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No2 いい加減な街

世の中の様々なことは多分に主観的な面があり自分にとってはいいことのように見えてもそれを悪いと判断する人もいる。例えば第2次世界大戦は日本の言い分としては西欧の植民地支配から解放するという理由を掲げていたが、西欧側としては既存の秩序を破壊させるならず者ということになっていた。やり方が適切だったのかどうかという問題があるが、ここではそれは触れずに、物事の評価の主観性というものに注意してもらいたい。

さて、第2次世界大戦では様々な主義主張をもつ国が戦い合ったわけだけれど、一つだけそれらの国に共通していた原則がある。いいかげんは悪というものだ。いい加減ということば自体がなかなかいい加減なもので、その意味を真剣に考えるとはてなんだったかなとなる。改めて辞書を引いてみると、適度なこと、物事が中庸であること、適度であること、不完全であること、やるべきことをしないこと、でたらめ、雑、などの意味が並んでいる。これらを総合すると、「本来的にあるべき状態に至っていないこと」ということになりそうだ。そこに文節から良い意味「適度」、悪い意味としての「未達」という使われ方が生じているのだろう。ちなみにいいかげんには強調の使われ方もあって、例えばいいかげん早くしなさい、などといった用い方だ。しかし、よく考えるとこれももっと早くするべきところ今に至ってもしていない、つまり今し終えていなければならないのに終えていない、という意味であり、本来的にあるべき状態に至っていないことという定義に当てはまるのではないだろうかと思う。

さて、ある街に赴任した。人口4万人。平成の大合併の影響でつぎはぎの行政を持つ街だ。未だに旧自治体間の軋轢が残っている。

ここに赴任した理由は、現地の事業拠点からあがってくる数字がおかしいと本社の監査部が言い出したからだ。なんでも売上額と仕入れ額が合わなかったり、前月比売り上げが急に300%になったり、翌月はマイナス300%になったりとめちゃくちゃなのだそうだ。この種の調査は一緒に仕事をしてみるのが一番良い。都合よく人手が足りないという拠点からの報告があり、加えて大事な注文の中継拠点になったこともあり、応援要員と称して赴任することになった。

さて、赴任してしばらくしてこの事業拠点の抱える問題が明らかになった。一言でいうと、業務マニュアルを無視しているのだ。

わが社では仕入れたとき、品物を売り上げたとき、品物が在庫として残った時、お客様からの問い合わせがあった時、入金されたときなど業務上の動きは既定の書類を作成する必要がある。書類とは名ばかりでそのすべてはネットワークに接続された端末で入力するようになっている。この入力は入力すべき作業が終わった時にすぐにすることになっている。この入力を「思い出したときにする」ということでやっているようだ。

私がお客様に納品して事務所に戻り納品情報を入力したのだけれど、「なにやってるんですか?」と言われたのは驚いた。なるほどこれではデータがおかしくなるはずだ。納品日付が仕入れ日付よりも先になっていることなどあざらだ。

さて、監査部門と経理部門から言われてきたことがある。この事業拠点は売上金額がお客様と締結した契約から見込んでいる売上金額と合わないことがあるというのだ。経理担当者は使い込みを疑っていた。しかしどうやらそうではない。

売上は本社に直接入金されるものと、事業拠点の口座に直接入金されるものがある。一つにまとめてしまえば簡単なのだけれど、地元の事業拠点の口座に支払うようにしたほうが付き合いやすいし、地元金融機関とも連携が取れるという理由から、事業拠点扱いの入金がある。それに現金でもってこられるお客様もいる。

入金が合わないという話のタネあかしをするとこうだ。入金される。入金された金額を会社のシステムに手で入力する。この時に、「思い出したときに入力する」ルールが適用されて、後日うろ覚えのまま入金する。そのため金額に間違いが生じる。システムから間違った金額に基づいた領収書が発行される。あとからお客様から金額が違うという指摘を受ける。後からというのはたいてい半年くらいたったときだ。誤りを税理士事務所に指摘されて電話してくる。本社の経理に許可をもらわなければシステムに一度入力した金額を訂正することはできない。めんどくさいので、売り上げをもう一つ入力して、その二つの合計金額をもとに領収書を発行するというわけだ。

このようにこの拠点において誤りはごく一般的に生じる。商品仕様が違う、金額が違う、納期が違う。など信じられないことが起こる。それに対する応対もその場しのぎのものがおおく、仕様が違うなら不良品扱いにして返品処理し、新しいものを再注文するので、不良品返品率が高くなる。金額が違うなら前述のようになんとか処理してしまう。納期が違うなら手元にある適切な品物をとりあえず使ってしまう。

さて、これが拠点内の教育とか、業務システムが使いづらいことに由来するならば改善の余地がある。しかし実はこの地域がすべてこのような感じで運営されているのだ。

スーパーのレジ打ちで誤りがあるのは当たり前。貼られた商品価格やバーコードが違うのもあたりまえ。工事予定で通行止めになりますという看板の情報が誤っているのもあたりまえ。行政から配布される行事予定もたいていどこかが間違っている。納税通知の金額が間違っていたこともあった。選挙の投票所入場券が宛名とは違う所に配達されたこともある。そして、こういうことが起こってもこの地域の人はその場でなんとかする。

スーパーでレジ打ち金額が間違っていたことがわかるのはレジ打ちが終わってから。たいてい家に帰ってからが多い。どうするのかというと、レジのお金の入っている引き出しを手動で開けて差額を返金するのだ。もちろん締めの時に金額と入金済みと出金済みと在庫量データの不一致が発生するだろうけれど。

通行止め情報が誤っていて、予期しない道路が通行止めになっていたとしても、その通る人は適当にう回路を探す。ちなみに本来通行止めになりますと宣言されていた道路はそんな通知とはお構いなしに使われている。

投票所入場券が間違っていた人はそのまま間違った入場券を持って行って投票してくる。本人確認の時に間違っているからと伝えれば、そのまま通してくれるのだそうだ。

ルールや規則などは無関係にやりたいようにやる。組織力とかそういうものは一切なし。ただ自分たちが気持ち良ければよい。そういうことなのだそうだ。本来的に人と人の間にはなにがしかのルールがあってそれに従って行動するのが文明なのだけれど、本来文明が持つべき秩序が無い。つまりいい加減ということになる。

ちなみにここの地域である程度大きな会社の工場長を務めた人と話す機会があった。その会社のその工場では内規として「地元民を採用すべからず」というものがあったらしい。かなり多きな工場だったがその殆どは車で30分くらい離れた隣接地域からの従業員だったそうだ。地元民はマニュアルを覚えず、まわりを見ず、好き勝手に行動して、無断で休み、品質も製造スケジュールも全く無視するからだそうだ。その工場は私が赴任して数年後閉鎖されて隣接自治体に引っ越した。