5月28日

今日は少し悲しかった。息子のことだ。

朝、息子が「もういらない靴」を外に出してきた。その中にあったのはレインボーの靴。

息子が店頭で見つけたときに、一目惚れして、絶対にあれが欲しいと言い続けていた靴。カラフルな色使いやキラキラが大好きな息子で、面白い趣味してるなと思いながら息子の主張を聞いていた。ちょっと高かったけれども、そこまで好きなら...と思って購入した一張羅の靴だった。

そしてあれだけ好きで絶対に欲しいと言っていたにもかかわらず、結局一度しか履いてない靴だ。

「あんなに欲しいって言っていたのに、結局一回しか履いてないでしょう?どうして捨てるの?」そう言った私に、息子は無言で下を向いた。そしてそのまま学校に向かって出て行った。

学校から帰宅した娘が、静かな声で語り始め理由を教えてくれた。「一度学校に履いて行ったら、キラキラしていて女の子みたいな靴だって言って笑われたんだって。虐められた気分だったんだって。」

半年ほど前にあの靴を買った翌日、喜び勇んで靴を履いて学校に行った。帰ってきたとき、息子は何も言わなかった。ただ、次に履くことはなかっただけだ。しばらくして私が気がついたのは、もう履いてないということだけだった。

私であれば選択しないようなものを、息子が好きだと大声で主張してどうしても欲しいと言った姿は、今でもよく覚えていて、とても嬉しかったことを思い出す。他の人はどうあれ、自分が好きなものを声に出してきちんと言える息子が素敵だと思った。人の評価に関わりなく、息子が自分の気持ちで評価していることが素敵だと思った。

でも、そんな「自分の素直な気持ち」は、他人の常識にいとも簡単に踏み潰されてしまう。まだまだか弱くて本当だったら箱に入れて大切に育てなくちゃいけない小さなタネだったみたいだ。自分の素直な気持ちを押し隠して、好きだと言えなくなってしまった環境であったことがとても悲しい。

あの靴を初めに見たときの息子の中に芽生えたあの気持ちはどこかに消えて永遠にいなくなってしまったんだろうか、それとも黒く塗り重ねられて見えなくなってしまっただけなんだろうか。日本の学校ではなくて、今の欧州の学校に通っていたら、あの経験はなかったんだろうか。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?