讒文芝居

●最近の此の曲弩豪い

■ORESAMA「Dreamin' Pops」

 今作が凄いのは、ゆらゆら帝国(サイケ・ロック)的病的頽廃の自己陶酔
(別にゆらゆらアンチでは無く。御酒みたく嗜好としてはイイと想う)
に遁げ足り、幻覚性で悪酔い然せ足り
「空っぽ」だと簡単に安易に断定はしても、擲たない事。

 きっちり、責任を執る。
然う謂う中毒性を孕むロックの側へ
シティ・ファンクでポップに実はハード・ボイルドに
「重い事案こそ態と軽妙に、衝き放して」応えるヴォーカル(多分作詞も)
「ぽん」さんの手際は実は岡本靖幸や 大澤誉志幸等の手練に近い。

 「不完全な夜(の如くに完璧でも英雄でもない)凡庸なガール」で在る「私」が何者でも無く何者に為れる確実性等一切無い
「他愛ない己が実存」と自覚し、
世界にも他人にも期待出来ぬと割り切る。

 其れでも「明日も笑い度い」
(同意義:想うに『完璧』何乎好く無い。『完璧』を目指すのは止せ。
其れ選りも進化しよう。何ん喃結果に為ろう共!
【デヴィッド・フィンチャー「ファイト・クラブ」】)
と一晩中踊っ足り発散然せる。

 「小賢しき頭脳(偏狭喃料簡+後天的な誰乎の受け売りの知識)」
では無く「行動で識ってゆく過程」を示し
「愛おしい煩悩を抱いて踊れよ」と『脳髄の埒外』で
間違いや不格好、汚れ迄も引き受け、「完璧主義や勧善懲悪や二元論」を
打破・超越する境地の一端にちゃんと辿り着いて居る
禅極まりないのがスゴ過ぎるのだ!
(夢野久作「ドグラ・マグラ」『胎児よ、胎児よ、何故踊る』
を超克し兼ねぬ覚悟と意思)
本当にアイドル・チック然な御声や容姿からは
到底想像だにせぬ才能で在る。


■Buzy「鯨」

 此方は、冒頭の夕方のニュース番組みてえ喃坦坦とした前奏から
サザンの「愛の言霊」の如きノリノリのダンス・チューンに乗せて
アイドル・グループが
歌い舞い踊るのは、全く手加減や手心や甘やかしを拒絶する
「マジ実存」や「原罪」……
何だ乎「BiSH」の「My Landscape
ぽいけれど本当に彼処迄辿り着けて居る?

……え、ええええ!?鳥渡、鳥渡待って!

意識のハード・プロブレム」に迄も踏み込み兼ねない内容で
聴くだにビビる。
然し、病的依存や中二病自慢、
哲学的ゾンビ」的に「『振り』をして居ない」
倒錯や頽廃、セカイ系や厭世観に簡単に着地する気配は無い。
無いのがスゴい。

 人が、誰しも「漂白や糊塗、鍍金」然れ度、裡側の
ヤバい現実に相対した時の心構えを、
己の境遇境涯に酔う、呪いに却って依存するのを拒絶し
仮令、戸惑い乍らでも怖怖手探りでも「生きるには」と鼓舞して居る。
只単に「存在」する=生きる事だって別にイイ事では無いし
「イイ事」だって傍に寄れば血だらけに然れる元凶だっ足りもする。
「ワルイ事もイイし、イイ事だってワルイんじゃあ無いの?」
簡単に楽に為り度いって気持ちが更に苦しみを生む。

生き様を仮託して居た拠り処とも謂える、譬え上の鯨も作詞上で然え
「疾うに絶望して、棄てて行っ度」……。
正解など無いのだ。(不正解も無い)

 ヤバい命題、難解な宿命から時に、遁げてもイイよ。
間違っても、正しく無い行いや気持ちがあってもイイ、
絶望でなけなしでも、幸福に迄恐怖してたってイイよ。
では、「寄り添え無いの乎」とサカナクションと同じ様な境地に達して居て
スゴい!
楽曲や作詞の話運びの工夫、機知や境地で以て、此処迄現実を詳らかに
酷い事を云って於いて(でも真実)、他人を鬱にし無いのだ。何故乎。

 前述と敷衍するが、遣ろうと想えば、もっと酷くもっと虚勢を張り、
もっと恰好を附け度ポーズのパンチラインも、エモさも
「盛れる」筈だ。だが、して無い。其処が味噌だし各各考えて欲しい。

 間違いや正しく無さ、屹度大した事も無い己が人生への
多様性(ダイバー・シティ)的過失への愛の賛歌とでも云うから喃の乎。
華華しく無い、愛す可き不出来。
「誰の生だって間違いの別称かも知らぬ。其の間違いを愛せるのは、
矢張り此の生の張本人足る、君しか居ない」と謂う事乎も知らぬ。
ジブリ映画「かぐや姫の物語」(姫の犯した罪と罰)
と似通う主題が散見するのも偶然では無い。

 「電脳コイル」や「カスミン」の如くNHKが何故か侮り難い本気を
偶に気紛れに遣る時の「愕きの名作放送」の一作「ふたつのスピカ
の主題歌だったらしき。
恥ずかし乍らも、全くの守備範囲外且つ未見で在る。
何時乎、絶対に観ようと決心する丈の主題歌で在る。天晴れ!