讒文芝居

●最近の此のバンド弩豪い

■沢瀉(OMODAKA)

 民謡クルセイダース菊池成孔さんも民謡をジャズっぽくアレンジして
ブエナビスタ・ソシアル・クラブ的普遍的民族に流れる
音楽「意」伝子(ミーム)として「同じ人間だのだから魂の故郷は同じ」
っぽき「懐か新しい」提案を魅せるのもイイが、鳥渡保守的で物足りぬ。

其ん喃、音楽漂流民が辿り着く、文字通り「取り附く島」
其れが寺田創一さんと彼の名演歌民謡歌手「金沢明子」さんの
生み出す古今東西現在過去未来を超越し度
膨張宇宙(ビッグ・バン)的音楽グループ「沢瀉(OMODAKA)」で在る。

 基本はテクノダブステップの後に更に立ち上がる電子音楽
チップ・チューン
コンシュマー・ゲーム機
予め備わった範疇のデジタル音源を活再利用して音楽にする)
+民謡+ファンク(ソウル等……附随する生のフォーン・セクションも活用)

 聴いた途端に此の手の種別は聴き尽くしたと油断して居て、魂消度。
未だソーラン節やこきりこ節等の有名民謡+αは散散聴い度のだが
「予想屋さん」と謂う曲に唖然とし度。
パチンコや競艇等の「とっぽい」やら「遊び人」の曲も
常磐津節」や「江戸長唄」の題材では間違いは無いのじゃあ無い乎。
「梅は咲いたか」等は「天城越え」と同じく「艶事」の暗喩だし。

其の遍を凡て加味して、美空ひばり的、幕末太陽傳的
彼の頃の小股の切れ上り臈長けた粋喃姐さんの物云い等
「恰度宜しい正しく無さ
(だらしなさや人情、人間の業の肯定やエロ【生命力】の肯定)」
≒「風流、粋」を
きちんと示して居る上に多分、手本にした民謡の類は在るだろうが、
オリジナルっぽい風情に纏まって居り

他の民謡+α+β+γと謂う離れ業も弩豪いのに、更にウルトラCの
化学変化を遂げて居るのだ。

何処が弩豪いの?って呼ばわる御仁。
否、作家でも随筆家でも無い、文盲に等しき筆者の筆舌には尽くし難いので
最早、就中とも尽くす自体が無意味で在ろう。

百聞は一見に如かず為らぬ「百文は一聴に如かず」
先ずは聴いて筆者が嘘吐き乎正直者乎の「一徳」の御判じを。

■「予想屋さん」(Yosawya San)

■「稗搗き節」(Hiestuki Bushi)

■「こきりこ節」(Kokiriko Bushi)

■「梅は咲いたか」(Plum Song)