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半世紀ぶりの参拝
ちょっと風が冷たいですが、お日柄もまぁまぁ良き本日。
ひさしぶりに、スケバン散歩。
品川区戸越。ひさしぶりにやってまいりました。
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長い長い商店街でおなじみ、戸越銀座商店街。
そう。ここは、あのChar先生が生まれ育った町としてもおなじみ。
商店街の本屋さんには、今もCharさんが表紙の『散歩の達人』ポスターが貼ってあります。ある意味、ギター小僧の聖地ともいえる土地ですね。
長い長い商店街、戸越銀座商店街。かの地に降り立ったのは、本当に久しぶりのことなので完全に文字通りの浦島太郎状態。おしゃれな洋服屋さんや雑貨屋さん、カフェが並ぶ光景に歳月を感じるのですが、でも、昔ながらのお店もたくさんあって、大昔の記憶でしかない商店街の雰囲気も残っている。老舗がどんどんつぶれて、その跡地にはタレントショップや大手フランチャイズが目立つ地元とげぬき地蔵商店街にせつなさを覚える者としてはうらやましくもあります。古いものと新しいものが混じりあっているという意味では、下北沢や学芸大学、高円寺あたりにも似た活気があって暮らしやすそう。
案内所には、こんな猫ちゃんもおるよ。いや、猫でいいのかな。わからん。
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落ち着くなぁ。
わたしにとっては、こういう雰囲気の街こそが“東京”。
あくまで、ごくごく個人的な価値観によるものですが。下町でもなく、山の手でもない。別に観光地ではないけれど、どこか“外”から来るひとに向けてずっと開いている扉がある(別に親切で開いているわけではなく、街とはそういうものだという意識がある)。と、同時に、外から見れば排他的に見えたりもするそっけなさがないわけじゃない。
その“淡いそっけなさ”こそが、私が考えるいちばんの“東京らしさ“なんだと思います。というか、ま、これは自分が生まれ育った場所だから落ち着くだけの話かもしれませんが。
東京の人がつくった東京、そういう名残りを感じさせる場所に安らぎます。
その戸越銀座商店街の途中、住宅街の中に入ってゆくとあるのが旧・荏原村の鎮守様、戸越八幡神社。
思うところあって、お参りをさせていただいてきました。
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誉田別命(応神天皇)をお祀りする神社。戦国時代、大永6年(1526)の創建と伝えられる旧戸越村の鎮守で、隣の行慶寺とともに僧行永が結んだ成就庵がその起こりと伝わります。境内には「戸越の地名の起こり」と題した記念碑があり「江戸越へて清水の上の成就庵 ねがいの糸のとけぬ日はなし」という古歌が記されています。
木造銅板葺きの社殿は、安政4年(1857)の建築。拝殿内法の龍の彫刻は見事なものです。他にも境内には25面の「奉納絵馬」や延享3年(1746)に寄進された「石造狛犬」、若衆たちの力くらべに使われた6つの「力石(さし石)」などが残ります。
境内のケンポナシは高さ18mにおよぶ巨木で、推定樹齢250~300年。夏には白色の小花を開き秋には甘味のある実を結びます。
5月の菖蒲祭、9月の例大祭は地域を挙げての祭礼となります。
わたしは、ここから少し離れたところにある同じ品川区内の産院で生まれて、子供時代をそのあたりで過ごしました。そこは戸越八幡神社の氏子地域のはしっこに位置していて、だから八幡様はわたしにとってのいわゆる産土神社さんです。
ただ、住んでいるあたりからは少し遠くて交通の便も悪かったこともあり、正直、それほど親しんでいた場所ではなかったです。でも、初詣や七五三などのイベントの時にはご近所さんたちと誘いあって出かけておりました。
しかし、考えてみるとCharさんと産土神社が同じってすごくないですか。ちょっと自慢したい。
七五三の時に、この戸越八幡神社で撮った写真があります。
七五三の三。↓
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七五三の七。↓
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ぎょえー。何のコスプレかと。
「昭和ってダサおしゃれだよねー」と憧れる若者に言いたい、
真の昭和とはダサいだけだ。
念の為に言っておくけど、この写真は戦前じゃないですよ。戦後ですからね。
でも、その後は品川区から目黒区に引っ越して、それから結婚して、なかなか近くに行く予定もないので、お参りする機会もありませんでした。
ふと、久しぶりにお参りに伺ってみようと思いました。
といっても…七五三でお参りしたのが最後だとすると、たぶんほぼほぼ50年も経ってしまったことになります。
50年って。
一世紀の半分ですよ。
半世紀ですよ。
おそろしい。
30歳の時にも、40歳の時にも、半世紀というのは自分には実感のできない長い歳月でした。明治時代や大正時代と同じ「昔」でした。
が。そんな私も、じきに最後の七五三から半世紀を迎えます。
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オレ、まだ精神的な実感としてはこれくらいの感じからほとんど変わらないですよ。まぁ、読み書きができるようになったくらいの進歩はしたけど。
思えば、この3歳だか4歳の頃にはじめてのレコード「ケロヨンのクリスマス」を聴いていたんだと思うんですが。ほんの数年前、YouTubeでケロヨンのクリスマスを見つけてからは毎年12月になるとヘビロテしているし。
半世紀前と気づいて確認してみたのですが、三歳のわたしはコタツの上で初めてのパフォーマンス「骨まで愛して」をおこなったようですし、その1年か2年後には人前で「伊勢崎町ブルース」で♪あーんとか♪うぅーんとかえんえんやっては親にブッ飛ばされてたりしていたわけです。そう思うと、半世紀っていうのも意外と短いものだなと思うし。50年前の幼児が感動したことを、アラカンのババアが同じように感動しているというのはとても幸せなことだなとも思うのです。おめでたい、とは言いっこなしよ。
そんなわけで、もしかしたら神様が「半世紀にいちどくらいは顔を見せに来なさい」と呼んでくださったのかもしれません。昨年の秋くらいから、なぜか、近いうちに戸越神社に行かなければ…と思っていて。ようやく行くことができました。
何か、本当にフシギな感じでした。
鳥居をくぐったら「そうそう、ここだ!」という感じ。なんなんでしょうね、半世紀前の記憶が蘇ってきたといったら大袈裟ですけど。何かの匂いがふっと漂ってきて、何なのかは思い出せないけど懐かしく思うような感じ。お正月、長く続く参道を歩いていた感覚とかを思い出しました。フシギ。当然、神社も周辺もずいぶんと様子が変わっているのに、何というか、“変わってないところ”に自分の無意識が感応するのでしょうか。
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わたしが参拝した時には他には誰もいなかったので、ゆっくりとお参りさせていただくことができました。街なかとは思えないくらい、木々に囲まれた境内は静かで、きりっと空気が澄んで心地よい空間でした。
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休憩のソファがあったり。いろいろと楽しい、あたたかい雰囲気。記憶ではもっと木々が鬱蒼と茂っていて、もっとワイルドな(?)イメージだったのですが。ウェルカム・エブリバディな、ハッピーオーラがあふれている神社。
かわいい「福分け猿」と「夢叶えうさぎ」がいました。
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ふだんあまり御朱印をいただくことがないんですが、今日は記念に。
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御朱印を書いてくださった神職さんに「今日は50年ぶりに伺ったんですよ」とお話ししたら、先代の宮司さんの時代から続いていることや変わったことなどいろいろ教えてくださいました。宮司さんにもお目にかかることができて、ありがたい時を過ごすことができました。
「腑に落ちる」という言葉がありますが。
半世紀ぶりに産土神さまにお参りをさせていただいたら「すとん」と何かが落ち着くべきところに落ち着く感覚がありました。決して信心深いわけでもなく、インスピレーションに秀でているわけでもないわたしでも「すとん」というのを実感しました。
生まれてきた意味とか価値は死ぬまでわからないかもしれないけれど、何らかの縁があってそこの土地に、そのときに生まれたという事実は、オカルトでもファンタジーでもない現実なわけで。ならば、縁あって生まれた者にとって、その「縁」が現実の人生に何かしらの影響を与えてゆくことも全然フシギじゃない。この広い東京に、何かの縁で両親が流れついた土地があって、そこで生まれて、育って、大人になって、半世紀経ってもまだ、幼い頃の数年間という短い時間が何かしらの余韻を残している。そのことを、その土地の神様はご存じ。今日、お参りをする前に、もういちど戸越八幡の神様である誉田別命(応神天皇)について調べてみて、ああ、やっぱりこの土地には両親の縁があったんだなと思った。なんとなく、そういうことがわかると心の中がちょっと整理されてほっとしますね。わからないことや、わかりたくないことを放置して、心の中がゴミ屋敷みたいになっているので、それをなんとかしなければ…というのが今年の抱負です。
生きていく中で見たり聞いたり食べたり歌ったりすることも、あるいは怒ったり傷ついたり悩んだり恨んだり妬んだりすることも、すべて縁あって生まれたからこそ経験できている。そう思えば、人生すべての瞬間を味わいたい。味わわないと損。どんな感情も大切にして感謝して楽しまなければ。
と、思いながらの帰り道、道を間違えたかも…と立ち止まった私に、すぐうしろを勢いよく歩いていたおじさんがぶつかりそうになって「ちっ!」とバカみてーに大きい舌打ちをして追い抜いてゆきましたので心底ムカつきました。ああ。せっかくの清らかな心が、秒で元どおりに。人間とは、学ばない葦である。
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そういえば。行きは都営浅草線の戸越駅で下車したのですが。未明に沿線で火事があった影響とかで浅草線のダイヤが乱れていて、帰りは東急池上線の戸越銀座駅から帰りました。超ひさしぶりに池上線に乗りました。これまた懐かしくて嬉しかったです。
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