讒文芝居
コロンブスが幸福であったのは、彼がアメリカを発見した時ではなく、
それを発見しつつあった時である。
幸福とは生活の絶え間なき永遠の探求にあるのであって、
断じて発見にあるのではない
(F.M.ドストエフスキー)
高校の国語教師が或る日云った
「君等、死に様は如何様に死ぬのが宜しい乎?」
「畳の上では絶対死ぬのは真っ平。
旅の途中、何処乎路傍で野垂れ死に度い」
と云った処、
「変な奴だ喃」
と云われた。
畳の上と謂う事は、
「既に人生遣り終え居る」ので在り、
某乎追っ掛けて居る裡、何時の間にやら死んで仕舞い度い。
だから「旅の途中の路傍」と謂う意味だったのだが。
人生の浮き沈みとは、最早、何千何万の先達の
遣い旧然れた云い廻しだのだろうが、
誰しも、好き好んで、窮地に追い込まれ足り
苦戦を強いられ足りし度くは無い。
然は然り乍ら、
誰かの為にも己の為にも
あたし等が笑えるのは、泣けるのは
到底無理だと想えた彼の日の明日を
笑い飛ばして乗り越えて来たからに他為らぬ。
「昔は宜しかった」とか
然う謂う事では無い。
昔の方が余程、殺人も苛めも自殺も事件も戦争も多かったので在り、
人の心も荒んで居た。
然し、無け無しの明日に挑み、会者定離を繰り返し、
世の中を流離うのは、何も吟遊詩人丈では無く
現代のサラリーマンも同じで在るならば
「笑顔忘れずに居れば何とか為るサ!ヘイヘイ」
のグルーヴし乎、頼りに為る物は無いのだ。
月並みで薄っ平い其の言葉が
何時しか、深みと濃さを持った時に
人生が少し解った時乎も知らぬ。
維新志士の如く、今日を己を金繰り棄て
明日に望みを繋げる気概在ればこそ
面倒喃接待やら
人間関係のいざこざも如何って事は無い。
今も昔も。
今は昔でも。
何んなに時は往き過ぎ様が。
アニメ主題歌「増田直美」
「アステロイド・ブルース」