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悪いお姉さん百合祭/夜宴

 ───ようこそ、こちらはフォロワーさん500人到達感謝企画の一端としてお題を募集させて頂いたものです。
 無垢な少女を誘惑し、いけない世界へと誘う8の百合物語をどうぞお楽しみください。

【蜂蜜の沼へ堕つ】
お題:24時間甘やかして、骨抜きにしてしまうお姉さん

 琥珀色の液体に、腑の底まで沈む夢を見た。

 息をしようと口を開いても、流れ込んでくるのは甘い液体だけ。体の中身を丸ごと置換されてしまったかのように、私の体はこれこそ幸せだと訴えかけ、酸素など私にはもう必要ないのだと信じながら溺れて、そして───。
 令子さんの胸の中で目が覚めた。
 柔らかくて、温かくて、汗の混ざったいい匂いのする肉に包まれ、本当に幼い頃には身内から抱擁の1つも受けたはずなのだけれど、これが初めての経験でかつ人生において求め続け来たもののように感じられて、毎朝のように私は泣きたくなる。
 令子さんはとうに起きていたようで、私の背中を何度も、何度も撫でながら、そっと耳に舌を差し込んでくる。「おはよう」に混ざる、くちくちという水音。脳がかき回され、支配される。涙の質は切ないそれから、抑えがたい生理反応へと変わっていた。

「感じやすい梨々花は可愛いけれど、こんなに敏感だと少し心配になる。気持ちよくさえしてくれるなら、どんな女の人にでも付いていってしまうんじゃない?」
「私、は、令子さんだけ、です」
「顔が可愛すぎて信用できないなー、これは24時間見張ってないと」

 令子さんはすごく悪そうな笑みを浮かべると、背中を撫でていた手をお尻と、足の付け根を伸ばして行く。朝ごはんは、と空気を読まないことを言いそうになったけれど、すぐに令子さんの胸を甘噛みしてごまかした。
 誰かに抱き締められ、体を触り合い、ほほえみを向けられる。私が覚えていないか、本当に体験していないか定かでないそれらに、朝から溺れて堪能する日々。
 同時に、もう2度と私は1人で立つことはできないのだろうなという実感が胸を過ぎる。今のこの状況が幸福ではなく、ひたすらに続く堕落なのだと。かすかな腕の痛みと共に再確認した。

 ありふれた話なのかも知れないが、これまで生きて来た15年の間、家族の愛情は姉にだけ注がれてきた。要領も器量も私より上で、意味なく私の腕をつねりあげたり髪を引っ張たりされてなお憧れたほどに、姉は魅力的な人だったのでそれも仕方ない。
 母がかつて通っていた名門女子校を2人揃って受験することになったのも、私はおまけの世話役程度の認識だったのだろう。まさか私だけが合格し、姉が補欠にすら引っかからないとは、誰も予想していなかったはずだ。少なくとも私は予想していなかった。
 姉はメチャクチャに取り乱し、父と母はそのことを理由に私を殴ったり蹴ったりした。これまで最愛の娘の付属品、弾除け、よくてスペアのような存在が、彼女の心を蝕んだのだから、親としては当然の対応だったのだろう、多分。
 やがて、殴られ過ぎて腕が変な方向に曲がった頃、姉は包丁を手に私の前に立った。両親は止めなかった。この人たちにとって、もう私に価値は無い。むしろ幸せを奪う敵なのだなあとぼんやり考え、ならもういいかと思い立ち。
 折れた腕を鞭のように振り回して姉の顔面を打ち、彼女に両親が駆け寄っている間にさっさと家を飛び出した。
 そのまま走って、走って、走って。
 走れるような状態じゃないと体が思い出してしまい、倒れ込んで痙攣した。
 割と深く擦りむいた膝から血が出ているのを感じたし、腕は気絶すら許さないほどの痛みを発し始めていた。けれど、もうどちらにも構うことはできなかった。
 このまま居眠り運転の車でも来て轢かれれば、徹底的に悪趣味なコメディみたいで少し面白いかも知れない。
 暗い妄想でくつくつ笑っている時に、私は令子さんと出会った。

 出血するほど傷だらけで道路に横たわり、薄暗い笑みを浮かべている、腕の曲がり折れた少女。
 あの時は気にする余裕は無かったけれど、それなりに多くの人に目撃され、かつ声をかけたり近寄ったりする者がまるでいなかった程度には異常な状況と存在だったはずだ。
 令子さんはそんな私に近寄り、声もかけずにひょいとお姫様だっこで持ち上げると、そのまま近くの病院まで運んだ。
 保険証も持っていないから結構な値もしただろう治療費を払い、親に連絡をとしつこく迫るお医者さんや看護師さんを全て無視して自宅へ連れ帰ると。
 1日中。本当に比喩でも何でもなく、24時間ずっと私の体を徹底的に愛撫し、快楽を教え込み、徹底的に開発して、染め変えてしまった。
 怪我をしている少女になんてことを、と人に告げれば言われてしまいそうだが、私としては腕や膝の治療よりも遥かに私と言う存在の“補填”がされた時間だったと思っている。
 ぐずぐずに崩れかけ、様々な物が零れ落ちていた私は、令子さんと体を重ねることで修復されたのだ───ただし“別の私”へ。
 仮に元居た家に戻っても、私はきっと姉や両親と暮らしていくことはできない。私が土下座して許しを請うとか、逆に彼女たちがこれまでの行いを心から反省するとか、そんなことがあったとしても無理だ。
 私の体中に空いていた穴、欠けていたピースを埋めた甘い甘い液体は、令子さんの側を離れればドロリと溶けて流れ出してしまう。
 今の形を覚えてしまった以上、残骸めいた姿に戻った私に待っているのは、きっと死だけだ。死にたくないのかと言われれば、少し前ならまだしも今は死にたくない。死んだら令子さんに愛してもらえない。
 だから、令子さんの手の中で蜂蜜の塊になるまで愛され続けることだけが、今や私の唯一生きる道なのだ。
 そう安心しているからこそ、私は朝から抱かれた気怠い感覚の中で、令子さんへと問いかける。

「もし、私がもう少ししっかりとした自我のある娘だったら、令子さんは今みたいに愛してくれましたか?」

 令子さんは私の頬を優しく押して広げ、上から見せつけるように唾液を口内に注ぎながら微笑む。

「そんな訳ないじゃない」

 その答に心の底からホッと安心して。
 これまでの私の人生すべてにようやく感謝できると考えながら。
 私は令子さんの唾液をこくり、こくりとわざわざ音を立てて飲み干した。
 甘い甘い、愛色の蜜。
 私の中がまた少し造り変わり、堕落の沼のぬるさが身の隅々まで染みた。


【全て曇らせ、報復の刃】
お題:亡国のエージェントと復讐に燃える少女

 まるで地獄の様な出来事の横行する現世ではあるけれど、3度も生きる理由を奪われた人間はそう多くないのではないだろうか。
 1度目。とあるフルダイブ式VRゲームを利用した人身売買に絡み、母の体は売られ、父は殺された。
 2度目。復讐を誓ったのとほぼ同時に、ゲームを運営していた企業とそこが掌握していた小国が滅亡した。
 そして、3度目が今。せめて父を殺めた実行犯にだけは裁きを下すはずが、国の重役たちをあらかた殺めたのはこの殺し屋の女性で、しかも彼女自身から“殺せるようになるまで鍛えてやる”と言われている。
 この世に神など居ないと両親が亡くなった時は思ったが、あれは大いなる勘違いだった。神は居る。私のことを特別こき下ろして、道化として遊びつくしたいに違いない。

「他の国を任務で回る内に気付いたの。私たちは世間的には悪と呼ばれる存在であり、滅ぶべきだと。調度、国を実質支配してた企業の社長と娘がごたごた揉めたらしくてね、そこに便乗して皆殺しにした」

 そんなとてつもない内容を雑談のように話しながら、彼女は私の膝を正確に蹴り抜き、地面に倒れた私の太ももを靴底で踏み躙る。絶叫が迸り、強制的に激しくなる呼吸に合わせて涙が滲む。彼女は表情1つ動かさないままに「ごめんね」と告げた。
 某国が開発していた極めて特異な超技術。MMOを利用して人間の精神を327MBのアプリケーションに変換し、空の体へと自在にインストールするという狂気のテクノロジー。
 それが生み出した2つの悪魔の種子。片方がゲームを利用した人身売買、そしてもう1つが彼女の様な“輪廻兵”と呼ばれる半不死の兵士。
 死亡直前まで追い込むことで技術と精神性を逸脱するほどのレベルで先鋭化させ、複数の体を転移することで完成する悪夢の兵士たち。例え殺そうとも復活し、しかもクローン兵の類と違い、1回ごとに容姿が変わるために報復への警戒がほぼ不可能。
 大富豪の息子の奇跡の生還!という大々的な再会放送中に、富豪が入れ替わっていた輪廻兵に刺殺されるなどというショッキングな事件すらあった。
 彼女はそんな輪廻兵の最期の1人。祖国を滅ぼし、世界に散っていた輪廻兵たちを次々と手にかけ、自分だけ目的を達成した、私の仇にして復讐の簒奪者だ。
 某国の滅亡の理由や、世界中で引き起こされる突発殺人の真相など知らないままに彼女に辿り着いた私は、その人生の厚みも、使命の重さにおいても敗北し、ついでに言えば染みついた防衛本能によって繰り出される防御行動の前に成す術無く半殺しにされた。
 しかし、彼女の方は大いに私のことを気に入った。気に入ってしまった。

「憎しみと悪意の連鎖は断ち切らなくてはいけない。私は自分の罪の重さと向き合い、贖いを続け責任を果たしてはきたけれど、裁きはやはり被害者の手によって成されるべきだと思う」

 そう言って完全に自分の世界へ入り込んだ彼女は、私を彼女の防衛本能を超えるほどの殺人者へと鍛え上げると言い出した。そして今、こうして私を転がして痛みを加えては、自分の理想の最期をもたらしてくれる告死者の育成に励んでいるという訳だ。
 ───本当に、ふざけるなと言いたい。
 彼女の人生を物語として捉えた場合、その端役に当たるのが私だ。人生の節々にちらちらと映り込み、自身の大目標を達成後に訪れた“自分自身の夢”を達成するための夢のカケラ。
 両親を失い身を焦がすほどの憎しみや悲しみに焼かれたことも。
 復讐対象を失い虚無に呑まれかけながら生きる理由を探したことも。
 自分の命を投げ出す覚悟を以て復讐と人生の総清算に来たことでさえも。
 この女の物語の中では全て添え物。蝶の羽ばたきが竜巻を起こすとしても、私はその竜巻に呑まれて喘ぎ続ける地虫だと知らせてくる存在。
 そんな相手が、私の最期の希望を自身の人生プランの終端に嬉々として組み込んでくるのだ。ふざけるなと言いたくなる気持ちも解るだろう。
 殴りかかったところで、腕を取られて投げ飛ばされるだけなのだけれど。

「大丈夫、私は最強にして最後の輪廻兵。謂わばこれまで無数に積み上げて来た“死”の頂点。私の指導があれば、貴女はきっとそれを“生”で征することになる」

 一切表情の浮かんでいない、唇すら動かしているのか怪しい能面顔で、しかし声だけはまるでクリスマスプレゼントを待ちわびる少女のように弾ませて、彼女は私の体を引き起こすと、掌底で吹き飛ばして住居である東屋の壁へと叩きつけた。
 与えられた使命に疑問を持ち、罪を贖う為に黒幕たちを皆殺しにした。
 これ以上の被害は起こることは無く、あるいは技術の性質を考えれば世界を救ったとすら言える大偉業。
 その上で、私の様な個人の復讐者の意図に寄り添い、目的の完遂へと共に尽力する。
 物語の主人公のような要素を並べ立てられるこの女だが、やはりその本質は邪悪なのだと確信する。こいつは人の人生や命を、どんな形であれ食い物にし続けることでしか生存できないのだ。
 性格が穏やかとか倫理観が備わっているとか関係ない、存在としての邪悪。吐き気を催す、他者への絶対干渉・浸食者。

「よく頑張ったね、続きは明日にしよう───信じてるから」

 ひくひくと指先を動かすくらいしか出来なくなった私を抱き起し、肩に顔を埋めながらそんなことを言って来る。
 舐めるな。私はお前の信頼なんてものに応える為にやってるんじゃない。お前の物語に組み込むな。お前の脇役にするな!
 そう頭では何度も何度も叫んでいるのに。
 大切な人を失ってから、ずっとずっと心の底にへばりついていた孤独が顔を出し、問答無用に彼女の心へと共感を示そうとする。自分が楽になるために、抗い続けることに疲れただけであるのを誤魔化すように、敵討ちだってしてくれたじゃないか等と嘯きながら。

「大好きだよ、私の天使様。神様なんて信じていないけど、貴女は信じている」

 黙れ。お前の愛は侵略だ。
 そう懸命に抵抗しながらも、何時か彼女を殺めた時、泣いてしまったりするのかなとふと思い、心からゾッとした。


【夜に散歩しないかね】
お題:夜遊びを教えるお姉さん

 わが家のゴミ出しは私の仕事。朝に少しでも寝ていられる時間を確保する為に、見られるとうるさい人の目を掻い潜り、夜中にこっそり出しておくことが習慣になっていた。
 けれどその日、ジャージ姿で両手にゴミ袋を抱えた私が遭遇したのは、ちょっと珍しい感じのお姉さんだった。
 そろそろ寒くなって来たのに肩を出した服を着て軽く上着を羽織り、顔は夜中なのにメイクばっちり。明らかに夜のお仕事の人。
 なんだか自分がお姉さんとは別種の生き物に思えてきて、ゴミだけ置いてすごすごと家に戻ることにする。

「ねえ、あなた。少し一緒に散歩しない?」

 そんな背中にかけられる声。なんですか、私をアクセサリーとしてお月様にでも見せびらかすんですか?なんて気の利いた言葉が出てくるはずもなく、私は全然知らないお姉さんに向けて「ん、あ、はいぃ」等と呻いて同行することになった。
 いざ並んで歩きだしても、お姉さんは特に何かを話しかけてくる訳ではない。ただ私の方を時々見つめてはニコニコしている。やめてください、私は怪奇ジャージ女なんです。ジャージーデビルなんです。
 とにかく誰にも見られませんようにと、ゴミ出しの時以上に祈っていると、お姉さんがいきなり私の手を取って来た。柔らかい感触に、振り払うことも忘れてしまう。

「やっぱり。爪がとてもキレイ」
「そ、そっすかねぇ」
「ええ、健康な証拠。夜更かしとか、全然しないでしょう」

 1分1秒でも長く寝ることに血道をあげる私にとっては、もっとも縁のない言葉が夜更かしだ。とは言え、こんな風に謎の散歩なんかしちゃっている訳だけど。

「いいことね。夜の楽しみなんて、知らない方がいいわ」
「それ、お姉さんが言っちゃいます?」
「ええ、後悔してるの、ずっと」

 そう言って、お姉さんは自分が夜の町に入った契機を話してくれた。

 ───心の底から後悔していた。
 ちょっと遅い時間に、友達とカラオケ。大人になったみたいで楽しいなんて無邪気に思っていた数分前の私を引っぱたきたい。
 しばらくしたら明らかに“それ”系の男たちがやって来て、女の子たちとべたべたし始めた時点で、自分が友人では無く“商品”として此処に呼ばれたことに気付けたのは幸いだったのだろうか。
 気取られないように笑顔を張り付けて、トイレに行くフリをしてお金だけ置いて逃げ出そうと考えていたのだけど、同じ臭いのする男性が店員とへらへら笑いあっているのを見て、慌てて本当にトイレに飛び込んだ。
 考えすぎかもしれない、けれど店員までグルだったらどうやって逃げたらいいんだろう。警察に連絡?まだ何もされてないとか言われるのがオチじゃないか?
 閉じた便座に座って泣きそうになりながら震えていると、外からノックされた。まさかトイレにまで入り込んできたのかと青くなったけれど、聞こえて来た声は覚えのない女の人のものだった。

「大丈夫?体調が悪いの?」

 なんと説明したのかは、正直覚えていない。支離滅裂に助けを求めたのだけは覚えていて、気付けば私は女の人に連れられて夜の町を歩いていた。
 少しずつ落ち着いてくると、隣のお姉さんが非常に艶やかな……水商売の人と思わしき容貌であることに気付き、彼女が私と手を組むようにして店を連れ出してくれて、店員と話していた男が絡んできたのを一言、二言で撃退してくれたのを思い出して来た。

「あ、ありがとう、ございます!」
「今さら?」

 笑って言われた通りなのだけれど、一気に気が抜けてしまった私はそのまま路上で座り込み、引きずるようにしてお姉さんのお店で寝かされることになった。制服は流石にまずいということで、上着を脱がされて体にかけられる。
 勝手にイメージしていたような騒々しさや、俗悪さはその店からは感じられなかった。聞こえてくるのはかすかな笑い声とグラスを傾ける音くらい。
 接客している人は勿論、お客さんも女の人しか居ないようだった。隣でお姉さんがお酒をちびちびと舐めながら「そういうお店ってこと」と短く説明してくれた。
 結局、お姉さんのお仕事が終わるまでずっと私は寝っ転がっていて、彼女が呼んでくれたタクシーに一緒に乗って、そのまま家まで送ってもらった。
 別れ際「待ってるわ」とお姉さんに言われた。こういう時って「もう危ないことしちゃ駄目よ」とか言うものじゃないだろうか。
 考えてみればお姉さんはカラオケで何をしていたのかという話になる。助けてもらった形だけれど、決していい人ではないんだと、走り去るタクシーを見つめて思った。
 お父さんとお母さんに頭の形変わるくらい叩かれ、勝手に帰ったことを詰る友人たちには絶交された。身軽になった私はバイトを始め、溜めたお金を手にしてお姉さんの店を訪ねた。お姉さんは「やっぱりね」とほほ笑んで、私を迎えてくれた。
 お酒は20歳になるまで飲まなかったけれど、それでも私の生活が夜の一時を中心に据えたものになっていくまで、然程時間はかからなかった。

「───それから、どうなったんですか?」
「別に。お金を稼ぐ手段がバイトから夜のお店に変わって。そうなると当たり前だけど別の店に行く時間なんて無くなって。それっきりよ」

 さっきからずっとお姉さんは私の手を握ったまま、話を続けている。正直、手汗とか気になって来るんだけど。そう思い始めた矢先、パッと手が離された。

「散歩に付き合ってくれてありがとう。それじゃあ」

 結局どういう意図によるものだったのか、お姉さんは背を向けて離れて行こうとする。何を思えばいいのか、何を口にすればいいのか、全て定まらないままだ。
 ふと掌を見ると、少しだけ湿ったそこに小さな紙を見つける。書かれているのは、何処かの住所。
 思わずお姉さんの方を見つめる。
 お姉さんもこちらを見つめていて、月明かりの下でゆっくりと口を動かして見せた。

「待ってるわ」

 もう振り返らないお姉さんに対して、私はずっと、寒くなってくしゃみが出るまで、その場に突っ立っていた。

「帰って、寝よう」

 わざわざ口に出したそれが、私の最優先で居られるのは何時までだろう。


【英恵のがんばり物語!】
お題:精神的に追い込んで依存させるお姉さん

 おはよう、英恵さん。
 今日も元気いっぱい、あら、どうしたの?なんだか少し、沈んでいるように見えたから。
 気のせい?だったらいいの。まだ会社に慣れてないところもあると思うし、休むの仕事だって忘れないでね?ん、よいお返事!
 それで、お仕事はどのくらいの進捗か教えてもらえる?昨日は少し残りたいって言ってたから心配してたの。残業は、仕方ないところはあるけれどあまりおススメできないからね。手伝ってあげればよかったかなって思ってたし。
 うん、うん、あれ?ほとんど進んでないよう見えるけれど。もしかして、昨日はやっぱりすぐに帰ったの?
 ああ、そんな沈んだ顔しないで!できなかった理由があるのよね、解るよ。別の仕事を押し付けられたりとか、雑務が山積みされたりとか。残ってた人たちも全然手伝ってくれなかったんでしょう?酷いよね、こんなに英恵さんは頑張ってるのに。
 英恵さんが優しいのは素敵なところだけど、駄目。その考え方は駄目よ。まだ入社したばかりで、仕事のいろはも完全に解ってないんだから。そういう人を最優先で助けてあげるのが、巡り巡って自分の為、会社の為になるの。手助けしたら力が付かないとか、完全に勘違い。時代遅れなの、そう思うでしょう?だから、悪いのは英恵さんじゃなくて周囲のみんなよ。
 ああ、ちょっと、腹が立って来たかも。ひとこと言ってあげないといけないわね、英恵さんを困らせて何が楽しいのって。真面目に仕事をする気があるのなら、困っている同僚を助ける度量くらい見せたらどうなんだって。
 いいの、英恵さんはそういうの言いにくいよね?新人さんだし、優しいし、周りの怠慢を自分のせいにしちゃうくらい慎み深い人だもんね。だから私が代わりにきっぱり言ってあげるから。英恵さんを困らせる人は私が許さないからね?
 私は、できるかぎり英恵さんの味方でいたいと思ってる。だから、私の行動が迷惑になってたり、私が無理に仕事を押し付けてるところがあったら遠慮なく言ってね!ほら、遠慮なく、ほら!無い?だったらいいの、良かった。
 じゃあ、早速だけど昨日の分の仕事、終わらせちゃおうか。大丈夫、多少は慣れてくると、これくらいの仕事ならあっという間にできちゃうようになるから。朝礼前に終わらせちゃうわ。いいの、お礼なんて。昨日助けてあげられなかったお詫び。
 うーん、かしこまらせたい訳じゃないからなぁ。あ、それじゃあ、コーヒーを入れてきてくれない?私、朝が弱くって。今日は少し寝坊して、コーヒー飲むのを忘れて来たの。
 英恵さんの手ずからのコーヒーだったら、きっとすごく美味しいんだろうなあって思うし。ごめんね、飲み物汲むなんて嫌かな。嫌かな?ふふふ、ありがとう。
 あ、早いね。こういう気遣いって本当に仕事でも大事だと思う。欲しいって思ったものをすっと出せる、できる人の素養だよ。英恵さんにはそれが備わってるっていう証拠。謙遜しないで、本当にそういうところは尊敬してるんだから。
 はぁ。あ、違うの、仕事は本当に大したことじゃなくて。このため息はね、どうして英恵さんの良さがみんなには伝わらないんだろうって。だって、そうでしょ?
 こんなに頑張り屋さんで、可愛らしくて、気が利いて、なのにみんなからは誤解されてる。仕事は遅い、無駄に残業する、先輩の陰に隠れておどおどしてる、はっきり物も喋らない。全部誤解なのにね。私は解ってるよ、ホントはとっても素敵な人。
 ああ、泣かないで!私がそう思ってるんじゃないからね!みんながそう思って、こそこそ言いふらしてるだけだから!
 本当にいやらしいよね、やり口が。自分たちがろくに指導も出来てないから英恵さんが困ってる、そんな当たり前のことにも気づけないんだから。グズだとかどんくさいとか、自己紹介だよ。自分の嫌なところを相手に押し付けて悪く言うの、私、大嫌い。
 英恵さんだけだよ、この職場でまともなの。私だって、何回辞めてやろうかと思ったか。ふふ、意外だった?これでも見た目よりは繊細なんだよ、私。
 私が指導した子たちも、次々辞めさせられちゃってね。みんな、新人を目の敵にするみたいに。結局長い目で見れば自分たちの首を絞めてるのに、最低だよ。今でもみんな、私にだけ連絡くれるんだよ。それだけ、ここの職場がまともじゃないってこと。
 あれ?英恵さん、ちょっとだけ不機嫌じゃない?もしかして、嫉妬とかしてくれたかな?
 あはは、そんな風に照れなくても。それにあんまり否定し過ぎたら、私のことを何とも思ってないっていうアピールになって悲しいんだけど。うん、よろしい。
 大丈夫、いろいろ相談に乗ったりしてあげてるだけ。今の私は、英恵さんの指導とサポートで頭がいっぱい。英恵さんを一番に考えてるからね。
 さ、昨日の分はもうおしまい!そろそろ朝礼が始まるね。一緒に行こうか。みんな、ちょっとした一挙一足にケチを付けようとムキになってるよ。英恵さんが1人で居たら、立ってるだけで文句つけてくるに決まってる。解るんだよね、そういう空気って。
 大丈夫だよ、私が守ってあげる。私の目が届いてる間は、英恵さんに文句なんて言わせないよ。ちょっとくらい失敗しちゃっても平気、叱ったりしないから。
 あんなの、自分の苛立ちをぶつけてるだけで、ちっとも効率的じゃないよ。怒られたら委縮してますますミスするってことくらい誰でも分かるよね。それが分からないような相手には近づいちゃだめだよ、いいね?
 ん?嫌だった、手。これくらい、先輩後輩だったら当たり前にするよ。私としては、もっと英恵さんと仲良くなりたいし、いいでしょう?こういうスキンシップって大事だと思うよ。
 ああ、けれど気を付けて。私以外の誰かがこういうことをしてきたら、きっと下心があるか、英恵さんを陥れようとしているかだからね。信じちゃだめだよ、周りは優しい英恵さんを食い物にしようとしてるんだから。
 じゃあ、行こうか!私たちの仲良しぶり、職場のみんなにも見せつけちゃおう!今日も1日がんばろうね、英恵さん!


【鉄球事変】
お題:パチンコばかりやってるお姉さんと世話する娘

[×月〇日]
 お姉さんが今度こそパチンコをやめてくれると言いました。
 真面目にバイトをしたりして、今まで借りたお金も全部返してくれるそうです。
 周りが散々あれこれと言ってきましたが、結局お姉さんの本質はこれです、この真面目さこそが本性なのです。
 そもそも、真面目一徹で遊び心を知らないような人は、むしろ却って何かの拍子にバランス崩してしまいそうで、私にはまったく信用なりません。
 けれど、世間からあまり褒められない(私はそれでも好きですけどね!)ことを経験してから改心した人は、世の酸いも甘いも知っているので信用できると思います。
 お姉さん、お支えするから一緒に頑張りましょうね!

[×月□日]
 久しぶりに回したらそこそこ勝った。
 やっぱりこう、追いかけ過ぎてはいけないんだと思うわ。
 目先のものに一直線、こんなん人じゃない、猪ですやん。
 私は賢い人間さんだから、時には引くことも離れることも知っている。結果的にこうして勝利を手に出来るってワケ。
 この辺が理解できない奴は服着て二本足で歩いてても獣と一緒だね、やだやだ、ダサすぎ。
 景品で一番安いチョコレートも1つ代えた。これでまあ、納得するでしょ。あの娘、私に関してはかなりのアホだから。

[×月△日]
 今日は懺悔から始めなければいけません。
 お姉さんを脅すような真似をしてしまいました。真面目に働いてくれないなら、これ以上お金を出せませんと。
 あの時のお姉さんの悲しげな顔、傷付いた眼。
 あれをみた瞬間、私は自分のあまりの愚かさに震えそうになりました。つまりそれは、お金を盾にしてお姉さんを好き勝手にしようという、薄汚い企みだと気付いたのです
 私とお姉さんの間に確かにあったはずの絆を、私は「金で買ったもの」に貶めたのです。許されるはずがありません。すぐに頭を床にこすりつけて謝って、手持ちのお金を全て誠意として差し出して許しを請いました。
 お姉さんは、渋々という様子ですが私を許してくれたようです。
 優しいお姉さん、もう2度と貴女の気持ちを試すような真似はしません。これで許されたなどと思わず、今後の行動で信頼を取り戻していければと思います。

[×月◇日]
 私ってセックスの適性ないと思うんだよね。
 それなりにやってきてるから、舐めたり裏返したりはそこそこ上手いんだけど、なんかこう、ひりつく感じが足りなくて満たされないというか。
 何人か前の財布、もとい恋人が言ってた。女を抱いて悦ばせて金貰えば、ギャンブルよりは多少は健全だって。ま、自信はあるよね。
 でも、それでは私自身がさっぱり満たされないんだよなあ、気持ちいいとは思うし、好いてくれてる相手が喘いでるの見たら可愛いとは思うんだよ?そこは別に逸脱して無いしね、私。
 でも、パチンコにあるあの真剣勝負感が無いんだよなあ。私、味方と向き合うのは向いてないんだわ。敵と真剣勝負するのが向いてる。戦士のブラッドが燃えてるんだよ、体の中で。
 だから抱いて金取るのは無し、なんか私のプライドが傷付く。
 けどまあ、明日の軍資金がちょっとばかり不安ではあるので。自らの誇りを折って、受け取っておくとしよう。
 誇りよりも勝利を。くぅ~、映画化したらヒットしそうだね。無いか。

[×月▽日]
 親しき仲にも礼儀あり。近しき仲こそ垣をせよ。
 お姉さんのことを分かったようなつもりでいたせいで、またお姉さんを傷付けてしまいました。
 部屋が散らかって、もといお姉さんの好みのレイアウトが少し極まってきていたので、ゴミを片付けて雑誌などをまとめました。山ほどのギャンブル雑誌、お姉さんほどの人でもこれほど勉強しなければ勝てないのかと改めて感心しました。
 ですが、戻って来て部屋を見て最初に「なんてことしてくれたんだ!」と。
 なんでも、私がこうやって無断で掃除をしたせいでツキが落ち、今日の勝負に負けたに違いないと言うのです。
 運気天命については私の様な若輩ではまるで理解が及びません。そのような物理法則を超えた結びつきの様なものもこの世には存在し得るということでしょうか。
 必死に何度も謝って、遂には頬を打たれるまでになりましたが、すぐにお姉さんは優しく抱きしめて謝ってくれました。
 私の不理解のせいで傷つけてしまったのに、やっぱり私はまだまだ子供、お姉さんは大人なのだなと再確認しました。
 そのあと、2人でラーメンを食べました。美味しかったです。

[〇月×日]
 そろそろかなあとは思ってたよね、正直。
 手が出た時点でもうアウトだよね、相手のこと許せなくなってる
 金出してくれるから大抵のことは許せるし、好いてくれてるから機嫌がいい時は返せるけどさ、もう資金源として許せることと許せないことがある訳よ、やっぱり。
 嫁かなんかみたいなつもりなんだろうけど、この調子で私の運気落とされ続けたら破滅だわ。お互いの為にお別れ時だネ☆

[ 月 日]
どうして?

[ 月 日]

[×月〇日]
 3年ほど前の日記を見つけた。
 当時の私は、なんと愚かだったのだろうと思う。正気と言うものが根本から欠けたような文章に、本当に私が書いていたのだろうかと戦慄する。
 それでも、あの出会いと日々が無為では無かったと思いたいのは、ちっぽけな自己愛を守る為だろうか。
 そう言えば、街中であの人を見かけた。女に頬を張られていた辺り、同じことを繰り返しているらしい。
 あの日と同じ、美貌や若さをすり減らしている感すらない、まるで変わらない目と顔立ち。
 これ以上は近づかない。絶対にだ。恨み言など言う気はない。無いんだ。
 けれど、何か言う権利はあるんじゃないだろうか。怒ったり、叱ったり、そういうことをするくらいの権利は。
 いや、駄目だ。私は正気を欠いている。馬鹿にならぬよう、日記にも書いておこう。

[×月□日]
 同じ財布ちゃんと付き合うのって初めての経験なんだよねー。
 まあ私のあれこれとか分かってくれてるし、新しく色々覚えてもらうよりずっといいんじゃない?
 それでも、今日も戦場に行ってきまーす(*^^)v


【私の居場所は1つきり】
お題:推薦をエサにして女子生徒を誘惑する女教師

 ───行きたい理由なんて、無い。
 推薦を希望したその大学を受験する理由は、私自身には1つもない。
 やりたいこととは噛み合わないし、遠くて通うのは大変だけど1人暮らしするほどでもない半端な距離にあるし、成績だって正直見合っていない。
 けれど、そこはお母さんが望んだ場所だから。ずっと通うのを夢見ていて、けれどそれが叶わなかった大学だから。代わりに私に行けという。それだけのこと。
 物心がついた時からずっと呪いのように囁かれてきた、とかならきっと私にも心構えはあったし、それこそが夢だと思い込むことも出来ただろう。
 けれど、高校に入ってすぐの頃、まだ受験どころか部活すら考えていない時に、母は唐突に自身の夢を語り出し「それ以外の大学は学費出さないから」と宣告した。
 私の高校生活にいきなり打ち込まれた杭は大いに影を落とし、そして今、夢と自我との間のズレを無理やり矯正するために、推薦入試に縋っている。
 その担当の先生が発した「志望理由は?」という第一声に、あまりにも基本の質問に私は答えられず、ぐちぐちと言い訳をするように先生へ家庭の事情を語り終えたところだった。
 担当の金森先生はさぞ困っているだろう、と思ったのだけれど、何だか不思議な顔をしていた。呆れている風でも無く、困っている風でも無い。それどころか、小さく微笑んでいるようにすら見えた。

「この大学、他にも推薦受けたい人居るの。知ってるよね?」
「は、はい」
「その子たちはみんな、この大学でやりたいことがあるから希望してる。夢の残骸じゃなくて、現役の夢の為に。それも解るね」
「はい……」

 先生の雰囲気はやっぱり説教臭い台詞と何処か噛み合わず、そっと体を寄せてくる仕草に何だかおかしなことが起ころうとしているのでは、という警戒心が湧き始める。結果を言うと、それはあまりに遅かった。

「推薦、通してあげてもいいよ」
「本当ですか!」
「ただし」

 先生の手が太ももにかかる。恋だの愛だのに縁のない生活を送ってきた私でも、その触り方に込められた湿度の高い情念を感じ取ることは出来た。

「見返りが欲しいな」
「見返、り?」
「そう。分かるでしょ?」

 先生の手がスカートの中に潜り込んでくる。
 嫌悪感は、自分でも驚くほど薄かった。何なら何処かでホッとしていたかもしれない。なんだ、この程度で推薦って通るんだと。
 ───その余裕が、あまりにも甘いものであることを思い知らされたのは、2回も果てているのに更に弄られ続け、意識が吹き飛んだ辺りだった。
 実際に推薦の話を通すのは今からまだ数か月後の話だと、先生は私の髪を撫でながら言う。

「その間、ずっと私を満足させてくれたら、考えてあげてもいいかな。私もね、やっぱり他の子たちの夢と向き合わなきゃいけないから」

 白々しい台詞を指摘することもできず、私はされるがままになっていた。
 私の人生の中で、3年間ずっと学生生活に張り付いてきた母の呪縛。それをあっさりと超えるほど主導権を奪われたのは初めてだった。
 ただひたすらに先生の欲望を、快楽を追及する為だけの人形のように扱われる。自分が自分であることさえ何処かで消し飛び、まるで先生の一部、感覚の延長であるかのようにすら感じた。
 それは多分、こういった形では無いものの、母が私に望んでいてそれでいて叶わないものをあっさりと成立させたような衝撃があった。

「これから毎週木曜日はこの部屋に来ること。それと、校内で急にしたくなったら何時でも応えること。守れる?」

 金森先生の微笑みに、私はひたすらこくこくと頷き続けることしかできなかった。

 金森先生は、私を脅迫して体を要求したなどとは思えない位、普段は地味というか、目立たない先生だ。
 美人なのだろうけど何処か野暮ったい空気を纏っていて、化粧っ気もないし、服装も毎日代わり映えせず地味だ。
 そんな彼女は今、着やせする大きな胸を私に吸わせながら、足の付け根に指を這わせている。されていることは極めて性的なのに、なんだか赤ちゃんになったような気がする。
 バレてしまえば、推薦どころではなくなる。2人揃って破滅だろう。けれど、私は先生に抵抗する気も無ければ、はっきりと拒否する気も無かった。
 それは母から強制された推薦の件が明確にかすむほどで、かと言って私が何かを望んでいる結果なのかというとはっきりと分からない。
 ただ彼女の欲望に付き合わされ続けるのは決して嫌な気持ちでは無く、私は従順に見えるほどに金森先生との関係を受け入れ続けていた。

「志望の大学だけど、私の家からなら結構近いんだよね」
「そうなんですか。先生、車でしたっけ」
「そう。だから、もし推薦が通ったら、私の家から通えばいいんじゃない?」

 それはあまりにも都合の良すぎる提案だった。要するに、この関係を推薦が通った後も続けろと、そう要求している。私にとっては何もメリットのない提案。完全なる脅迫行為。
 けれど。

「お母さんが、許してくれたら」
「ホント?なら今日中に挨拶にいくね」

 粘度の高い液体で濡れた指をわざとらしく舐めながら、先生は私にしか見せないような顔で笑う。
 ───本当にその日のうちに先生は私の家へとやって来て、推薦の話と合わせて私の同棲をあっさりと取り付けてしまった。
 これで正式に、私の推薦が決定したことになる。母はにたつきながら「やるじゃない」なんて言ってきた。多分、母が思っているのとは全然違う形での成就だと思うのだけれど。

「どんな気持ち?お母さんの夢を完遂しようとしてる訳だけれど」
「さあ。そっちは何だか茫洋として、何とも」
「じゃあ、私との関係は?」

 その問い掛けに対する答は私の中にはまだ無くて。私は受験生にあるまじきことではあるけれど、先生の質問に質問で以て返す。

「推薦、まだ取り消される可能性あるんですよね?」

 金森先生はそれを聞いて、声も出さず肩を揺らして笑ってみせた。
 こうしてみると、やっぱり先生は美人の部類だなと場違いに思った。

「そうだね。それじゃあ次の木曜日も、あの部屋で」


【大魔女誕生秘話】
お題:無垢な少女を悪の道に誘い込んで自分の配下にしようとしたけど、予想外に悪い子になってしまった少女に主従逆転されるお姉さん

 破壊。殺戮。腐敗。荒廃。殲滅。侵蝕。
 かつては都市があった場所を飲み込んでいく毒色の煙と、その影響の届かぬ上空で高笑いを上げる、表情の邪悪さ以外は愛らしい幼さを残す少女。

「あーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!滅べ!腐れ!悲鳴を上げなさい!あなた達が魔女と呼んだ私が!望み通りの力を手にして戻って来たわよ!」

 その傍ら、彼の少女に力を与えた病原の魔女・シウスガウスはと言うと。

「(ヤバい、やり過ぎた)」

 地上に広がりゆく地獄絵図にかなりドン引いていた。

 魔女。悪魔や魔神と呼ばれる超常の存在と契約し、この世に背徳と堕落を広げることを使命とする人害。見た目こそ多くは麗しい少女で構成されるが、1人の魔女が国1つを相手取り滅ぼしてみせることすらあり、人類種の天敵と呼んでも良い存在である。
 シウスガウスはその中でも特にいやらしく、陰湿な手段と愛らしい少女を偏愛する魔女であり、美少女の居る所へと飛来しては彼女たちの悪意や欲望を刺激し、大切なものや憎い相手を手ずから害させることで魔女として覚醒させる手口から“病原”の二つ名を持つ危険な存在である。
 そんなシウスガウスは今、新たな愛人にして同胞を求め、空からある光景を見守っていた。
 お定まりの魔女裁判。本物の魔女ならば少なくとも教会の似非聖職者などに捕まることは無く、対象となるのは当然ながら無辜の民。生贄を吊るし上げることで安心と加虐の快感を得る集団真理と、宗教の教化活動が噛み合った悪趣味な娯楽である。

「私は魔女です……この命を主に返します……私は魔女です……この命を主に返します……」

 鉄の棒にくくりつけられ、今にも火を付けられそうになっている、貧しさではその美しさを隠し切れない少女。彼女はひたすらに自らが魔女であると諳んじ続けており、それは自分が信じ込もうとしているというよりは、そうやって周囲に降りかかる悪徳を自分もろとも連れて行こうとする殉教者の心持であるように見えた。

「キヒヒヒヒ!いいじゃない、その無垢な心の在り方。そんな少女の心が怒りと悪意に満ち満ちて、自分の意思で復讐完遂!これぞ私の大好物ってワケ!」

 シウスガウスは颯爽と箒を駆って処刑場へと乱入すると、兵士たちを蹴散らし、鉄の棒を微塵に砕いて、状況を理解できていない少女を乗せて飛び去る。この間、たったの5秒。熟練の技である。

「キヒヒヒ!良かったねぇ、生きてて。人間どもは本当に酷いことをする!」
「あ、あなたは、本物の、魔女?」
「その通り、“病原”の魔女シウスガウス。君を同族へと変えに来た」

 キメ顔で言ってのけるシウスガウスだったが、どうも少女の反応は鈍い。いや、鈍いと思ったのは勘違いで、本当は───過剰だった。

「魔女様が助けに来たということは!ああ、そうか!私は本当に、本当に魔女だったんですね!人間だと自分を思い込み倫理や良心で枷をしてきたことが嘘のように心が晴れやかになっていきます!」
「え?あ、いや、君はまだ魔女にはなってな」
「そう考えたらあの人間ども!教会の豚どもに卑しい街の連中!魔女である私を処刑しようとするなんて許せない!復讐、しなきゃ!奴らを殺しつくさなきゃ」
「えっと、ちょっと聞いて?落ち着いて?」

 後に少女の名はタミトンということが判明するが、彼女は無垢な心の持ち主であった。無垢過ぎた。ただでさえ自分を魔女であると任じていたところに本当に魔女に救われ、完全に思考が魔女を、それも“私が考えたもっとも凶悪な魔女”をトレースし始めたのである。
 じわじわと時間をかけて心を壊し、悪徳に染め上げ、自分好みに仕立てることを得意とする……と、言えば聞こえがいいが、それしかしてこなかったシウスガウスにとって、タミトンのような存在は完全に埒外であった。
 だが、しかし。

「魔女様、すごいです!こんな殺戮に特化した魔術を自由自在に……ああ、貴女こそ私の理想です!私が目指すべき邪悪の具現です!」
「キヒッ、キヒヒッ!そ、そうかなー?そうだよねー、私天才だし!」

 それはそれとして、シウスガウスは女の子大好きであり、突然の天然ものに驚いただけでそもそも邪悪な女の子は特に好物であり、更に褒められると非常に弱かった。
 ヤベー娘だとは思いつつ、褒められ、慕われ、持ち上げられる内にホイホイと凶悪な魔術の数々を教え、悪魔や魔神との契約も代行し、気付けばタミトンは立派な魔女になっていた。立派過ぎるほどの。
 かくして、冒頭の殺戮劇へと物語は回帰する。シウスガウス的には教会や身の回りに復讐するくらいで十分だと思っていたのだが、タミトンは町ごと猛毒で以て殲滅してみせた。苦しみもがき、血反吐を吐きながら溶けていくかつての同胞たちを見て、タミトンの顔には活き活きとした笑顔が浮かんでいた。

「ふふ、うふふ、シウスガウス様、とっても素敵ですね!やはり人間どもの怨嗟と絶望こそ我ら魔女の糧!」
「ウン、ソウダネー」

 自分の好みからはちょっとだけ外れるレベルになりかけているタミトン。この件が終わったら少しだけ距離を置いた方が……等と考えているシウスガウスは、彼女よりも遥かに箒の操作になれているタミトンに一瞬で接近される。

「シウスガウス様ぁ……ゴミどもの悲鳴と嗚咽で、私、興奮してきちゃいました……」
「えぇ、ここでぇ?箒の上は危ないよ、家に帰ってからに」
「見せつけてあげましょうよぉ。シウスガウス様の邪悪さと可愛さ♪」

 抵抗したらどんな方向にいくか分からなくて怖いので、最近のシウスガウスは求められたらされるがままになっている。
 タミトンは自分が教えたとは言え非常に女の扱いが上手く、情熱的で、そこの手の倒錯的な状況を見つけるのが上手いので、結局は満たされてしまう日々だ。
 何度も好き好きと呟きながら首筋に顔を埋めてくるタミトンの頭を撫でながら、多分もう逃げられないのだろうなあと、毒で腐れる町に向けシウスガウスはため息を1つ吐き出した。


【バースディ・ゼロ】
お題:悪魔のお姉さんに誘拐されいろいろと教えられて逃げたけども忘れられずに戻り堕ちて……?

 ───はい、おっしゃる通りです。
 夫を殺したのは、娘の万葉です。
 ええ、そう、悪魔。何時からか現れた、あの恐ろしく美しい女怪たち。
 その内の1体に、娘は攫われました。ベランダで1人で居た所を、一瞬で。少し目を離した時には、あの娘はあの悪魔に抱かれて宙に浮かんでいたんです。

「私はアスモディア、この娘と貴女を幸せにしてあげるわ」

 確かにそう名乗ったと思います。ええ、娘と、私を。そう言いました。
 有名な悪魔なのですか?彼女たちが現れるようになってからは、ほとんど外出もしていなくて。詳しくないんです。詳しい人なんていないのかも知れませんが。
 テレビもね、悪魔についてはあまり報道しないでしょう。あの、女性アナウンサーの。なんて名前だったかしら、清楚そうな女性。悪魔に関する報道中に本物が現れて、その場で彼女に抱かれながら肌がどんどん青く、耳が尖って。最初は泣き顔だった顔が、どろどろに快楽で溶けて画面いっぱいに。
 ごめんなさい、今は関係のない話でしたね。動転、動転しているんです、とても。
 はい、探しました。町中駆けずり回って、あっちこっちで聞き回って。警察にも行きました。探偵さんなんかも雇いました。でも見つからなかった。あの娘はどこにも見つかりませんでした。その間、あの人はずっと部屋でお酒を飲んでいて。ああ、すいません、動転しているんです。
 それで、3日ほどしたらひょっこりと戻って来たんです。ええ、逃げ出して来たんだと。万葉は怪我もしていないし、少しぼんやりとしているようにも見えましたが、それ以外は変わりないようでした。私はあの娘を抱きしめて、そのまま部屋の中に。お風呂に入れて、一緒に眠って。
 え。はい、知っています。悪魔に家族が干渉されて戻ってきたら、すぐに最寄りの公的機関に連絡しなくちゃいけないんですよね。忘れていた訳では無いです。全然違いますよ。ただ少し休ませてあげようと思っただけです。親心ですよ、親心。ああ、ええ、そんな怖い顔されるのも解りますよ。結果的に、夫は亡くなったんですから。
 娘は、背中を流している間や抱き締めている間、あのアスモディアという悪魔について夢見心地で色々と話していました。
 私たちは悪魔と呼んでいますが、彼女たち自身は“リリサイド”と自分たちを呼んでいるとか。色んな世界を巡っては、好みの女性を探し出して自分たちの同族に変えて回っているとか。娘は選ばれたんだとか。
 なんだか、とても騒々しいですね。そんなに珍しい情報なんですか、これ。私としては、娘の痴態も含まれる話ですので、あまり多くの人に聞いて欲しくないのですけど。
 ええ、そうです。アスモディアは何度も、何度もあの娘のまだ小さな体を、完全に“雌”になっていない体を、女として扱ったそうですよ。私でも一度も体験したことがないような、ああ、口にするだけで。
 時にはいろいろな衣装を着せてみたり。帰って来た時に着せられていた修道女のような格好もあの悪魔の趣味のようですね。前の世界でいっぱい手に入ったお古だ等と言っていたそうで。どんな場所を旅してきたんでしょうね?
 ああ、はい。それで。ええ、それで。話の途中にあの人が、夫が部屋に入って来て。いきなりね、はい、私を引きずり起こして、酒瓶で殴ったんです。ほら、ここ。まだ傷口が残ってるんです。どうしました?私の耳が何か変ですか?
 そうですよ。ご存知なんでしょう。テレビで放送できない理由の1つですよね。あの悪魔たちは、虐げられたり、傷つけられている女性の元に優先的に現れるって。あのアナウンサー。報道の。あの人、CM時間中に酷いセクハラをいつも受けてたそうじゃないですか。テレビ?見ませんよ、聞いたんです。
 それで、娘を引きずり起こして。ええ、悪魔なんかにつまみ食いされやがってと、娘の服を引き裂いて。これまでも、娘が抵抗する度に殴ったり、ベランダに放り出したりね。この季節にですよ。寒いんです、とっても。
 娘?万葉はね、落ち着いたものでした。むしろ笑っていましたねえ。あんなに朗らかな笑顔は、長らく見ていませんでした。あの人から逃れて2人暮らしをしていた頃はね、時々見ていたかも。けれど見つかって。閉じこめられて。
 万葉はね、がなり立てて、自分の体を触ってこようとするあの人、父親なんて居ないように私に話しかけてきたんです。

「もし、ひどいことをされそうになった呼べって言われてるの。できたら、そうならないと良かったね」

 何を呼んだか?アスモディアですよ。あの美しくも強大な女怪。ぐにゃりと空間がよじれたかと思ったら、もうそこに立っていて。あの人の腕を肩から引きちぎって、酒瓶をくしゃくしゃと、こう、両手で丸めてですね、ビー玉みたいにして、それを膝に撃ち込んだんです。ええ、膝から下がもげ飛んで。
 それで、豚みたいな悲鳴を上げているあの人なんて居ないかのように、恋人同士みたいに口づけをしあって。その前まで、確かに娘は人間だったと思います。けれど耳が、角が、羽が、肌が変わって。
 それで、アスモディアがこう、あの人の体を踏みつけにしてですね。あの娘がゆっくりと、あの人の頭を掴んだんです。アスモディアは言ってました。

「決別は自分の手でしなければいけないわ。手助けもしてあげる、一緒に罪も背負ってあげる。けれど、決断は君がするの」

 万葉はそれを聞いて、絵本のほら、大きな蕪ですか。あんな風に、首を、頭を、うんしょうんしょと引っ張って。みちみち、ぎちぎちと肉の裂ける音が。悲鳴と嗚咽が。アスモディアと、万葉のあげる笑い声が。

「お母さん、助けてあげるからね」

 その言葉と共に、ぶちぶちと首が切れて。壁に叩きつけて、赤い染みに。
 ───それから、どうしたのか?どうもしません。あなた達が来て、ここでこうして話をしています。
 娘はね、きっと、私を救う為に戻って来たんです。そのままアスモディアと一緒に幸せな世界に、リリサイドの世界に行ってしまってもよかったのに。優しい子ですよ、とっても。解放されて涙を流す私に、口づけまでしてくれて。
 どうしたんですか?ああ、そのドア、開きませんよ。外、随分静かになったでしょう。お話に夢中で気付きませんでしたか。
 ええ、キスされたんです。娘からね。悪魔になった娘からね。それがどういう意味か、分かるでしょう?私は悪魔に詳しくないですけど、あなたならね。
 そんな怯えた顔をしないでください。娘とその大事な人のところに行く前に、私も1人くらい連れて行こうかなって思ったんです。娘、取られちゃったんですもの。「アスモディアさんと平等に愛するから」なんて言ってましたけど、まだまだ小さいですからね。寂しくなると嫌でしょう?
 ほら、少しずつ少しずつ、変わっていくのが分かります?泣いてた顔が、もう笑った。とっても可愛いですよ。部屋に入った時から美人だなあって目をつけていたんです。
 それじゃあ行きましょうか。
 この窮屈で退屈な、娘と私を抑圧していた世界を捨てて。
 自由と解放と優しさに満ちた、悪魔たちの世界へ。

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