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自己紹介

初めまして!dai です。
(Twitter では Daisaku Yamamoto と名乗ってますが本名です)

2022/4に転職(3社目)し、重い腰を上げてそろそろ自己紹介的なものを note に書こうかなという気運が高まったので勢いで書いてみようと思います。

基本情報

  • 名前
    dai

  • ニックネーム
    本名が Daisaku Yamamoto なので、dai、だい、だいさくなどで呼ばれることが多いです。名字は一般的でアレですが、名前は割と気に入ってます。

  • 職種
    インフラエンジニア -> 情シスなキャリアが長いです。

  • 住まい
    西宮市(出身も兵庫)
    2022年中に岩手へ移住予定

  • 年齢
    30代最後

  • 家族
    3歳の娘と3人家族

  • 好きなモノ

    • IT系ガジェット(リモートワークになってからデスク周り多し)

    • 映画(アクション系)

    • 読書(仕事に関連する系多し)

  • 最近気になってること
    健康関連が気になってます。
    30代後半になってから体の不調や体力低下を特に感じ始め危機感倍増。
    下記の本を読んで実践中。

Vision

  • 組織課題をエンジニアリングで解決し、働く人の安心・安全・快適な環境を作ること。その結果、最高のプロダクトを世の中へ提供し、より良い未来をつくることに貢献すること。

  • 自身の成長(インプット)を組織に還元(アウトプット)し、アウトカムの最大化に貢献すること。そしてそのサイクルを維持すること。

経歴

Twitter でも発信しましたが、2022.04より株式会社グッドパッチの2人目情シスになりました。(3社目)

転職後1ヶ月経ったので、社内で振り返り記事を書いたのですが、せっかくなのでそれをベースとして書いてみます。
(長いです)

〜2007年

  • 大学時代。塾講師(主に数学)のアルバイトがとても楽しく、人にモノを教えたり、説明したりするのが好きということに気づく。

    教えることによって、自身も成長し、生徒も成長する循環が好きだったのと、自分が関わることで生徒の成長を感じられることがモチベーションとなっていた。

    生徒に教えるというアウトプットのために、必要な知識をインプットしていたとも言えるので、とてもよい体験だった。
    これは後に情シスという役割を続けてきた源泉になっている。

  • 大学が情報系だったため、IT系の仕事をしたいという思いはあった。
    実家が自営業(電気屋)なため継いだ方がよいかどうかの狭間で結構悩んでいた時期。(結果的に兄が継ぐことに。末っ子で良かった...)

  • プログラマーになりたかったわけではなくITを活用して世の中を良くすることに貢献したかった。これはその後の社会人経験を通しても一環して変わっていない自身の軸みたいなもの。

2007〜2020年(1社目)

  • 入社時の思い出
    神戸のSIerに新卒入社し、インフラエンジニアをベースに顧客の社内SEや自社SE(情シス)を兼任。

    入社日にドスパラとかの白いデスクトップ筐体を自分で席に持って行ってセットアップしたのが鮮明に記憶している。CPU: Pen4のWinXPで、メモリ2GBとかだった気がする。

    XPのビジュアルを簡素にするとか不要プロセスを起動しないようにするとか、ショートカットを必死に覚えるとか、少しでも業務パフォーマンスをあげるための努力は惜しまなかった気がする。

  • インフラエンジニアや情シスをやったきっかけ
    PCやその管理のための仕組み、ネットワーク、サーバなどに興味があったのと、インフラエンジニアと社内情シスは相性がよいため、その相乗効果があるということで有志集団だった兼任情シスもやることになる。

    WEBシステムを受注することが多く、ECサイトのインフラ環境を構築することが多かった。最大16案件くらい並列で担当していた。

    当時はLAMP環境が多かったので、自宅に自作サーバをつくり仮想環境で複数台サーバ運用やネットワーク管理を自主学習していたのが懐かしい思い出。

    案件に貢献しつつ、社内の「これ誰がやる?誰もやれない・やりたがらない」系の仕事=情シスもあまり誰もやらない感じだったため、「なら自分がやろう!」との思いでやり始めたら、とても性に合っていた。

    そもそもあまり目立ちたいタイプではなく、人知れず貢献していて誰かの支えになっていたいというのが自分の矜持だからかも。
    インフラも情シスの役割も表からは見えにくいけど基盤なのでないと何も始まらないというのが純粋にかっこいいなと考えていた。

  • しくじり

    • Linux覚えたての時に、本番環境にてバックアップデータ tar xzf hogehoge.tar.gz を展開して、上司が顧客へリリース連絡している電話の横でWEBサイトが degrade していくのを見た時のことは今でも鮮明に浮かぶ.....

    • 顧客先DCにサーバへのOSインストールのため訪問する予定の前日、事前準備を頑張りすぎて翌日の朝現地の先輩から電話が来た時のすべてが終わった感

      ※もっと数え切れないくらいのしくじりはあるが書き切れないので割愛。

  • キャリアについて考え出す
    オンプレや物理サーバからAWSに出会ったのはかなりの衝撃だった。今までの苦労が一瞬にして消える野を体感し、インフラエンジニアとしては変わっていかないといけないと強く感じた体験。

    同時期に情シス専任となってチームをつくるという機会に恵まれたので情シスを深掘りだした時期にリーダーも経験。(インフラ->クラウドエンジニアへの道や、後のSREというキャリアとも非常に悩んだ)

    チームリーダーに成り立ての時に岩田松雄さんの書籍に出会い、ミッションという本の「火花散る瞬間」ということに感銘を受ける。
    ハリネズミの概念という考え方を学び、自分のミッションを考え出した時期。
    (情シスは広範な範囲を一通り対応する期待値が求められるので、割と器用貧乏になりやすく業務に溢れる傾向があるため、ここで情報整理について考えることができたのは今でも良い経験だったと考えている)

    その後マネジャーとなり組織運営やピープルマネジメント、人やチームの成長に Commit する役割も経験。ここでは塾講師時代の経験が活き、メンバーの成長実感が嬉しく、色んな人からマネジャー向いていると言われていたが、これからの時代を考えた時に自分自身をさらに成長させないとという危機感をずっと抱いていた。

    自分がマネジャーの時にとても意識していたのはこれ↓。

その人のポテンシャルを引き出せたらチームは最高のワークをすると信じていたので、人をよく観察するようになった。
(根本的に人が好きでないと務まらない仕事と思っている)

2020〜2022年(2社目)

神戸のSaaS会社に初転職。
「くらし」と「はたらく」を自由にデザインできる世界をつくるというVisionに共感した。

1社目は人の関係は良く、とても居心地が良い反面、コンフォートゾーンにいたままでは成長の限界を感じたため、更なる成長のためにスタートアップでの一人情シスに挑戦。

ちょうどコロナ禍が始まる時期で入社からフルリモートで働くことに。(定期的に出社すると思っていた)

フルリモートでの情シスがどこまでできるのかはある意味チャレンジングで、かつスタートアップのカオス感を整理していくのはなかなか大変だった。ただその分面白さもやりがいもあった。

会社規模でできることの限界を感じ、今後コーポレート領域でのエンジニアリングを強化したいという思いがあったため転職活動はゆるく情報収集している段階だった。

転職直前ではオフィス移転PJがあり、自社サービスの活用やインフラ面(主にネットワーク)を担当。

2022.04〜(3社目)

現職の株式会社グッドパッチに転職しましたが、書くのに疲れたのでここからの話は別途転職エントリーな形でいずれ書こうかなと思います。。

2社目から現職への繋がり(Why)は転職エントリーで少し触れようかなと思います。

※書きました

長くなってしまいましたが、ここまで読んでいただいてありがとうございます。
よろしくお願いします。


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