No1 訴える街

令和3年11月21日 体裁と表現を整理しました。内容は変わっていません。
この文章は小説です。すべて空想で架空の出来事です。
コロナウイルスに関する記事の恐れがありますという注意書きが出てしまっていますが、この記事はコロナウイルスにはまったく触れていません。

その場所は決して都会ではない。江戸時代から続く街道筋で、江戸時代後期からはそれなりに賑わった。会社や商社がたくさんあるが、今の主要産業は郊外にある巨大な工場。そんな街にやってきた。

訴訟は誰かが誰かを詐欺とか損害を与えたとして裁判所に解決を求めるというやつだ。中学校の社会科でやったけれど訴えて物事を収めることは国民の権利だそうだ。誰でも訴えることができる。

実際アメリカは訴訟社会と言われるようにすぐに訴える。マクドナルドで受け取ったコーヒーが熱くて火傷したことを訴えた話はずいぶん有名になった。拳銃で人を撃ったら死ぬことについて注意書きがないから人を撃ってしまったという訴訟もあった。こんな記事もあります。

さて、訴えることは国民の権利とはいっても日本ではまだまだ訴訟は一般的ではない。最高裁判所が発表した令和2年司法統計年報概要版によると令和2年に日本の裁判所が引き受けた訴訟の件数は1350254件となっている。一方でアメリカでは連邦政府の管轄である連邦地方裁判所と連邦控訴裁判所の取扱件数だけでも1017045に登っている。これには各州が設置している地方裁判所から最高裁判所がとりあつかう件数が含まれていないのでアメリカが抱える訴訟件数の多さがわかるかと思う。日米の人口の違いを考慮してもやはりアメリカが多い。(参考までにフロリダ州の2019年から2020年の間の1年間の訴訟提起件数は341859件; Court Data and Statistics )

そんな訴訟だけれど、日本においてはあまり身近ではない。訴えるとか訴えられたとかは小説や映画の世界の中の話であって身の回りに起こることではない。そう思っている人も多いだろう。ところがそうではない地域がある。それがこの街だ。

この街での仕事は地域の人たちと関わりあうことが多かった。町内会、婦人会、各種のサークルの人たち、行政機関の人たちなど様々な人と接した。そこで知ったのは、この街ではかなり訴訟が身近であること。それも司法書士の範囲で済むような少額の訴訟が多いことが特徴だ。買った和菓子の形が崩れていた、スーパーで買った卵が一つ割れていた、自分の駐車場の隣の車が自分の枠に入っていた。そういう雑多なことでもすぐに訴えた。コロナウイルス蔓延対策のために夏祭りが中止になったときは、日本政府を訴えようとした。さすがに金額が大きいので弁護士の所に相談に行ったが、弁護士から無理筋だといわれて帰ってきたらしいが。

その街には裁判所はないから車で30分ばかり走った隣町に出かけなければならないが、それでもみんなすぐ訴えた。そのため赴任した先の責任者からは「決して間違いを起こさないように」とくぎを刺された。

さて、そんな街であるとき自然災害が起こった。台風が続いて川が氾濫し、川沿いの土地が崩壊し住宅地が壊れた。死傷者が出るような災害となった。そして、もちろん壊れた住宅地と住宅地に隣接した土地建物の所有者は土地を造成した業者を訴えた。

驚いたのはその速度だ。災害の原因ともなった台風が通過して台風一過となってすぐ、具体的には災害が起こってから4日後に提訴したのだ。まだ仮設住宅やブルーシートに覆われた家屋で不便な生活をしているその時期に。訴えるのが悪いわけではない。もちろんなにか悪いことをして他者を傷つけたならそれは償わなければならない。しかし、今やるべきことだろうかと疑問に思った。国だって避難住宅を用意しているし、各種民間企業もいろいろな支援をしている。ボランティアだって全国から集まって片づけている。そのボランティアに自宅の片づけを任せて、自分たちは訴訟の打ち合わせをしている人たちがなんと多いことか。災害支援として寄せられた寄付金は半分が訴訟関連費用に消えたともいわれる。

2011年3月11日に起きた東日本大震災関連では大川小の避難についての訴訟は2014年3月に提起されている。その間遺族は相手方と交渉したり話し合いをもったり資料を集めたりと様々なことをしている。訴訟の準備だけではなくて訴訟外で解決しようと奮闘している。これは相手側も同じで訴訟に持ち込ませないようにいろいろと案を出したり策を練ったりする。そのため一般的に訴訟はその原因となった事柄が起こったときよりもずいぶん遅くなる。災害や事故の場合は亡くなった人を悲しんだりしてそこから現実に戻る時間も必要となるから更に遅くなる。

この街の人にとって裁判のための資料は誰がいくら損失を被ったのかだけが論点のようで、これが一人ひとり積み上げられていた。他の災害のように謝罪を求めたりはしない。自宅のローン残高はもちろん、自宅で遊んだ思い出の金額、これから自宅で過ごすであろう価値の金額、亡くなった方の金額、自宅で過ごして隣家と話をして楽しく感じる金額、などなど細かに自分がいくらを失ったのかが各人で記載してあった。中には家族を亡くした人もいたがそれも一人いくらと計算してあったのを見た時には背筋がぞっとした。亡くなってまだ本人確認しかしていない時期にこの計算。なんとも言えない。

裁判を起こす話は災害で非難した人が今後の避難計画を話し合うときに最初にでた話題の一つ。水道の調達や女性の生理用品の配布などと同レベルの重要性だった。最初の打ち合わせですぐに訴訟を提起するための委員会が結成され、2日後の朝には最初の会議が始まった。避難所の一区画を本来避難者のプライバシーを守るためにと提供された仕切り板を使って個室を造って訴訟準備室とした。もちろん地域の人は訴訟を起こすことに異議はない。パソコンとプリンターと法律書が持ち込まれた。災害の影響で停電していたので携帯電話の充電用にと民間企業から提供された発電機を利用して専用の発電機とした。避難所運営のためにと行政機関から提供された膨大な紙は訴訟の打ち合わせに消えていった。3日目の夜には書類がすべて出来上がり、4日には裁判所に提出できたとのことだ。相手(造成した業者)がわかっていたとはいえ、これほどの速さで、しかも通常の生活ができないなかで訴状を作成できることはにわかには信じられない。

もちろん、訴えることは国民の権利なのはわかる。ただ、そんなに急がなくてもよいのではないだろうか。生活が破壊されたのだから、その生活を再構築することが最優先ではなかろうか。死んだ人を弔い、けが人の全快を待ってからでもよいのではないだろうか。訴えることができる期限のようなものがあるけれど、1年や2年で過ぎるものではないのだから。裁判とは文明における高度な部分を担うものであって、まずは原始的な部分である衣食住を確保してから取り組むべきだと思う。裁判は待ってくれる。

ちなみに、この訴訟は急いで書類っを提出したけれど、裁判所からは災害復旧が終わってから進行させようということになり、進んだのは生活がだいたい復旧した3か月後だった。

後日、行政を相手に、訴訟準備室に仕切り板を使われたの黙認していたので避難期間中のプライバシーが侵害されたという訴訟と、訴訟提起の時機が適切でなかったので自分の損害を正確に申告して請求する機会を得られなかったのでその分の損害を請求するという訴訟が提起されたことも追記しておく。

訴訟がすべて。ここの街のひとにとっては、訴訟を起こしてお金を得ることの重要性がとても高いもののようだ。災害を契機にその街から多くの企業が撤退した。自分のいた拠点もすぐに閉鎖された。

<終>