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第三章の23◎カバラを解き明かす三つの視点

 最近の日本人は「眼」がとても悪く曇ってしまったのだと感じています。
但し、ここで言う「眼」とは身体測定の時行われる視力の事では無く、本物を見る「眼」の事なのです。
人は自分が見たことのないモノを信じる事が難しいのです。ですから諺にあるように「百聞は一見にしかず」になるのです。私は自身の生徒達にも、悪くなった眼力を回復させるべく、3つの視点を鍛えて行く事を心掛けています。
 先ず一つ目は、世界を広く観る目を養う事です。
例えば米国でリーマンショックが起これば、日本にも強い影響が波及しました。また中国の黄砂やスモッグは国境を越えて、日本にも飛んで来ます。イスラム国の戦争では、日本人の犠牲者も出るのです。つまり世界は全て連動しているのですから、自分の目の前の事だけでは、物事の本質は見えないということなのです。
残念ながら、とても多くの人々が気付かぬうちに「井の中の蛙大海を知らず」状態になってしまっているのです。
 二つ目は、時間軸を意識して時間を視る目を養う事でなのです。
今逢っている人も、幼少時代や青春時代の経験を経て現在に至っています。また両親や祖父母等の先祖の影響を受けて育って来たのですから、それらの歴史を踏まえて見なければならないのです。
 目には見えにくいのですが、目の前の人物は数千年の歴史を背負って現在に至るのであり、決して本人だけの思いで全てが動いているのではないからなのです。
伝統というのは、切りたくとも簡単に切れるものでは無く、また自分が認識している以上に大きな影響を人々に与え続けている事を忘れては行けないのです。
これが伝統の重みであり、良さでもあり、また恐ろしさでもあるのです。
 三つ目は、核心を見通す眼を養う事なのです。
 物事は見る角度によって見え方が変わって来ますし、表面に現れない隠し事や裏が必ずあるものなのです。
ですから、表面や正面を見るだけでなく、さまざまな視点から核心に迫る必要があるのです。
時には、裏に回り、内面深くまで切り込む事によって初めて、核心を掴むことが出来るのです。
 表面だけを見て信じてしまうような人は、悪意を持った者には簡単に騙され、洗脳されてしまう危険が高いから、そうならない為にも、自分の意志でしっかりと核心を掴む訓練をする事が重要なのです。
事実、多くの人々は知らない間に洗脳されている事に全く気が付いてもいないのが現実なのです。
 ところで、日本及び世界の仕組みを覆い隠して解らなくしている原因が、「カバラ」なのです。
カバラとは、西洋魔術にも影響を与えた、世界最古の秘教的哲学体系であり密教の事なのです。
超越的な神の世界と人間の世界の構造を、生命の樹「セフィロト」という樹に精密に示しながら、神へと至るプロセスを象徴的な要素と通過儀礼(イニシエーション)的な体系として、この世に樹立したものなのです。
この生命の樹「セフィロト」は、三本の柱と10個のセフィラとダアトで構成されています。
それらで、神と人間と宇宙との三者の密接な結びつきや、高次元の世界とその秘密を解き明かしていくものなのです。
そもそも「視点」は一つではありません。人によってそれぞれ視点が違って当たり前なのです。
ですから視点、目線と言う概念を考えてみると、意外に複雑で奥が深い事が判るのです。
物の見方には、単純に正面から見るだけでなく様々な切り口が有る事を御覚えて欲しいのです。
例えば、上下左右、表裏、外から内、内から外、斜めからなど様々な方法があります。
また一次元、二次元、三次元、四次元と言った次元的な見方もあります。
 ですから物事を判断するには、少なくとも三つの視点から見る事を心掛けて欲しいのです。
すなわち、1)表(正面)、2)裏(反対)、3)中身(本質)の3つなのです。
例えば、日本人の氏族を見る場合には、1)大和族、2)出雲族、3)日向族の3つの視点で、世界の氏族で見るなら、1)シェルバーン一族、2)ロスチャイルド財閥、3)ロックフェラー財閥といった具合なのです。
物事を1対1の対立軸で見てしまうと、その背景や関連性が正確に浮かび上がって来ないのです。3つの視点で見る事によって、内部に潜んでいる本質が浮き上がってくるのです。
それでは次に、上下の視点について検証して行きましょう。
従来の植民地主義者が行って来た事は、ピラミッド型の構造組織のトップダウンで、上から下へと一方的に強制的に支配を行う事でした。
欧米の企業スタイルは、まさにトップダウン型と言う事が出来ます。
① トップダウンと言う、人を見下したシステムの時代はもう終わりなのだと考えます。もしもピラミッド型の組織を作る必要があれば、意思決定は下からのボトムアップにしなければならないのです。
長い歴史の中で、一部の支配層が多くの大衆を支配するのが当たり前という傲慢が幅を利かせており、一般庶民も支配されるのが当たり前のように洗脳されており、それがおかしい事さえ気付かなくなってしまっているのです。
   そこには、全ての人類が協力して行くという、共生の思想が欠如しているのです。
  ですから、我先に支配者になろうと手段を選ばずにその地位を奪い取ろうとする者が後を絶たないのです。
その為に争いや騙し、殺し合いが生まれてしまうのです。
    まずは、手段を選ばずに行動する事自体が悪である事に気が付かなけれならないのですが、勝てば官軍負ければ賊軍のような価値観が世界中で広がってしまったのです。
ですから、人類の目的、地球との共生、自体を正しい方向に向けさせることが必要になるのです。
そして、地球との共生を実現する為には、まずは人々が共鳴し合わなければならないのです。
  人々が共鳴するには、お互いに同じレベルに居て、お互いを」合わせなければなりません。ですから上から下に圧力を掛けても共鳴は起こらないのです。
  如何に共鳴し、如何に共鳴の輪を広げて行くかを考えた時には、如何にレベルの高さを合わせて行くかを考えなければなりません。
  日本人は、皆が同じレベルに合わせる事に努力して、調和の取れた社会を築いて来たのですが、最近ではそれが、どうも上手く行かなくなって来たように感じてしまうのです。
 しかしながら、トップダウンシステムの終焉は間違いなくやって来ているのです。
少数のトップ層が、多く人々を従え、大きなピラミッド構造を作り支配する事自体がナンセンスだからなのです。人間が、人間を支配する仕組みはもう終わりにしようでは有りませんか。
  多くの人々を騙す為に知恵を絞り、お金をコントロールし、武器や石油資源を独占するなどという仕組みは、もはや時代遅れとなっているからなのです。
  人間を単なる労働力、戦闘武器として利用してしまおうなんという騙し打ちは、もう止めようではありませんか。
   もし労働力が必要ならば、ロボットが、戦闘武器や戦闘兵が必要であれば、アンドロイドが代わりに仕事を成し遂げてくれる時代がもう来ているからなのです。
  人間はひとたび、お金崇拝の価値観から抜け出せたのなら、力による命令や札束で頬っぺたを叩かれて動く事が無くなる筈だからなのです。
   21世紀に人々が行動する為の「インセンティブ」と「スイッチ」は、心眼とヴィジョンの共鳴と言う、エネルギー間の連動のみとなって欲しいものなのです。
 したがって、トップダウンに代わって主流になるであろう組織形態は、互いが相互に連携しながら大きな流れを生み出す構造、つまりは三次元らせん型組織なのです。
 さらに遺伝子構造と比較すると、遺伝子構造は二重らせん構造となっているのです。
 二重らせん構造は、ワトソン-クリックモデルとも言われています。それは、DNAの分子構造で,塩基が相補的(グアニンに対してシトシン,アデニンに対してチミン)な二本のポリヌクレオチドの分子が互いに逆方向でらせん状の構造を形成している構造、直径2.0nm、10残基ごとに1回転する構造をとるのです。
 日本では、会津のさざえ堂に、また世界ではスペインバルセロナのサクラダファミリアに、この二重らせん構造が建築技法として取り込まれており、みごとに表現されているのです。
 サクラダファミリアを訪れた事がある方には良く判ると思いますが、その放物線が創り出す造形の素晴らしさ、単なる建築別とは一線を画し、生命の偉大さや、命の息吹が感じられる、まさに偉大で神がかりな芸術作品と言えるのです。
 そしてその中には、DNAの分子構造である二重らせんが埋め込まれていたのです。
私は行列に並ぶ事が嫌いなため、エレベーターの利用を避けて、らせん階段でサクラダファミリアの頂上を目指したのでしたが、そのらせん階段は人ひとりが上るのがやっとの狭さでらせん状の曲線を描いているのです。
また、その曲線一本一本がそれぞれ別の顔を持っているのです。らせん階段の上から下を見下ろした時の風景は巻貝の中に吸い込まれていくような不思議な感覚であり、さらに登りと下りが別のらせん階段となっている二重らせん構造がいくつも埋め込まれていたのです。
それはさも、今後の人類の進むべき方向性を暗示しているようにも私には感じられたのでした。
 それは偉大な建築家であり、思想家でもあるアントニ・ガウディが人類に残した永遠のメッセージでもあると私には受け止められたのです。
 もしそうであれば、これからの人類が進むべき方向は、トップダウンの独裁型組織では無く、人と人との三次元的な繋がりで構築される、二重らせん構造の組織なのではないでしょうか。
一方で、日本企業ではボトムアップという、下から上への情報の伝達や指示が流れる仕組みが一般的な組織構造となっているのです。顧客からのクレーム、現場での出来事や変化といった重要な情報が支配層に上がって行くのです。
日本の強さは、まさにこの部分にあるのではないでしょうか。また、ユダヤ人3大巨匠であるフロイト、マルクス、アインシュタインらのすばらしさは、情報に対して最も臨機応変に対応し人々に突き刺さる作品や理論体系としてアウトプットして来たからなのです。
彼らは、正に世界一のコスモポリタンだったのです。
そして、今後は下から上へと大事な情報が上がって行く時代となるでしょう。
その一方で、横への情報伝達はたとえ組織でさえも、難しい側面があるのです。
休憩時間、タバコの喫煙、井戸端会議、食事や飲み会等の非公式な場面で情報が共有され伝達して行く場合が多いのです。
国家と言う枠組み、また官僚組織といった縦割り社会が横との連携をバッサリと裁断してしまうのです。
そして、それらの弊害を防止する意味でIT技術が大いに役に立つのです。
そして、グループウェアやERPといったソフトウエアを活用する事によって、なかなか繋がりにくい横への情報が横串となって、ぐさりと突き刺さり、横への情報の流れを活発化してくれるのです。
21世紀は「心眼」つまり第三の目でもある「マインズアイ」の時代ですから、視覚には頼らずに出来るだけ五感を使って、相手の「心」をエネルギーとして感じ取って欲しいのです。
とはいっても、いきなりでは難しい面があるので、少しずつ本丸へと近づいていくようにして欲しいのです。
その為には、先ずは今までよりも一歩前進し、もう少し深い目線で相手の動きを見て行く事が大切となるのです。
ですから、まずは相手の目を注意深く見る訓練から初めて欲しいのです。
人間は、好きな相手を見ると自然に瞳孔が開いてしまうのだそうです。
そして、人間の心は目と連動しているので、目から心理が超簡単に分かってしまうようなのです。
それらの代表的な5つのポイントをここに上げて行きます。
①目の輝き(瞳孔をチェック!)
 瞳孔が開いていれば、反応している証拠だから、嘘発見器のような役割になっています。
②目の動き
隠し事をしている場合は、男性と女性とでは違う傾向があるそうなのです。
男性は、隠し事をするとすぐに目をそらす傾向があり、逆に女性は、隠し事をするときじっと相手の目をみるそうなのです。つまりは、女性の方がうそをつくのが上手なのです。
③どこをみているか、視線の先で何を考えているかが分かる
視線が左上を見ている場合は、記憶をつかさどる左脳をつかって過去の体験を思い出しているそうです。
逆に視線が右上の場合は、想像や思考をつかさどる右脳をつかってなにか考えごとや想像をしているときらしいのです。また、うそをついているときも右上をみることがあるそうなのです。
また、聴覚に対するイメージを考えているとき、たとえば曲を思い出しているときなどは右下をみることが多いらしいのです。
また上目づかいの時は、相手に甘えたいという気持ちや好意のあらわれだそうなのです。ちら見と同様、相手に好意を気づかれたくはないが興味があるから見たいためこういう視線になるそうなのです。
④まばたきの回数
一定時間内におけるまばたきの数が、多ければ多いほど緊張度が高まっている事が判るそうなのです。
⑤口の動きとのバランス
人が笑うとき、口と目をつかって表情をあらわしますが、口が9割、目が1割なのだそうです。
そして自然な笑い方とは、まず口が先に動いて、そのあとに目が追っかけて動くそうなのです。
作り笑いをすると、目が笑っていないというのは有名なのですが、目と口が同時に笑うのも作り笑いの可能性が高いそうなのです。
ですから、お店の店員さんなどの目を観察してみるのも参考になるのです。
日本人は、自分が口下手だと思っている人が意外に多いのです。
それなら、眼力で思いを表現してみて欲しいのです。だ特に、剣道家というのは、眼の良い方が多いらしいから、「どんな場所でも、どんなに遠く離れていても、チラッと剣道家を見かけたら、必ず挨拶しておけ」と言われるのです。
まず相手と向きあう時には、目そのもの、右の目や左の目を見るのではなく、目と目の間、眼間(めけん)を見るのです。その時は力まずに、ゆったりとした和眼で見るように心がけ、相手が快く感じ、利害関係の話で会ったとしても、自然と警戒心が雲散霧消するようなまなざしでいられれば、最高なのです。
目と目の間を見つめるのに慣れたら、今度は物理的な相手の顔や体や目を見るのでなく、相手の体を透かして、相手の背後を見るようにしてみましょう。
目と目の間を透かした、後頭部を見つめるような気持ちで見てみましょう。
少し訓練が必要になりますが、剣道の心得のある方ならよく理解できると思います。
剣道の試合でなく一般の方がこうすると、相手を包み込むような、深みのあるまなざしになるそうなのです。
これは、自分自身がリラックスして、相手とものごとを客観的に深く見つめるような気持ちでないとできないので、簡単なことではありません。人間的な修養が必要になります。そして最後は眼力になるのです。
この眼力というのは、総合的な人間力が眼から発散する結果、あらわれるものであって、強烈な霊力の磁場でもあります。この眼の念力にも、二通りのタイプがあります。
一つは、いかにも強烈な眼力が、眼から直接ほとばしり出ているタイプです。もう一つは、ヌーボーとしているようで、どことなく奥深さを感じさせるタイプです。だこの眼力、眼から発散する霊力、念力が人を動かすのです。
実力があるのに、どうも肝心な時にものごとがうまくいかない、という方は、このことを覚えておいて、いざという時には念力を強烈に発散するように、心掛けてみましょう。             
しかし、悪心をもってこの念力を使おうとすると、必ず自分に見返りが来ますので、注意してください。
私利私欲、悪念、邪念を捨てて、自分の使命、大義によって交渉にあたることが、肝心なのです。
そうすれば、必ずや本来のあなたの以上の力が発揮できるはずなのです。その力を貸してくれるのは、人間なのか、ちょっとしたツキなのか、別にどっちでも構わないのですが、正しい動機、正しい方法で行われる「わざ」には、必ず、眼に見えないプラスアルファの力が働くのです。
これを運と呼ぼうと神通力と呼ぼうと、それは構いません。要は、それを呼び込む本人の価値感になるのです。願わなくとも、価値のある人には天地自然、神仏の加護があるからなのです。


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