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仮面ライダー展回顧録…週一の贅沢だった昭和仮面ライダー

ウルサマの写真を整理していると、昨年12月に同じく池袋で催されました仮面ライダー展の写真も一緒に眺めることになりました。ライダー展は場所こそ同じですが会場規模がウルサマの倍になっており、一通り回るのも随分時間がかかりました。それに伴い写真の数も多くなっていますので、振り返りつつ「昭和」「平成」「令和」という区分けで仮面ライダーと時代の話を書こうと思います。

50年前は、テレビの時代


藤岡弘、さんの、熱い熱いメッセージ

仮面ライダー展は、原点である一号から最新のギーツ、さらに映画のライダーまでを辿りこの時点では公開前だったシン仮面ライダーまでが展示されていました。まず、昭和ライダー達がお出迎えしてくれたんですね。

全ての始まり、旧1号
新1号。サイクロンのデザインが一番好きですね
ダブルライダー。貫禄ありますね

1971年、昭和46年の4月3日に放送が始まった仮面ライダーですが、この時代というのはまだテレビが一家に一台、それも大方は白黒テレビという時代だったそうです…私もさすがにまだ生まれていないので、先人のお話が元、ですが。当然ビデオデッキなど普通の家庭には無かった訳です。そもそも録画機が市販されていたかも微妙です。
つまり、テレビ番組はオンエアのタイミングで一度しか観られないもの、だったんですね。だからこそ家族内でのチャンネル争いが熾烈だったとも聞きますが、そんな中で高視聴率を叩き出していた仮面ライダーは、当時の放送会社による「戦いに勝った」番組だったと言っていいでしょう。
テレビが娯楽の中心、王様だった時代の強者だったわけです。

今観ると、怪人が現れ悪事を働く、それを暴いた本郷、一文字が追い詰め、変身して怪人を倒す。とどめはライダーキックが定番。という流れを毎回の様に繰り返します。連続ドラマ仕立てになっている平成以降の仮面ライダーに慣れると、単調で飽きてしまいそうな番組ですが、ワンパターンだ、などという批判は聞いたことがありません。何故なら…

「毎週、仮面ライダーの活躍が見られることに価値があった」

からに他ありません。終わったら、次に観られるのは一週間後。もし見逃してしまったら、観た人から話を聞いて想像する以外何も出来なかった時代です。同じような話が繰り返されることに、「また来週もある」という確かな意義があった訳です。

これが、初代仮面ライダーが8クール、全98話という長い番組になった理由であり、さらにシリーズ化していった人気の背景だと思っています。

永続的な世界観

一作目終了後も、V3、X、アマゾン、ストロンガーと続き、インターバルを経てスカイライダー、スーパー1、TVスペシャルのZXと続いていきます。

風見志郎、結城丈二


神敬介


山本大介、アマゾン
城茂

これらは全て同じ世界観の物語であり、ストロンガーまでおやっさんこと立花藤兵衛が続投していたこと、さらに敵の首領が同一人物であったと明かされ、ストロンガー最終回が「仮面ライダー最終回」と謳われていたことなどから実証されています。つまり昭和の仮面ライダーは、長い長い一つの物語である、と言えるんですね。

強引ですが、10人ライダーとして登場したのでRXまでは繋がっているとみるべきでしょう(笑)。

少年時代に刷り込まれた「カッコ良さ」

私は仮面ライダーBLACK、BLACKRXはリアルタイムで観ていた世代です。当時は雑誌でしか見られなかった仮面ライダー、初めて動いているところを見たのがBLACKだったので、思い入れもあります。

BLACK SUNも格好良いですが、やはりこっちですね
RXは車のイメージが強かったり

男子は特に、漠然と「黒がカッコイイ」と思いがちなところがありますが、私の場合、ここでそれを刷り込まれた気がします(笑)。後でバッタは怒ると黒くなる、などと聞きさらにその気持ちが補強されたりもしました。

BLACKの頃にはビデオデッキがあり、後で観ることも可能でしたが基本的には放送時間にテレビの前に座っているものでした。
昭和仮面ライダーは、「放送日、放送時間の思い出」をくれた番組だったと言えると思います。今もリアルタイム視聴にはもちろん価値がありますが、観る手段が多種多様になったのでテレビが絶対的なものではなくなりました。

だからこそ、昭和ライダーの「毎回怪人を倒す番組」な部分に時代性を感じながら実は贅沢な作品だった事を噛み締めていようと思います。

毎週、新しい怪人が現れ、それを倒す。
当たり前の様で、凄い番組だったんですね。

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