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恐山のウーロン茶マガジンを購読し始めた

毎月300円で恐山の記事がほぼ読めるやつを買った。言語化できないけど、恐山の文章はおもしろい。神経質な程に、物事を深掘りしている気がする。

毎月300円で、記事に付いているハート数を数えると最低でも400人くらいが購読しているのではないか。
300円×400人=120,000円

バーグとしての正社員給与で少なくとも30万もらっていると仮定して、さらに印税や各種イベントの報酬なども計算すると、恐山は月収約42-50万くらいはもらっているだろう!ボーナスとかを考慮すれば800万以上はいっているはずだろう。だから何?

🫏

恐山による、ツルヤというスーパーに関する記述。

(課金した人しか読めないところだけど、恐山さんが違う記事で全部画面コピーとかではない、一部の切り抜きは宣伝になるからokとしていたことを確認済みなので載せます。訴えられないはず。)

・入店して、まずそのスペースのゆとりに驚いた。店舗自体もかなりの大型なのだが、陳列棚の感覚がとても広く贅沢なのだ。そして、陳列されている商品はいかなるものもキッチリと整理整頓されている。野菜や魚介類も含めて、アイロンをかけたばかりの服のようにぴしっとした雰囲気なのである。

・そのせいか、スーパーマーケットなのにもかかわらず生活に追われている感じが微塵もない。純度100%の買い物を楽しめるよう、かなりしっかりした方針のもとにレイアウトされているのがわかる。

・そして店内はとても静かだ。スーパーといえば大抵はイージーリスニングのBGMか、有名なJ-popの変なアレンジが流れていて、精肉コーナーでは「ソーセージくん」みたいな知らんキャラの曲が30秒間隔でループし、そこで作業する店員は死んだ目をしているものだが、そういうことがない。スピーカーは完全に無音。ほぼ音のない空間でみんな商品を選んでいる。

・音がまったくないとソワソワしてしまうかと思いきやそうでもない。むしろ他の客の商品選びなどの音だけがさざめくことで森の中にいるような効果を生み出している。そう、このスーパーは何か森のような魅力がある。ていねいに整えられていて、広々していて、うららかなのだ。


行きたくなった。
こうやって読み返すだけでもわかるけど、読みやすくて、分かりやすい。
『スーパーマーケットなのにもかかわらず生活に追われている感じが微塵もない。純度100%の買い物を楽しめるよう、かなりしっかりした方針』って
生活に追われている感じという表現が絵に浮かぶほどにスーパーの嫌な部分を明確に表している気がする。

食材を選ぶ楽しさがない、
いつもの常備系食品である納豆や豆腐、牛乳を機械的に値段や賞味期限を見てカゴにいれる感じ。買い物カゴ同士がぶつからないように気をつけながら歩く狭い通路。
そうしたつまらなさや、ストレスが全くなく買い物にだけ集中できることが想像できた。いいなぁ。

視覚的な記述から、聴覚的、トータルな例え。森。
『むしろ他の客の商品選びなどの音だけがさざめくことで森の中にいるような効果を生み出している。そう、このスーパーは何か森のような魅力がある。』
もう恐山の説明文を全面に出した広告、ホームページに載せてもいいのではないか。スーパーなのに森のような魅力があるって、、、!!本来は対極にある二つだろう!!森とスーパー。

もし、自分が同じスーパーに行ったとしても『綺麗に陳列されていて、すごい広いスーパーだった』というふにゃふにゃな感想で終わるだけだろうな。視覚、聴覚、森のような魅力という五感トータルの表現、、、
ここまで感度を研ぎ澄まして生きているのかと想像すると、相当生きにくいことも同時に想像できてしまう。

🍜

いつも、おもしろい(という言葉以外で恐山の文章に関する魅力を表現したい)文章をありがとう!!
お金払ったよ!!

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