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『助けて、助けて、宇宙人がやってくる!』

メノッティいわく…『音楽なめたら、死ぬで』

ここのところ、ヒマにまかせてイタリア系アメリカ人の作曲家ジャン・カルロ・メノッティ(1911-2007)のオペラや管弦楽の録音・映像作品をあらためて聴き直している。
イタリアに生まれたメノッティは幼い頃から神童として知られ、若くして米国フィラデルフィアのカーティス音楽院へ留学。ちなみに、入学にあたっての推薦状を書いたのはアルトゥーロ・トスカニーニの夫人だったそう!
その後は長らく米国を拠点にオペラを中心とした創作活動を続け、なかでもクリスマスに全米ネットワークで放映されたファミリー・オペラ『アマールと夜の来客(Amahl and the Night Visitors)』(1951年)は全米に名を知られるきっかけとなった。古きよき時代のブロードウェイでも数々のヒット作品を手がけ、クラシック界だけでなく大衆文化にも貢献。1984年にはケネディ・センター名誉賞を授与されている。

プライベートなことになるが、サミュエル・バーバーと長年の恋人関係だったことでも有名だ。
ふたりの出会いは、カーティス音楽院時代。バーンスタインやニーノ・ロータといった未来のスターたちがひしめいていた当時のカーティスで、1学年上のバーバーと恋に落ちたのだとか。
若きバーバーが美男子だったのは有名ですが、メノッティもまた超ハンサム。しかもイタリア系ですよ。

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いやー、もう堪忍してー(誰目線?)。銀幕スターさん?ふたりとも、天に何ブツを与えられているのでしょう。ライアン・マーフィにドラマ化してほしいくらい。
で。その後、ふたりは約30年にわたり生活を共にしてきたにもかかわらず、その関係は長らく公然の秘密のようなカタチで語られていたに過ぎない。が、近年ではチャイコフスキーやガーシュウィンなどと同じく、メノッティもバーバーも、LGBTの作曲家という新たな角度から再評価される機会も多くなった。

あまりにもバーバーが有名すぎるので、時にメノッティはクララ・シューマンあるいはカミーユ・クローデル的な日陰キャラだったかのような憶測で語られることもある。が、個人的には、両者の作品を聴いている限り、このふたりは若い頃から互いの音楽性に大きな影響を与えあいつつ、それぞれが自らの表現に対するヴィジョンをはっきりと持ってそれぞれの道を歩んできたのだろうとしか思えない。
メノッティは作曲だけでなく、オペラ作品では自ら台本まで手がけることが多かったので、バーバーは自身のオペラの台本をメノッティに委ねることもあったし。ロマンティックな志向などを見るに、感性の部分では共鳴するところが多かったふたりだと想像がつくけれど。作風は異なる。そのあたりは、芸術家カップルとして理想的な生活だったのかも。


私がメノッティに興味を持ったきっかけは、アラン・ギルバート時代のニューヨーク・フィルがアンコール・ピースとしてオペラ『アメリア舞踏会へ行く(Amelia al Ballo)』(1937年)の序曲をとりあげていたことだった。
いかにも軽快なオペレッタ風でありながら、ヨーロッパのオペレッタにありがちな埃っぽさや、もっさり感がない。ヨーロッパ風のノスタルジック味でありつつも、垢抜けて華やかな高揚感がある…というのが、まさにギルバート時代のニューヨーク・フィルの、洗練された都会的サウンドによく似合っていた。
ちなみに『アメリア舞踏会へ行く』は、まだ音楽院に在学中だったメノッティがイタリア語で台本まで手がけたという初の本格的なオペラだ。
おバカセレブなアメリア夫人が浮気相手と舞踏会に行こうとソワソワしていたところ、それをダンナに気づかれ、なのでダンナを花瓶でブン殴って…という、ちょっとブラック・ユーモア系のストーリー。社交界のゴージャスな世界観と昼メロチックな浮気ネタ、ハラハラさせる展開…と、どこかヒッチコック映画のような雰囲気が魅力的だ。

もしメノッティが音楽家でなければ、それなりに有名な作家か脚本家になっていたかもしれない。それくらい、ストーリーテラーとしても魅力的だ。意表を突いた発想と題材と、テンポ感のよさで飽きさせないストーリー展開。とりわけ、ストーリーのまどろっこしさや、登場人物の古臭い価値観に感情移入できない…という理由でオペラが今ひとつ好きになれない人にはメノッティ、おすすめです。

というわけで、ようやく本題でございます。

メノッティならではの愉快なオペラ、『助けて、助けて、宇宙人がやってきた!(Help, Help, the GLOBOLINKS!)』(1968年)をご紹介したいと思います。

もう、タイトルからしてゴキゲンすぎる。

いちおう子供向けオペラだ。が、サブタイトルには「子供と、子供の心を持ったすべての人のためのオペラ」とある。
この作品もメノッティがひとりで原作・台本・音楽を手がけており、初演は1968年12月。名門ハンブルク州立歌劇場のクリスマス公演のための委嘱作品として書かれた4幕のドイツ語オペラで、翌69年には英語版がサンタフェ・オペラで初演された。同じく69年には、ハンブルク州立歌劇場が“テレビ版”としてメノッティ自身が監督・演出を手がけたドラマ仕立てのバージョンが制作されている。
で、そのテレビ版が10年ほど前に奇跡のDVD化。

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もう、とにかく素晴らしい。涙。カルトなマスターピース。
基本的にはトンデモおもしろレトロSFといいますか、そんな感じなんですけど。とはいえ、単なるB級トンデモ作品とは違う。とんでもないと笑って見ていても、あとからじわじわ深い感動が心に染みてきます。

DVDはすでに入手困難。しかし、現時点、You Tubeにも英語字幕入りの全編があります。


とりあえず、ざっくりとあらすじをご紹介しておきましょう。


※ちなみに、宇宙人は、だいたいこんな感じ。まじで。

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ムーミンのニョロニョロというか、でかいちくわみたいなのと、あとはモジモジ君のカラー版みたいなのと、なぜか2種類います。
宇宙人の中の人はおそらく歌劇場の超一流バレエ・ダンサーたちで、クリスマスには美しく「くるみ割り人形」などを踊るような方々が、謎のくねくね宇宙人モダン・ダンスを踊るハメに!が、これが、映像で見るとすごい迫力で謎めいていて、その不気味な感じがリアリティあってけっこう怖い。メノッティ先生も大満足だったはず。

ざっくりしたあらすじ……

【第一幕】
●テレビの臨時ニュースで、アナウンサーが宇宙人の襲来を告げる。その途中でテレビ局が宇宙人に襲われ、放送中断。

●場面変わって山奥。
子供たちを乗せたスクールバスがエンスト。運悪く、そこに宇宙人があらわれる。

●カーラジオのニュースで「宇宙人は音楽が嫌いで、楽器の音色に弱いらしい」という情報。
それを聞いたバスの運転手が「そうだ、君たちは学校で学んでいる楽器を自習用に持ち帰っているはずだね!?」と尋ねるも、子供たちは練習がイヤで、楽器を置いてきてしまったと言う。1968年のゆとり世代(笑)。
ホルンを持ってる子がいるんだけど、なんか、ホルンじゃ今ひとつダメらしい。

●だが、ひとりだけ「私、バイオリンを持っているわ!」。それは美少女エミリーちゃん。子供たちは「勇気を出して行ってきてくれ」「がんばれー」と無責任に励まし、エミリーちゃんひとりを宇宙人がいる茂みの奥へと押し出す。

●勇敢なエミリーちゃんは、ヴァイオリンを弾きながら森の中へ消えてゆく。
※ここでエミリーちゃんがソロで弾く旋律が、もう、超絶に美しい。このあたりはバーバーに通じる感じもあるし、メノッティが敬愛するプッチーニのアリアのような繊細ではかない哀愁もあるし。たまらない。しかし、こんな名曲が流れる場面が「宇宙人退治」であるところがすごい。

【第2幕】 
●学校の、校長室らしき部屋。子供たちの行方がわからず、宇宙人に襲われているのではないかと大騒ぎになっている。

●音楽の先生は、春休みなので家で楽器の練習をするようにと言ったのに、子供たちがみんな楽器を置いて帰ってしまったことに怒っている。さらには、校長先生が音楽教育にあまり熱心でないことにも腹を立てていて、もう学校をやめようとしている。

●ちなみに宇宙人は「音楽が嫌い」な上に、もし宇宙人に触られると、その人は言葉をしゃべる能力を奪われてしまうらしい。

●こんな大変な時なのに、疲れてソファで居眠りをしてしまう校長先生。案の定、宇宙人がやってきて、校長をツンツンと突いて出てゆく。校長、言葉をしゃべれなくなってしまう。

●教師や学友たちは、それぞれ楽器を持って子供たちを救出に向かうことに。勇ましいマーチを奏でながら山の中に向かう。言葉をしゃべれない校長先生も♪ラーラーラーと、Aの音だけを発しながら同行する(笑)。

【第3幕】
●運転手と子供たちは、バスの中でエミリーの帰りを待っている。

●また宇宙人が襲ってくる。

●そこに学校からの援軍が到着。彼らが鳴らす楽器の音に、宇宙人は退散。

●しかし、エミリーが帰ってこない! そこで、みんなでエミリーを探しに行くことに。

【第4幕】
●森の中。ひとり果敢にバイオリンを弾いて宇宙人と戦っていたエミリーだが、ついに力尽きて寝落ちしてしまう。

●エミリーが眠っている間に宇宙人が来て、バイオリンを壊して去ってゆく。目覚めたエミリー、愕然とする。

絶望し、悲嘆にくれるエミリーのところに、♪らーらーらーしか言わない校長先生があらわれる。

●楽器を持った音楽の先生たちが遅れて到着。無事、エミリーを助ける。

ちなみに校長先生は、とうとう見た目も完全に宇宙人になってしまい、空の彼方へと飛ばされていってしまう(笑)。

●どうやら音楽の先生は校長と結婚を約束した仲だったらしいが、校長は音楽を愛さないことがよくわかったし、宇宙人になっちゃったし、「ま、またいい人を見つけるわ」的な感じで、意外とあっさり気持ちを切り替える。

●音楽の先生は子供たちに音楽の大切さを説き、「みなさん、これからは楽器を一生懸命に練習しましょうね」。楽器を練習しないと宇宙人に襲われたり、宇宙人になってしまったりする恐ろしさを知った子供たちはさすがに心をいれかえ、皆それぞれ楽器を奏でながらハッピーエンド。

いやー、ここまで書いて何ですが、あらすじを説明する意味があったのかどうかわからなくなった。しかも、かなり超訳のあらすじですみません。

でも、とにかく、そんなストーリーです。

音楽を練習しないと大変なことになるという、音楽教育の啓蒙オペラでもあるのです。

実はメノッティって、ノーブルな二枚目ルックスからは想像がつかないような面白い人だったんだろうなー。バカバカしいことも大好きで、冗談好きで、ぶっ飛んだ変人だったのかもしれない。

音楽は、不要不急か否か。なんていう生易しいものではない。音楽を愛さないもの、真面目に学ばない者は、言葉を奪われて、宇宙人になって、最終的に空に飛ばされてしまうんですよ。すなわち、音楽をナメた者には…死。みたいな。ひえー。

子供の頃、ピアノの練習をしないと鉄拳制裁が待っている…というトラウマを持つ私ですが。もし子供が「ピアノの練習をしないと宇宙人に襲われて、宇宙人になって宇宙へ行っちゃうよ」と言われたら、たぶん死ぬ気で練習するだろうと思います。
そういう意味では、おそろしいオペラです。て、考えすぎか。

それにしても、ストーリーは楽しいわ、音楽は極上だわ。最高です。先日、映画『ラブソングができるまで』のレビューでも書いたように、たとえば「ヒット曲」の素晴らしさを描くには劇中歌がホントに素晴らしくないと意味がないのと同じで、音楽の素晴らしさをテーマに描いたオペラなのだから、たとえ子供向けであっても、月並みのオペラであっては意味がないわけです。突き抜けた魅力を持つ素晴らしい音楽によって描かれることが大前提。

メノッティの好きな作曲家は、プッチーニとムソルグスキーだったらしい。そう言われてみれば、この作品でもプッチーニの優美さや哀愁、ムソルグスキーのドラマチックさやゴスっぽさの影響を読みとることができるし、それをメノッティらしい作風に昇華しているのもわかるような気がする。
子供の合唱とか行進もかわいらしくキャッチーなだけでなく、ヨーロッパの民謡的な要素が織り込まれ、時に『ラ・ボエーム』のお祭りの場面を思い出したり、『はげ山の一夜』の不気味さを連想してゾクッとしたり。

ネット検索してみたら、日本でも子供向けオペラ教室では人気の演目らしい。最近も藤原歌劇団が小学校での上演を行っていることや、ワークショップ的に子供たちが演じる企画などもあったことを知った。子供たちが「志村、うしろうしろ」的なリアクションでもりあがったり、ものすごく楽しんで観劇していたという記事を見た。子供にいきなり『椿姫』を見せるわけにもいかないし、ワーグナーというわけにもいかないし、かといって子供向けに無理にポップにしたらオペラ教室の意味がないし…。でも、オペラを知らない子供たちもワクワクできる内容で、なおかつイタリアン・オペラならではの醍醐味を感じさせる美しい音楽を体験することができるなんてばっちりだなー。いいですねー。うらやましい。

それにしても。
この作品を見る限りでも、メノッティは当時としては“早すぎた”クリエイターだったのではないか。
と、あらためてしみじみ思ってしまう。

69年の映像作品では、当然、予算も少ないだろうし、やりたいことの何十分の一も映像化できなかったのではと思うけれど。もし、メノッティが何十年か遅く生まれて、2021年の今、まだまだ若きクリエイターとして活動していて、このオペラを書いて、自ら監督して映像化するとしたら…それは、かなり凄いことになったのではないだろうか。
もちろん、CGとか映像技術も駆使するだろうし。
雰囲気としては、たぶんNetflixのドラマ『ストレンジャー・シングス』みたいな世界だったはず。

このドラマ版のDVD映像を初めて観た時に私が考えたのは、これを今、M・ナイト・シャマランがリメイクしたら面白いだろうなぁということだった。
というのも、以前、シャマラン監督は自身の映画のDVD特典映像として、自らが子供時代にひとりで撮った短編映像を公開していて(最近は観ていないので、今はわからない)、その短編シリーズを思い出させるものだったから。
シャマラン監督が中学生くらいの時に、自己流の特撮っぽいことを入れたドラマのいち場面みたいな映像。平穏な日常に突如なんだかよくわからない怪物がやってきて…みたいな、これが本当にすごかったのだ。めちゃ素朴ながらも現在のシャマラン監督っぽい世界観というか、質感みたいなものがあっていつも驚かされた。

『助けて、助けて、宇宙人がやってくる!』というオペラは、メノッティ自身による映像も含めて、ものすごくシャマラン監督テイスト。作品でいえば、もちろん『サイン』とか。特に宇宙人の様相などは「子供の発想+大人の技術」の“シャマラン調”そのまんま。
なので、メノッティなき今も、もしシャマランが『ストレンジャー・シングス』みたいな映像でリメイクしたら面白いだろうな…とか、想像するだけでワクワクしてしまう。
ただ、スピルバーグ監督とか、ディズニー大作にするのは難しそうだ。想像つかない。ちょっと違うのかな。いくら音楽にメジャー感があろうとも、「プッチーニ以来のイタリア人作曲家」とまで言われ、晩年はローマ歌劇場の支配人まで務めて故郷に錦を飾った、もっとも成功したイタリア系アメリカ人のひとりといってよい作曲家であろうとも、決して超メジャー王道には行かず、あくまでインディーズ精神にあふれた存在感。そこがメノッティのカッコよさだと思う。

ちなみに、“今っぽい”というのとは違うけれど、『助けて、助けて、宇宙人がやってくる!』には“シンセサイザーの女王”ことスーザン・キアーニによる演奏アルバムもある。電子音楽ゆえ、かなり宇宙人寄り解釈になるわけで。にょろにょろ宇宙人の不気味なくねくね感なども、シンセで巧みに表現されていて面白い。


ほかにも、たとえばオペラ『電話(The Telephone)』(1947年)なども、現代的なリメイクが似合いそうな作品。
物語は、当時はまだ“新しい道具”だった“電話”が小道具として使われる。
当時は、今では想像できないくらい画期的な発想だったという。
主人公の男が恋人の家でプロポーズをしようとすると、そのたびに電話が鳴って邪魔をされる…というのを繰り返し、最後には自分も外から電話でプロポーズしてめでたし…みたいなストーリー。ちょっとコントっぽい。

こんなふうに電話をスマホに置き換えてみたりして、現在でもモダンな作品として上演されている。彼の作品の多くは、今の時代背景のほうが当時よりも親和性が高いんじゃないかな。
題材やストーリーのキャッチーさも、いい意味で大衆的だし。

これは、代表作のひとつであるオペラ『霊媒』。もともとテレビ・オペラとして作られた作品。

もう、まんまオカルト特番ですやん!みたいな。視聴率とれそう。テレビ向き。

他にも、ピアノ協奏曲とか管弦楽曲にも素晴らしい作品はたくさんあるのですが。ここまで、またしても長々と書きすぎてしまいました。なので、それはまた次の機会に。


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