丹波篠山の森にマトくんに会いに行こう、映画•森の学校
ひさしぶりに森の学校を観てきた。
まだ小学5年生のマトくんこと春馬くんがいた。
お顔は春馬くんなのだけど、声がかん高くて。
そしてマトくんはカラダが弱いけど、めちゃくちゃわんぱく。
よく熱を出して寝込むマトくんが
「僕はどうしてこうなのかな?」とお母さんに聞くと
「マトがやんちゃだから寝込んででもいないと、
トンボもおちおち空を飛んでいられないからでしょ。」という返事に大きく頷いてしまった。
マトくんは病弱なのにやんちゃで、そしてガキ大将。昔のガキ大将は、仲間の面倒見が良くて男気がある子がなるものだったんだ。
森の学校が大好き理由
「森の学校」がみんなに愛されるのがよくわかる。 丹波篠山の懐深い自然、森、動物
懐かしい木の香る小学校
近所のおじさんおばさん、
いたずらばかりする友達や仲間。
喧嘩のやり方を教えてくれる先輩。
悪いことをすると叱ってくれるオトナ。
お祭り、夜店、初恋の女の子、仲良しのたくさんの兄弟。 芯が通って毅然とした懐深くて親思いで、
家族思いのお父さん。愛情が深くて働き者で家族の光のようなお母さん。
昔の日本が持っていた良き世界が、ぎゅっと詰め込まれている。なんだかとても懐かしい。
そう 確かに子供の頃
自分のまわりが世界のすべてだった。
一日を無我夢中で過ごして
安心して親の元に帰っていった子供時代。
時代や設定が違っていても、すべての人にあった子供時代が蘇ってくるのかもしれない。
マトくんの魅力
その中で確かにしっかりと存在している、ちいさなマトくん。あまりにもマトくんとしての存在感が大きくて、ここでもほら、春馬くんが消えてマトくんにしか見えない。
こんな子供の頃からやっぱりあなたは役者だったんだね。
ミトくんとふたりでパンツ一枚で滝壺で滝に打たれて、ほとんどパンツがずり落ちそうでハラハラしたり、肥溜めに落ちて川で体を洗って服も洗ったものだから、頭に葉っぱをかぶって腰にも葉っぱを括りつけて歩いていると森の妖精のようだったね。
飼っていたフクロウの餌のために池で蛙釣りに興じて、ふと池に浮いている沢山の蛙の死骸に気がついてたくさんの命を自分たちが奪ったことに気がついたり。家に住みついて守ってくれる守り神の大きな蛇の存在に気がついたり。
病弱で学校を休みがちで、わんぱくで喧嘩っ早いマトくんが大切で可愛くて不憫で、心配症なおばあちゃんの存在を煙たがったり。
おばあちゃんを通して生きていること、死んでいくこと、命がつながっていくことに気がついたり。
森の学校は、すべてが詰まっている映画だった。
命の終わりに伝えたい言葉
マトくんは、こんなに鮮明に映画の中で存在しているのに、やっぱり春馬くんがいないということが悲しすぎる。
『一生懸命生きた人には頑張ったね。有難うって言ってあげるのよ』ってマトくんのお母さんに教えてもらったのに、まだその言葉は伝えられません。
ごめんね。 春馬くん。
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