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No3 かえるまち

 お酒は社会の潤滑油だ。飲んで、暴れて、言いたい放題、好き放題して、この傍若無人を通して本当に仲良くなれるし、これを経験しないと大人ではないという風潮があった。この種の飲む機会は決まってこれだ。「とりあえずビール」。

とりあえずとはどういうことだろうか。広辞苑によると次のように書いてある。

【取り敢えず】トリアヘズ 
意味① たちまちに。たちどころに。
意味② さしあたって。まず。一応。

たちまちに。

 立ち待ちに(タチマチニ)を基にし、立って待つ(ことが許される)程度の時間のことを指し、これが転じて、すぐ。急。早速。などを指すのだそうだ。たちどころにも同じで、前者は源氏物語、後者は三蔵法師によると。国が違っても同じようなことを同じような表現を用いるのは興味深い。もっとも、ここまで古くなってくると真偽もなにもよくわからないが。いづれにしても、座ることが正式とし、立つことは準式とする日本文化において、立つことの許容時間はそれほど長いものではないことは何となく理解できる。

さしあたって。

 さしあたりに同じと書いてあり、今のところ・当面・さしあたって・さしせまって。と書いてある。さしあたってを調べて、さしあたりに同じと書いてあり、その説明にさしあたってと同じと書いてあるのは論理としては正しいけれど、なにかもやもやするが辞書にはよくある話だ。さしとは差しと書き、後ろに続く言葉を強調するのだそうだ。さしあてるとは、あてるの強調、あてる具合が強い、つまり何も介さず直にあてることとなり、差し集まるとは、集まる具合が強い、集まりの勢い、集まりに対する熱意が強いなどを意味する。

 一見説明のつかない二つの言葉だけれど、さしあたっては、あてるの強調なので、あてる行為を強調、つまりあてる行為がなされる短い時間を殊更に取り出して強調することと言えるので、結局二つの言葉はごく短い時間を意味するというのは無理くり過ぎるだろうか。

 とりあえずビールとは、宴会を始めるという短い時間の間に必要なのはビール。その後誰が何を飲むかはそのあと次第で延々とビールを飲み続けるわけではない。という意味だろう。宴会開始の短い間であればビールがよい、というわけだ。

 とりあえずといえばある中堅ファミレスチェーンの仕事をしたときのことを思い出す。廃棄率が異様に高いある地域を調べることになった。平成20年の農林水産省の調べでは、レストランにおける食品廃棄率はだいたい3パーセントとなっていた。ところがその地域のファミリーレストランでは帳簿上ではあるものの仕入れ額と比較して30%くらいの食材が廃棄されている。一体どういうことだと社長がカンカンになって怒ったのが事の始まり。ちなみにその地域は利益がそれほど大きくないのでその社長が今まで気にもしなかったことは秘密だ。

 レストランチェーンだけれど家族連れだけが主たるお客様ではない。仕事帰りの人やそうでない昼間から飲む人で結構人の出入りは多い。結構多いのに廃棄率が高いから利益が薄いのだ。原因を探るべくその地域に数店舗ある全ての店の店内を観察することにした。

 とりあえずが廃棄率の原因であることも分かった。実に簡単なことで、お客様は席に着くと同時にとりあえずで注文する。このとりあえずは仮という意味でその後変更する可能性がかなり高いことを意味する。注文を受けた店員さんは端末に注文を入力する。そうするとキッチンに通知が入りすぐに作り始める。と、ここで、そのお客が呼び鈴をならしてこう言うのだ「さっき頼んだカレーライスやめてドリンクバーだけにして」と。

 この店ではそういう注文が多い。系列の他の店でもそうだ。かなりの高頻度で注文がひっくり返る。店内のほとんど全部のお客がとりあえずの注文をし、この注文をしてから後で変更する。店の入り口に掲示してある今月のお勧めメニューをとりあえず注文してしまって、その後メニューをじっくり見て食べたいものを決めているようだ。

 さて、とりあえずについてはこのレストランだけでなく地域全般で許容されている作法ともいえるものだということが分かった。仕事のためにこの地に半年ほど住むことになったのだけれど、大手スーパー、衣料品店、町なかの小さな魚屋さん、行政機関、などごく一般的に「とりあえず」とその後の注文変更が可能となっている。肉屋や魚屋では切ってしまったあとでも可能だ。道路工事のお知らせもとりあえず立てておいて、とりあえず通行止めにしておいて、実際に工事が始まったら工事部分を通行止めにするのだからたまらない。よくこれで経済が回っているものだ。行政からの通知・連絡もとりあえずで出しているらしく追加がごく当たり前のように出回っている。きわめて大量の追加情報が街中を右往左往しているのだ。初めによく検討して物事を決定するということを一切しないその地域では、毎日大量の会議と追加情報が発せられているが、この煩雑さに一切疑問を持たないのがこの街の人だ。


 気が付いたことがある。この街には日本全国で展開するような大手レストランチェーンが少ない。あってもあまり繁盛していない。私がいたわずか数カ月の間にも2店舗閉鎖された。いづれも最大手のファミリーレストランである。こういうところは本部のマニュアルがしっかりしているので、この街の「とりあえず」についていけずにあまり力を入れないのではないだろうか。

 人間社会においてはある程度の不確かさが必ず存在し、それが面白さ・興味深さにつながることは否定できない。しかしこの街の「とりあえず」文化はそういうレベルを超えている。文明として構築された社会を悪化させる絶対悪に達していると思う。