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きょうびの映画と戦争観への違和感

「ゴジマイ」からうっすら感じていて「鬼太郎の誕生」でよりはっきりした30代40代50代の現役クリエーターが「戦争への反省もなく何でこんな国になってしまったんだぁ」ってあっさり表明することへの違和感。
まるで鶴見俊輔から丸っきりアップデートできてない東大社会学みたいな薄っぺらさじゃないか。

当たり前だが30代40代50代なんか戦争に行ってないし国の所為で餓えたこともなかろう。半分以上が大学に行くようになり自家用車を持つのも当たり前になった。そういう半生を経てなお「日本国ようやっとる」は言えぬか?
「何でこんな国になった」わりとよく聞く言葉ではあるが、それは誰かからの借り物でなく本当に自分の体験から出た言葉であるか?

「戦争への反省もなく何でこんな国になってしまったんだぁー」ってのは水木しげるに言う資格はある(しかしたぶん言うてはない)し、野坂昭如や井上ひさし、小松左京や小林信彦あたりなら言えるだろう。
三島は首で落とし前付けたからまあ言うてもいいかも知れん。

いやしかし慎太郎あたりより後ろが「戦争と国体」「日本人の精神性」をダシに語るのは横着が過ぎるんでないか。命の危機もなく飽食の日本に育って「あの戦争が」「反省が足りん」ってアジるのは朝日新聞の社説並みに薄っぺらい。

「世の生き辛さ」「先へのぼんやりとした不安」「戦争が再び近づいてきていることへの危機感」そういうことを表現したいなら伝聞としての戦争をこねくり回すんでなく、きちんと自分の世代のことで語るべきだと思うね。
自分らの人生が戦争体験者と比して軽重があるわけではないのだから。

そう考えると自分の言葉で「自分の時代の戦争」について語れたのは質はともかく村上龍ぐらいしか居ないんだよな。


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