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前期、視聴したアニメの話「推しの子」と「水星の魔女」

先日るろうに剣心の話をしましたが、前クール観ていたアニメについて綴ろうかと思います。

現代劇&SFの二本、その共通点

前クールで観ていたのは「機動戦士ガンダム 水星の魔女」と「推しの子」です。推しの子については見始めの頃に記事にした事もありました。

水星の魔女は昨年秋から観ていたのでそりゃあ続きは観るでしょって感じで、推しの子は1話で衝撃を受けての視聴でした。
この二作は、現代劇とSFロボット物という全く違うジャンルですが不思議な共通点があります。それは、

・「親」に縛られた子供の話

という点ですね。
スレッタは母親を盲信しており、そこから解き放たれるまでの物語が水星でした。推しの子は原作も完結前でアニメ二期も決定しましたが、一期はまだまだ核心にも辿り着いていないところで終わりました。ですがアクアの目的は母親の仇である父親を捜す、というのが一貫しています。いずれも生い立ちが特殊で、それが呪縛になっている主人公達でした。

「死」を感じる推しの子と、感じない水星

不思議なもので、現代劇で芸能界が舞台の「お仕事もの」である推しの子の方が「死」を感じる空気感を持ち、戦争がテーマになっている水星は人の死の匂いがほぼしませんでした。退場したキャラはいましたが「最近のガンダムは人が死なないんだな」とか思いながら観ていました。グエルなどは死にそうな場面があったのですが、生きながらえましたね。

推しの子6話は、明確に死の匂いがありました


最終戦では命掛けだったスレッタですが、彼女に生命の危機は感じませんでしたね

これも現代の特色なのか、やはり実社会が殺伐としているのがアニメの雰囲気にも出てくるのだろうか、などと邪推してしまう二作品でしたね。昨今、なにかと表現が厳しく窮屈になってしまい、アニメを作る側も頭を悩ませていることだとは思いますが、フィクションの世界で生命の扱いに気を遣う意義がどれほどあるのかと、個人的には疑問に感じます。無闇に残忍な描写を使うのはホラー作品だけでいいと思いますが、「視聴者への配慮」が作品の形を変えていくのは、どう考えても建設的ではない。それはやたら「滅ぼす」という表現を使っていたある特撮番組で感じていたことです。

主題歌のクオリティが凄かった

推しの子も水星も毎週楽しんでいましたが、この2作は特にOP、ED共に曲が良かったな、と思います。

EDの歌声がクセ強めで最初は苦手でしたが、慣れてくるとクセになる曲でしたね(笑)。OPは文句なしに格好良かった。

言わずと知れたOPの大ヒット曲「アイドル」と、アクアのテーマ曲ともいえるED「メフィスト」、どちらも作品世界を広げています。

4曲のなかで唯一男性ボーカルのメフィストは、カラオケのレパートリーに入れようかと練習しましたが私の音域ではサビが無理でした(笑)。

いつぞやのアニメ情報番組で司会の声優さんが「アニメ化の嬉しいところは、歌が付くところ」と言っていたのを覚えていますが、「曲がいいな」というのもアニメを見る立派な動機なので、これらの曲の素晴らしさを作品と併せて今後も語っていきたいですね。

加えて、推しの子は二期も楽しみにしています!

season2ではスレッタと三オリネの絡みがあまりなかったのが残念ですね
スレッタがミオリネを呼び捨てにするのを楽しみにしていたのですが(笑)。

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