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現代の生まれ出づる悩み

ここ最近、様々な人と関わっている。
それは自分自身を見つめなおすいいきっかけになっているとともに、
様々な人の生まれて育った環境を考えて、自分がどうあるか、自分がどうするべきなのか考えたnoteである。
(とても長い文章だと思われる)

私は、以前のnoteでも話したように、大変恵まれた環境で育ってきた。
裕福な家庭で育ち、両親は仲が良く、祖父母たちは私を溺愛し、兄はまるで父親のよう。
家族がいれば満足だったし、友達も少なくていい。

けれど、最近出会う子達は、私の真逆の人生を送ってきた。

彼女たちはその複雑な家庭環境から
・常に人の機嫌をうかがう
・争いごとが苦手
・誉め言葉を素直に受け取れない
・他人に愛情を求める

何よりも驚いたのが
・物事を聞かれたら、頭の中で紆余曲折して、ネガティブに捉える
その子の例えが、
ドライブをしていて、「あとどれくらいで着くの?」
こう聞かれただけで「急いでいるのかな、早く帰りたいのかな」など考えを巡らしてしまう。

複雑な家庭環境で育ってくると、何事にも敏感になり、生きるのが大変そう。

私は
・褒められたら素直に嬉しい
・他人をすぐに信用してしまう
・言われた言葉をそのままの意味で受け取る
・はっきりと自分を主張できる
・自分一人に認められればそれでいい

よく私は、人から妬まれることが多かった。
「親ガチャ成功したね」
「家族と仲良すぎじゃない?」
「いい加減家を出ていきなよ」
なんで、皆は自分の家族を大切にしなくて、自分を卑下して、生んでくれた親を感謝しないのだろう
そう邪険に思っていた

けれどそれは複雑な家庭環境で育ってきた人たちからのSOSであると理解できた

この日本社会は「家族を大切にしなさい」という風習が未だにある。
古くの武士社会からの教えであり、天皇陛下の教えでもあるから(儒教の教えや教育勅語の内容でもある)

だから巷のSNSや、恋愛系インフルエンサーの本には
付き合っちゃいけない人の中に
「家族を大切にしない人」
が必ず入っている。

家庭環境が複雑だった人にとって
「私の何を見て、私を悪人だと思うのよ!ちゃんと私の人と成りを見てよ!」
これが真理だと思った。

私が接してきた、家庭環境が複雑な人たちというのは
とにかく優しさに満ち溢れている

それは家族から与えられなかったからこそ、自分が愛を与えていこう
そんな優しさなのではないか。

だからこそ、私に愛情を向けてくれる人には、最大限の愛情を与えたい。
サポートしたい。

そう考えると、私を含む
「家族からたくさんの愛情を受けてきて幸せが当たり前、自分の物差しでしか判断できない人」
というのが付き合ってはいけない人なのではないかと思う。
私たちは自分の物差しでなんでも判断する。これが当たり前なのに!と
それは当たり前を受けられなかった人にとってはナイフで刺されるくらいの強い痛みだというのに。ナイフで刺したことにすら気づかないのだ。

親から大切にされていない人たちが、学校教育を受けてきて、
国語や道徳の内容のように、親を大切にしなさいという教えは
どれほど苦しいものなのか

親から愛されることが当たり前のこの世の中で、当たり前を与えられない人の世界はどんなものなのか

そう考えると、私もできて当たり前のことができない。
関節リウマチで、缶やペットボトルの蓋が開けられない。
メンタルの病気の後遺症で、一度にたくさんのことを理解できない。

それを私は、周りはできて当たり前だから、できないと言うのは相手に申し訳ないし、できないと言うと相手はなんて言うのだろう。と言えずに生きてきた。
だから陰でオープナーを使ったり、店員さんに頼んだりしてきた。
それとともに、ペットボトルすら開けられないくらい力が弱いんですね(笑)
と笑われたり、
これこの前言いましたよね??なんで覚えていないんですか??
と言われるのが苦痛で仕方なかった。

これらは病気になってからの悩みだけれど、生まれてからの悩みというのは、どれほどの苦痛なのか、考えると涙が出てくる。

他の裕福な家庭で育った人間たちが、一生理解しないで生きていくなら(日本の政治家たちも含む)
私がなによりも、理解していって、彼らに居場所を作ろう。
そう思うと、自分の対話のカフェの在り方がまた理解できてきた。

私は自分自身が愛を知らない人間だと思い、愛を知りたいと思っていた。
けれど、私は当たり前に愛情を受けてきたから、愛に溢れてることを理解できていなかったのだ。
だからこそ、当たり前な愛情を受けなかった人に、私が受けてきた愛情を与えたい。
その人の人生と人格を全て愛していきたい。
そう思う。

なにより、このような素晴らしい家族で生まれた自分、親、神様に感謝しなければならないし、
最近出会ったお友達が
私のことを見ても、引かずに、邪険に思わず、親しみを持ってくれる。
それにも感謝しないといけない。
病気になったからこそ習得した人の痛みが分かるという特技に感謝しないといけない。
だから今日は氏神様にご挨拶しに行く。

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