見出し画像

日記の練習

 友人から交換日記に誘われて、ひさしぶりに日記を書く。共通の友人同士でメッセージアプリのグループチャットを使い、一週間を期限として順番に日記を書いて公開する。
 あみだくじの結果、私は五番目になった。日記を書く順番はだいぶ先にはなるが、準備運動もなしに書いたものをよく知ったひとに読まれることに、相応の恥じらいは感じる。そこで文章を書く馴らしとして、練習を始める。
 日記の練習である。

2023年7月1日(土)の練習

 昼、気まぐれで東京に来た母と会って話す。母は東京に来る度いつも予定を決めずに来る。私と、母の友人と会う以外は、本当に何も決めていない。今回の旅行も同じだ。昨日から東京に来ていたそうだが、予定がないのでふらっと明治神宮野球場に行って、東京ヤクルトスワローズと広島東洋カープの試合を観戦したという。贔屓にしているカープを応援するなら外野席で観たのかと思ったは、雨が降ったり降らなかったりの天気だから屋根のある内野席を購入していた。相手チームのファンに囲まれてぽつんとひとり贔屓のチームを応援するのは、どんな気持ちだろう。
 試合結果は大差をつけてカープの完封勝利だったそうだが、それよりも母はスワローズファンのマナーのよさを感心していた。試合内容としては罵声を飛ばすひとが出てもおかしくないところ、ちかくの席で観戦していた奥様方は選手の一挙手一投足に黄色い声をあげて、新卒の社会人なりたての若いひとは落ち着いた様子でプレイについて話していたそうだ。

 母と別れてからは神保町をすこし歩き、青山ブックセンターを見てまわっていた友人と合流して、外苑前の三喜園で中華料理を囲む。そこで交換日記の話となり、日記を書くにいたる。

 帰宅する頃には雨が降っていた。片山敏彦『ドイツ詩集』(みすず書房)を読み進める。ドイツの詩の歴史と、詩人の紹介、そして著者みずからによる訳詩がただの一行空きをして連綿と綴られていくこの詩書は、いつまでも読み続けて雄渾なドイツ詩史に身をまかせることも、またどこでも本を閉じていましがた読んだばかりの詩に想像を委ねることもできる。
 きょう読んだところでは、ハンス・カロッサの自伝小説で、主人公の青年がホフマンスタールの詩と出会う場面が紹介されていた。十一月のある晴れた日、ミュンヘンの植物園で待ち合わせをしていた友人は、主人公らと会うなりひとつの封筒を差し出して「詩なんだ! まだ印刷されたことのないやつなんだ! 詩人の自筆なんだ!」と叫ぶ。主人公らは友人をまんなかに座らせると「彼が封筒の中から取り出した白い紙片に無言で挨拶した。署名はなかった。そこには、ぞんざいな、だがしっかりとした筆蹟で書かれた、短い詩行の一連があった。その詩は――」
 そして、ホフマンスタールの詩篇「両者」が引かれる。
「……われわれは誰しも、その原稿のいちばん端をそっとつかむ前に、ハンカチで指を拭くのだった。さてそれから、みなはその詩を暗記しはじめた。なぜなら書き写しは厳禁だったから……」。
 素晴らしい詩に触れた瞬間の感動だ。

 twitterの全範囲に及ぶAPI呼び出しの回数制限により、タイムラインが完全に静止した。よくわからないまま投稿はできるようなので、どうでもいいことを投稿する。この文章は誰かに届いているのだろうか。それさえもわからない。この寄る辺ない言葉の放擲を、すこし前まで私たちも「つぶやき」と言っていたような気がする。

 工藤幸雄『十一月 ぼくの生きた時代』(思潮社)を購う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?