答えはいつも目の前にある;R2-4-28-29、火曜、水曜

4/28,火曜日はKRN。ボケかけた私には日替わりのオシゴトによる適度の負荷がいいのかもしれない。

0820に最初のミーティングと、腰痛体操。そして半から2回目の朝礼。施設長は新型コロナ対策で髪はボサボサ、必要資材について事務スタッフからの情報から直ぐさま適切な判断を下さねばならない。横からの情報は直ぐに反映されるが、これも時間との闘い。欲しいモノ、その多くは在庫切れ、、、。縦からの情報は、無責任な足かせにしかならない。

ロートルの非常勤、この非常事態では、フキンシンだが責任といふ”たが”がない分、楽である。 たがためにカネは鳴る、、、、、、、、

この施設2階に90歳台の女性がいた。まだ名前も、顔も病歴もわからない。短時間の申し送りで、頭痛時に屯用の鎮痛剤が処方されていた。上述のように、施設長は悪魔ウィルス対策で、頭痛は生命に関わりの無いことだから反射的に対応せざるを得ない。

私の数少ない自慢は「勘(かん)」。  勘違いや先走りも多いけど、幾多の修羅場を経ているから、申し送り時に、違和感(勘の一種)を持った。

超多忙な施設長が、複数の面談に応じている、その空き時間に私は頭痛持ちの人の病歴を調べた。その生活歴、家族背景などなど。こうした記録から注目したのは、娘さんが持参していた市販薬が効くとの記載。どういったモノかの具体名は不明だが、数ヶ月に及ぶ面会謝絶は、精神的にも負の影響だし、お気に入りの「特効薬」も手に入らなくなっている。

こうした背景を把握した上で、部屋を訪れた。 やや小太りで、毛糸の帽子を被りパジャマの上にトレーナー様な上着を2枚も重ね着して横になっていた。 声を掛けると、最初は恐る恐る、その後は饒舌な会話が始まった。

会話を続けながら、ひとまず、厚ぼったい上着を脱いでもらった。柔和な表情ながら、毛糸の帽子を指さしてここがいつも痛いんだと繰り返す。首はどうかとの質問にも、頭頂部を指さしながら同じ回答。私の倍くらい太い腕を見ながら、両上肢の可動域(ROM)を調べるが、勿論異常無し。腱反射は打腱器が見当たらず、ステートで代用し良く分からない。「肩こりは?」の質問には、これも私の倍くらいの太い頸を左右に振りながら返答。一つだけ陽性所見は、後頭部の左右僧帽筋起始部、いわゆる盆の窪両側。ここに緊張あり、持続圧迫での感触を尋ねると「気持ちいい」。

これで、ほほ診断可能。緊張性頭痛。 多くは肩こりを伴うが、高齢者ではそれを自覚しないこともあるし、若年者でも指摘されるまでわからない人がいる。 面倒なことが嫌いな私は、今後の対策はフロアスタッフに一任。

「痛み」は一般的すぎて、緊急対応すべき極一部を除き ”おざなり” になりやすい。その原因は、精神的ストレス、姿勢、日常生活など、必ず原因がある。痛みの原因、その答えは、必ず目の前にある、そう思っている。

メーテルリンクの童話「青い鳥」がある。

探し求めて、あちこち動き回るけれど、、結局わかったのは、、、、、。

ここで一休み

4/29, 世間では休日らしいが、ネグラにくすぶっていてもしょうがないとノコノコ職場に顔を出している。 

今朝の8時のニュースによると、米国ではコロナ感染者が100万人突破と、、、、。そして経済に及ぼす負の影響。こうしたネガティブな情報が継続的に流れている。

長期化するこうした問題に、同対処すべきか。

AI分野での目覚ましい発展がレポートされている。 この時期だからこそ膨大なデータ蓄積、すなわちデジタル化推進によるAI社会浸透へと多くのトップは目論んでいるだろう。

しかしながら、 アナログ、ハラグロ人間の私には基本的な違和感あり、、 なぜならば、世の中にはデジタル化できない因子があまりにも多すぎる。なにをもって評価=デジタル化できるのだろうか?

20世紀は科学の時代と呼ばれた。サイエンスって何だろうか。 それは、”再演?することのできる対象”を 誰もが共通のデバイスをもって解釈して、同じような行動へと導くツール。 一見ポジティブな面が多いと考える。

例えば、接客マニュアルといふものがある。ブサイク、ブアイソウな代表私でも、このパンフレットとレクチャーによって、ようやく半人前の接客ができるといふ優れもの。 

笑顔、スマイルが足らんと言われても、私の旧石器時代の脳は受容困難だ。

いつのまにか21世紀になった。どこかの学者さんは、「こころの時代」だといふ。

-----、あれ?? いつのまにやら脱線。