私のわかりにくい毒親について

父親からは肉体的な虐待を受けたことは一度もないですが、「義務の放棄」や「精神的な虐待」を受けていました。
そして、気づくまでかなりの時間がかかりました。
今回は私が経験した毒親について、父親が嫌になり、出ていくことになった経緯を書いていきたいと思います。

一番最初に違和感を覚えたのが私がまだ3歳の頃。
ひとりで階段を登ろうとしていたのですが、誤って転げ落ちてしまった。
ドスンという大きな音に、父親が2階から階段の方を覗いて、
私の姿を見ると、けがの心配をすることなく、その場で大笑いしていました。
私は痛くて泣いていたのですが、その笑い声を聞いたとき、なんで助けてくれないの?と思いながらその笑い声をかき消すように泣きました。

家庭内での喧嘩は日常のように続いていました。
父親と母親が口喧嘩をしたり、夜には暴力をふるってるところも
見てきました。私が幼い頃は、母親が否定の対象でした。
私に対しては生まれた時から、特に可愛がられて育ちました。
これをされるとどうなるのか?
まず、私の幼い頃の視点からは、喧嘩してるし、家族を怒らせると
何かされそう、自分も暴力を振るわれそうと思うわけです。
幼い私は、大人に立ち向かう知恵や力がない。
従うしかなかった。
そして可愛がられる。
するとどんな思考になるか。
自分で考える事ができなくなるんです。
何をするにも、面倒を見てくれた、けど怒らせると怖い、なら
親に従っていればいい
と考えるようにおそらくなっていたんだと思います。

生きるための力を一度も親から教わったことがないんですよね。
知識であれ、肉体的な行動であれ、社会で生きていくためには、
力が必要です。

こんな風に育てられたから、コミュニケーションができず、
幼稚園から学校生活はいじめにもあうようになりました。
母親も父親に愛想がついて出ていきました。
その時から父親は私と二十歳になるまで会話をすることがなくなりました。
父親とは交代の夜勤をしていることもあり、すれ違うの時間も多かったため
いじめのこともあり、私からも話そうとは思ってませんでした。
そんな気力すらなかったんだと思います。
私は最初東京で就職したいと思っていました。
父親は、二十歳になった私を飲み屋に連れていき、東京のよくないところを
あれこれ言い、地元で働けと言ってきました。
そして学校に使った費用を働きながら返せと言ってました。

自分の目の届く場所に置いておきたかったんだなと思います。
当時の私は、完全に洗脳されてたため、それに従いました。

今では別居をし、とにかく距離を置くことにしています。
ここまで聞くと、

「親のせいにするな」
「あなた自身に原因があるんじゃないですか?」
「大人なんだから自分で何とかしたら?」

という方が一定数います。
この言葉自体、他人を支配しようとしてる言葉だと思いませんか?
他人を否定するということは自分自身を否定していることです。
こういった言葉を使うこと人が毒親になる可能性もあります。
幼い頃から毒親に支配されていると、自分を成長させようなんてことも
考えている余裕すらないです。
心が傷つけられて、自分で何とかできると思いますか?
毒親は自身より弱い存在である子供を否定し、優越感や安心感を得ようとします。
否定の仕方は人それぞれで、暴力であったり、言葉であったりします。

なぜ毒親はこのような行動をとるのか?


本人も精神的に成長できてない子供なんだと思います。
自分自身と向き合わずただ仕事だけをこなしてれば、社会は認めてくれる。それだけに価値を見出し、すべての物事を0か1でしか判断していない。
毒親はそんな視野でしか見えていないように思います。
ほんとうは、かわいそうな存在なんです。

さいごに

人間も色んな人がいます。多種多様で同じ人間なんていません。
常識も一種の決まりごとのようなもので、分野が変われば、時代が変われば
通用しなくなります。私自身もまだこれから自分と向き合って、遅れた分、成長していきたいと日々奮闘しています。
ここまでお読みいただいた方、本当にありがとうございます。


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