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「娘は戦場で生まれた」

 そのとき、壇上の安田純平さんは、ひときわ怒っていた。語気も強く、会場にいるものにも、その震える怒りが伝わってきた。
 2015年、ISによる後藤さん、湯川さん殺害を受けて、急遽開かれた「報道の自由」をめぐるシンポジウムでのことだ。両氏の拘束から、ジャーナリストへの規制が厳しくなり、事実上、紛争地への渡航や現地取材が不可能になっている状況だった。
 シリアは緊迫していた。シリアで、アレッポで、いったいなにが起きているのか。それを知らせてくれるのは外国のメディアか、インターネットを通じて流れてくる市民の映像だけだった。
 知る権利、そしてそれを伝える仕事を奪われたフリーのジャーナリストたちは、日本のジャーナリズムの弱さ、もろさを憂え、同時にはげしく怒っていた。仲間である後藤健一さんを救えなかったという自責の念もあったと思う。なかでも安田さんの形相は忘れられない。
「それでも、おれはいく。」
そう言ったかどうか、でもそう聞こえた。
 そしてその数ヶ月後、アレッポ郊外で、安田さんは拘束された。
あれ以来、この国のジャーナリズムは、本来の姿、かつて持っていたであろう力から、遠く離れてしまった。それと同時にひとびとも「知ること」を諦めるようになってしまった。
 ときどき流れてくるワアド・アル=カデブの映像を観ては、いったいアレッポでなにが起きているのか、ただでさえわかりにくいシリアの情勢について、自分の目で見て、考えて、日本語で伝えてくれるジャーナリストがいないのだから、それはただただ「遠く離れた場所の悲惨な現実」としかとらえることができなかった。

 空爆、瓦礫の山となった市街、その下に埋まっているひとたち、子供を失って泣き叫ぶ母親、おびただしい数の死体、血だまり、爆撃音、自失するひとびと。
 「娘は戦場で生まれた」で、やっとアレッポの五年間が伝えられた。政治腐敗を正し、自由を求める平和なデモをしていた学生たちが、その後どういう生き方、どういう道をたどったかが、そこに生きるひとの目線で、生々しく語られる。
 ISによる占拠、ロシア=アサド政権軍による激しい攻撃、アレッポは包囲され封鎖される。巻き込まれる市民。病院すら攻撃対象となり爆撃されてしまう。
 夫であり、医師であるハムザを追ったことで、被害の状況がより鮮明に伝わってくる。ワアドはまたひとびとの日常もとらえる。そこには暮らしがあり、笑いがあり、友人がいて、こどもたちもいる。歌い、食べ、愛し合い、眠る。戦時下にもひとの生活はある。その営みを一瞬にして壊して無にしてしまうからこそ、戦争は悲惨であり、罪深いのだと知る。
 安田さんが拘束されていたのもそんな時期だったのかと、あらためて思う。断片的なピースがつながり、おぼろげながら起こったことの全体がみえてきた。
 見ることは知ることでもある。知ることを諦めたら考えなくなってしまう。ただ、こうも自問する。知って、考えて、ではどうするか。一歩止まって、ときに無力感にさいなまれることがある。

 ワアドはずっと配信し続けた。6800万回再生という映像を目のまえに、
「こんなにたくさんのひとが見てくれるのに、攻撃はいっこうにおさまらない。」
と嘆くシーンは印象的だった。
 少しずつ歩んでいく。「見る」をやめず、「知る」を諦めないこと。これもまた映画の力だと思う。

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