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安定とは。 みんなにとっての安定と君にとっての安定。
みんながいう「安定」を信じていた。
いい会社に入って、お給料をもらって、家族を作って、貯金して、もしもに備えて働いて。
それが「安定」だと信じていた。信じて真面目に頑張って生きてきた。
それなのに、それなのにその「安定」を求めれば求めるほど心は苦しくなって、ぐらついて、どうしようもなく辛くなっていく。
そんな毎日を生きているあなたに伝えたい「安定」についてのお話。
安定ってなに?
まず思い出してほしいことは、安定ってなに?ということ。
もちろんそれぞれの価値観はあると思うのだけれど、究極的には「その人が死んでしまわないように生きていけるバランス」のことだと思っている。
だからこそお金で生活を豊かにして生きやすくする、人間関係を円滑にしてストレスを緩和する、もしものために備えて貯金する、そういうことが安定の代名詞となっているのだと思う。
それ自体は間違えていない。僕もそれは必要だと思っている。
でも、その安定を取りに行くために自分を犠牲にしてはいけない。あなたにとって生きやすい世界を見つけてそこで生きていけばいい。
海の生き物がわざわざ陸に上がって暮らすようなそんなことはしなくてもいい。
あなたが苦しいと思っているのなら、もしかするとあなたは生きる場所を間違えてるかもしれない。
みんなにとっての安定を求めたら壊れるよ
僕も以前は両親や教師、社会が掲げる安定を信じて生きていた。
高校も大学も美術の道に進みたかったものの就職先の不透明さで普通校へ進み、就職先では「安定」を信じて地方公務員に就職活動を開始した。
「安定した収入」「安定した福利厚生」「安定した将来性」
それがそれこそが「絶対的な安定」だと思って頑張ってきた。
そして、糸が切れた。
みんなのいう「安定」を求めて、自分の好きなものも意思決定も誇りもすべて捨てて生きていく世界に、なんの楽しみも見いだせなくなっていた。
これさえ手に入れたら明るい未来が待っている。そう言われて頑張ってきたはずなのに、
目の前が、一寸先の未来すら暗く、見えなくなった。
このとき感じた恐怖感、絶望感、やるせなさ。
それは僕の思っていた「安定」から最も遠い感覚だった。
僕は自分が生き残るために「みんなのいう安定」を捨てた。
みんなの住む世界を去った。
君の安定を見つけるには
結局、僕にとっての安定は「生活の安定」ではなかった。
収入が安定しても、福利厚生がしっかりしていようとも、数年先まで仕事できているとしても、やりたいことができず精神的に不安定ならもはやそれは「安定」ではなかった。
正社員になれなくとも、収入に波があっても、病気が心配でも、
夢を追いかけることができて不安も含めて楽しめている今のほうが僕にとっては「安定」している。
強がりに聞こえるかもしれないけれど、これは事実だ。
人間関係も仕事スキルも上手く扱えない僕は、仕事をしていること自体で消耗していた。みんなのいう安定への道は僕にとってリスクでしかなかった。一時期は鬱寸前まで追い込まれた。
だから、それらを一度すべて捨てた。1から自分にとって必要なものたちを丁寧に集めていった。
すると、そこには必要だと思っていた収入額や人間関係、貯金額や生活習慣は入っていなかった。
それどころか「好きなことを好きなだけやる」「夢を追いかける」そんな、他の人から見ると一見不安定とも思える行動が、僕の気持ちを活かしてくれた。
そもそも生き方が違っていた。生きる場所を間違えていた。
エラを持った生き物なのに、わざわざ陸に上がって他の獣たちと生活できないと必死に足掻いてるような、そんな生き方をしていたことに気がついた。
僕を活かしてくれる場所は、水の中だった。
流れに逆らったり流されたりしながら、広い海を泳いでまだ見ぬ世界を探して生きていく。そんな世界が僕にとっての心地良い場所であり、自分を活かしてくれる「安定」だった。
そうやって僕は「僕だけの安定」を見つけていった。
ここで少し、あなたに問いたい。
あなたにとっての安定は、なんだろうか?
それはあなたを活かしているだろうか?
その答えがNOと出るのなら、今のあなたが生きづらいと感じているのなら、それは「あなたの安定」ではないかもしれない。あなたの住む世界じゃないかもしれない。
一度、なにが「自分を活かしてくれるのか」そういうものを探してみてほしい。
どうありたいか、どう生きたいか
「自分を活かすもの」今まで世間に言われるまま走ってきた人にとって、それを見つけるのは容易ではないかもしれない。僕もその一人だったからよく分かる。
そこで助けになるか分からないけれど、すこし僕なりのTIPを伝えたい。
あなたを活かすものを見つけるための、3つの問いだ。
あなたはどんな生き方をしたいのか。
あなたはどんな世界で生きていきたいのか。
本当のあなたは何を望んでいるのか。
ぜひともすこし考えてみてほしい。
今もしも苦しいと感じているのなら、これらの答えがあなたの現実と離れているのだと思う。
過去僕が出会った人たちの中には、知らず知らずに自己暗示をかけて、「自分は立派な人間にならないといけない」「自分は誰にも頼ってはいけない」「自分は社会に貢献しないといけない」そんな人たちもいた。
でも、それはその人たちを活かしてはいなかった。その人たちを苦しめていた。社会が望む姿を自分に当てはめようとしていたためだった。
でも、そうじゃない。
望んでもいない立派な自分を演じ続けて壊れても、誰も責任は取ってはくれない。頼らず生きていくなんてそもそも不可能だ。
それなら、あなたはあなたのままでいいし、あなたのままで生きられる場所で生きて、あなたのやりたいことをやって、それが他人のためになるのならそれを分けてあげればいい。
あなたが心地良い世界で生き生きとする時間を見つけていけたのなら、自分で自分を殺してしまうこともなく、きっとバランスをとりながら楽しんでいけるんじゃないかな。
あなただけの世界を、あなたなりの生き方で。
終わりに
一昔前には、「生活が安定」することがそのまま幸せに繋がっていた。生活水準が低かったこともあり生活を豊かにすることを第一の幸せとして働いていた時代があった。
立派な会社員にならないと生活が困窮して明日の飯もない、ご飯が手に入るだけで幸せな生活。そんな時代なら、安定とはなるほど「自分を多少犠牲にしてでも生活を豊かにすること」を意味するだろう。
陸に上がるしか方法がないのならそうしただろう。
でも、今はそんなことはないはずだ。
すこしアルバイトができればお金は作れる。情報も溢れている。いろんな生き方も先行者がいる。もう生活のために、明日の飯のために、自分を犠牲にして心を殺してまで頑張りつづける必要はなくなった。
先人たちの恩恵を受けて、今の時代は確実に豊かになっている。それなら、その恩恵を有り難く受けとるのもまた僕たちの役目なのかなと。
この時代に生きている人たちは、もっと楽に、もっと楽しく、もっと自分の世界を生きてていい。
なんならそうあるべきだとすら思う。
だから、遠慮なんてしなくてもいい。
あなたの「安定」はあなたが選んでいいし、あなたの住む世界はあなたが決めていい。
大丈夫。小さなところからほんの少しずつでいい。
あなたがあなたをちゃんと大切にできる世界を探していこう。
僕はそんなあなたを全力で応援する。
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