまとめ方に少~しひっかかりを感じたのも事実。それはまた改めて記したいと思います。

さて、私は昔からライトな好角家。(ライトというのは主に今はラジオで聴き、新聞で星取表を確認するくらいなので。本場所も巡業も見たことはありません)
フルコト発行の古事記新聞第2号をスポーツ新聞仕立てにしようと決まった時、俄然はりきって「相撲だ!!ノミノスクネとタイマノケハヤだ!ここはワシが担当いたす!ごっつあんです!」とハイテンション。そして直ぐに急降下。「すみません。スクネとケハヤの天覧試合は日本書紀にしか出てこない。古事記には神様の力比べのようなもものもあるけど、スポーツ新聞にしにくい…」
どうしても相撲観戦記を書きたかった私はあることを思いつき強引に寄り切る。「あ!通信社から配信されたことにしよう。ロイター共同とかタス通信みたいに。日本書紀通信社から配信されたのよ」
取り組み結果と某閣下と某漫画家が憑依したかのような観戦評をスポーツ新聞仕立ての古事記新聞第2号に無事掲載したのでした。

當麻蹶速はこの垂仁天皇7年(紀元前23年)の試合で絶命とされています。
また雄略天皇13年(469年)に「相撲」という言葉が初出しています。
いずれも日本書紀に記されているのです。

この日本書紀成立1300年の年の初場所で幕内最高優勝を遂げたのは大和出身の徳勝龍関。
彼は幼いころ「けはや塾」で相撲の稽古をしたそうです。
また、葛城市相撲館は「けはや座」という名で蹶速顕彰と相撲の普及をしています。
當麻蹶速は死すれども野見宿禰と共に相撲の始祖として祀られています。

この稀なるめぐりあわせを相撲甚句に一丁仕立ててみたいところではありますが、思いついただけで何もできるわけもなく。
昨年の今頃は「奈良ちとせ祝ぐ寿ぐまつり-大立山まつり2019」で相撲甚句に大感動していたことよとセンチに過去を振り返ったり。

日本書紀と大相撲と忍乃山(おしのやま。あ、私の四股名です)の三つ巴でお送りいたしました。

はあ~どすこいーどすこい。

最後に。
科学未来館のドームシアターは3月19日まで改修工事で閉鎖中。
島根県立古代出雲歴史博物館は4月23日までメンテナンス休館。
奈良県立橿原考古学研究所附属博物館は施設改修のため休館中。
みなさまお気をつけて。

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