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「海炭市叙景」

 祝福された映画というのはほんとうにいいものです。薄暗がりの片隅で、そのおすそわけにあえるのは映画を観る楽しみのひとつでしょう。
 雲が低くたれこめるフェリーボートのデッキの向こうに海炭市はあります。そしてそこは売れない浄水器のセールスマンの故郷なのです。

 正月明けに、はじめてお伊勢参りにいってきました。外宮にはいると冷たい空気が木々にはりつき、いつの間にかきれいな雪が行き交うひとたちのうえに降り注ぎました。奇麗だと心から思える景色にたくさんの音がかき消されていくのがわかります。
 鳥羽から志摩のほうへくだっていくと複雑に描かれた海岸線が連なっていきます。波のない海に氷柱のようにささった木の棒に、牡蠣の養殖の盛んなさまを知ります。あまりの寒さに旅館の外へ出るのがはばかられる海は、果たしてどれほどの冷たさだったのでしょう。

 池田敏春監督がどれだけの時間、その海に漂っていたのかはわかりません。監督が残した「天使のはらわた・赤い陰画」を観たときの衝撃は忘れることはありません。あれもまた祝福された映画でした。

 職を失った兄妹は、ひとつのかき揚げをふたつにわけて年越しそばを食べ、そして初日の出を見にでかけます。ロープウエイ乗り場でわかれ、ゴンドラに乗って帰ってくるはずの兄は、待てどももどってきません。一点を見つめたまま待ち続ける寡黙な妹は、声をかけてきた売店の店員にこういいます。
「あと一分だけ待ってください。」

 それは永遠の一分間です。

 親の事故を知った教師に送られて無邪気に手をとる兄妹の後ろ姿が、やがて理不尽な境遇にちぎられ、そして売れることのない浄水器のセールスマンの父親が運転する市電が横断する線路の向こう側へと逃げていくのです。
 こちら側とつながっていたかすかな糸が切れた瞬間、ふたりの後ろ姿はこの上もなくはかなく映るのでしょう。

「そうじゃないだろう!そういうことじゃないだろう!」
たくさんのことばを持たない兄がいうのです。でも兄ちゃんの全身の毛穴からでることばは、進んでいく大きなものに届くことはありません。

 監督、冬の海は冷たくはなかったですか。あまりの寒さに旅館から眺めるだけだった伊勢志摩の海に、もしその事実を知っていたなら、花をひとつ投げることもあったのではないかと、今になって思います。

 生真面目にやらなければならないときがきているのです。そこから目をそらすのには、もう時間がないようです。「海炭市叙景」は、そんななにかを静かに語りかけてくれます。
 傾きかけた老婆の家のぐるりを、重機が容赦なく取り囲みます。立ち退きの説得にきた市の職員は、頑な老婆を見ながら、惚けたようにいうのです。
「強制退去になってしまう。」

 断崖から飛び降りた兄の遺体は、大好きだった海に落ちることなくひっかかったまま、北風にさらされていました。その収容作業で人為的に落とされることを、なによりも彼自身が望んではいなかったでしょう。
 シャッター商店街の片隅でもがく二代目プロパンガス屋の家族にたちこめる、晴れることのない霧のような憂鬱と、さびれたプラネタリウム技師の家族が、幸せだったころに見上げた満天の空。
 そんないろいろが、フェリーでわたったすぐ向こう側、海炭市にあります。それはそんなに遠いところではありません。フェリーで渡ったすぐそこです。

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