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拾えない奴

小学生のころ、自分はどうにも「拾えない奴」だと思っていた。 クラスには「拾える奴」というのがいて、文字通りいろいろなものを拾う。
お金はもちろんのこと、くわがたやへびといったものから、めずらしい石やかわった形の枝など、こどもたちにとって宝物であるようなものを、実によく拾うのである。

そんな子は、ぼくの羨望の的であった。
その戦利品を取り囲みながら、「どうしてぼくは拾えないのだろう」と真剣に悩んだりした。
気がつくと、あいつもこいつも、なんだか皆が「拾える奴」のように思えてきて、そのうち悔しいを通り越して、なんとも情けない気持ちになるのである。べつに「欲しい」からではなく、「拾いたい」からという理由だけで、歩くときは下をむいて、地面ばかりをきょろきょろしていた時期もあった。 昼間の時間はひとが多いので、きっとほかの誰かが拾う確率が高いのだと、勝手に納得したりもした。

中学三年生の秋になって、ステレオを買うお金がほしいばかりに新聞配達をはじめた。 当時は手頃なミニ・コンポなどはなく、ステレオは中学生には目玉がとびでるほど高価な代物だった。

朝の三時半に起きて、折り込みチラシをいれ、大人用の自転車に前がみえないくらいに、山積みにした新聞をのせてでかける。 六時を過ぎたあたりになるとずいぶんと自転車も軽くなってきて、気持ちに余裕ができてくる。
そんなときには、ふと自分が「拾えない奴」だった頃のことを思い出して、まだ薄暗い道を、何か落ちてないかと探しながらペダルをこぐことがあった。

朝一番にこの道を通るわけで、前の晩に落としたものがあれば、当然「なにか」を拾うことができると考えたわけだ。 しかし、そんな好条件にもかかわらず、やはりなにも拾うことはできなかった。
「とことん拾えない奴なんだな。」
そう独り言をいいながら、見上げた西の空に、UFOらしきオレンジの光がいくつか飛んでいるのを見つけた。

小さな光がゆっくり上下に動きながら、右から左へ移動していた。
初めて見るUFOらしきものに、呆けたような興奮を感じながら、じっと目をこらしていると、みっつになったり、よっつになったりしていた光は、やがてひとつに重なって、白いほのかな閃光をあげて、消えてしまった。ほんの数分のあいだの出来事だったが、なんだかすごく得をしたような気持ちになっていた。
高校の受験日が近づいた、寒い冬の朝だった。

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