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「オマールの壁」

 ずいぶん前のような気がするが、恵比寿の写真美術館の地下劇場で、たまたま観た「パラダイス・ナウ」には、たいへんな衝撃を受けた。
 最後のタイトルバックが上がるあいだも惚けたようになり、劇場を出ても、なにがどうなっているのか、自分がどこにいて、どこに向かって歩いているのかすら見失ってしまう、そんなはげしい映画体験だった。
 そのハニ・アブ・アサド監督の新作とあって期待はかなりふくらんでいた。しかも設定は「パラダイス・ナウ」と同じ、パレスチナのガザ地区である。
 遠い辺境の島国に住んでいると、この地域の複雑で深刻な問題は、ともすると視界のはしっこにも映ってこない。でももちろんヨルダン川のあちら側にもこちら側にも暮らしがあり、愛があり、人生がある。
 そんなあたりまえをカメラが映し取ってみせてくれたとき、ぼくらはおそらく「これは、いま現在起こっていることなのだろうか?」と自問をするにちがいない。それは、ガザだけでなく、シリアの多くの地域で起こっていることが映されても、同じくそう感じるのではないだろうか。
 ついさっきランチで食べた美味しいイタリアンとこの映画に映っているものの、同時代的な時間の整合性が、理解はできても、感覚としてはっきりとつかめない。これほどの過酷でキツい日常の暮らしが、同じ地続きの果て、同じ時間のなかで存在するということを、自分たちが知っている痛覚で、果たしてはかることができるだろうかと思ってしまうのだ。
 占領とか、拷問とか、特別警察なんかじゃない、ぼくたちもよく知っていること、たとえば友情や恋愛や教育や家族、そんなひとつひとつすら、その強度において、別次元のものになってしまう。
 幸いにもぼくたちはかようなインテンシティーをまとった友情も恋愛も経験することはないだろう。それは比喩的にいうなら、ぼくたちは腹に爆弾を巻いて、人混みのなかにわけいっていくことは決してないだろうということでもある。
 状況というものは普遍的に持っている価値や事象そのものを、かくもちがった様相にしてしまうのだと思うばかりだ。

 自爆テロに向かう青年を描いた「パラダイス・ナウ」よりも、本作はもっと映画として観やすくできている。悪い意味でなくハリウッド的な文法もあって、サスペンス娯楽作としても楽しめる要素も多分にある。
 その観やすさは、決して日和った結果ではないと思う。アサド監督をはじめこの映画に関わった人たちには、はっきりと「見てもらいたい現実」があり、それを伝えようとするゆるぎない意思があると思うからだ。
 おりしも前の晩、「安田純平さんの生還を願い、戦争取材について考えるシンポジウム」に行ったところだった。パネラーばかりでなく、客席からも発言があり、戦争報道、そして広くジャーナリズムのありようについて、闊達で有意義な議論が展開された。
 シリアの武装勢力に捕らえられて、10ヶ月になろうとしているひとりのジャーナリストに対して激しい罵倒を浴びせるひとたちがいる。その口汚い、ヒステリックなまでのののしりに、それはどこか「異界」への恐れのようなものがふくまれるのではないかと、「オマールの壁」を観たあとに、そう思いかえした。
 シリア、あるいはガザ地区でいままさに起こっていること、それは平和であるぼくたちの日常とは、まったく異なるものなんだと思いたいという気持ちがそんな悪口のなかにふくまれていやしないか。シリアやガザを自分たちとは関係のない「異界」として顔を背けていたい、どうか持ち込まないでくれ、そんな率直な不快感の表明かもしれない。

 さっき調べてみたら「オマールの壁」は2013年の作品のようだ。なぜこれだけの素晴らしい映画が配給されずに今日まできたのだろうか。出来上がってから2年たってやっと独立系のアップリンクが配給を決めてくれるまで、大手の配給会社はなにをしていたのだろう。
 この映画がものすごくつまらないから買い付けなかったのか、それとも観客動員を見込めない不採算映画だと判断したからか。おそらくそうではないだろう。映画としての出来はものすごくいいし、宣伝をすればたくさんのひとが劇場まで足を運んでくれる映画であることは間違いない。ではどうして?
 いまこの国にはびこる「見ないふり」「見えなかったふり」こそが、報道の自由や言論の自由、人権の尊重といった、ひとがひととして生きていく基本と基礎を、大いなる危機へと向かわせている。
 囚われているひとりのジャーナリストの命や「オマールの壁」から目を背けることからは、もはやなにも生まれないと思う。「異界」などはどこにもない。とにかくまずしっかりと見て、よく考えること。そして自分の考えをことばにする、そんな地道なことを不断に続けていったなら、民意は大きな力となって、行くべき先を照らしてくれるかもしれない。
 

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