「ジョーカー」
バットマンシリーズは大好きです。ムキムキのバットマンスーツやスーパーなバットマンカー、地下の司令室。どれをとってもワクワクするというか、否が応でも興奮させられてしまう装置や道具や衣装が満載ですから、はじめからお手上げです。
「ジョーカー」には、それらの魅力的なアイテムは一切でてきませんでした。かわりに貧困、不遇、憎悪、そして暴力が充満していました。ロッカールームで手渡された38口径を手にしたシーンでは、永山則夫を思い浮かべました。
踊りがよかったです。まさに大野一雄を彷彿とさせるダンスを、ずっと観ていたかったです。階段のシーンはあと3分ながくてもよかったのにと思いました。
スタッフ、キャストともに完璧で、安心して観られる美しいエンターテイメント映画になっていました。
ウエルメイド。よくできてるなあといつもながらに感心してしまいます。ハリウッドはさながら夢工場です。音楽、戦争、環境、歴史、スポーツ、あらゆるジャンルの問題やイシューを物語に変え、エンターテイメントに作りかえていきます。
巨大な資本が、ひとびとの夢や願望、ときに暴力や性、はたまた奥底に眠る混沌とした情念すらも練り込んで、美味しいお菓子に仕立てあげてくれます。
昨今ではハリウッドの映画製作でもAIが、ずいぶん活躍しているのではないでしょうか。「ジョーカー」でもそんな雰囲気がするカットの長さでした。観客はこのくらいで「飽きる」と判断して編集されたようなとは、さすがに思い過ごしでしょうか。
バットマンの話は、ゴッサムシティのなかでの話です。けっしてこちらには飛び火してこない、とそう思っていました。ただなんとなくですが、世界がゴッサムシティのように、憎悪と偏見と狭量と排除に支配されつつあるとするなら、ある種のカタルシスと共感をよぶのだろうとは思います。
そこまで読み込んでの世界配給と大ヒットなら、さすがです。しかし効き目はコカインと一緒でそう長く続きはしない。もしAIがそう判断したのかなとも、思った映画でした。
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