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本を読むひとたち(日記の練習)

2023年7月21日(金)の練習

 行きは大岡昇平『野火』を、帰りは沼正三『家畜人ヤプー 第二巻』(幻冬舎アウトロー文庫)を読んでいるひとをそれぞれ見かける。『野火』は背に図書館のシールが貼られてあって、新書判の見たことのない版だった。『野火』は文庫版だけでも知る限り品切を含めて四つは版がある。三年前に神奈川近代文学館の「大岡昇平の世界展」を見た時、展示されていた文芸誌〈展望〉1951年1月号に掲載された連載第一回の冒頭と持ち歩いていた講談社文庫版の冒頭を読み比べたらかなり変わっていたので、もしかしたら文庫版同士でも異同があるのかもしれない。ましてや、見たことのない新書版なら尚更だ。それよりも気になることがあった。『野火』ほど名の通った作品であれば、図書館にだったら大抵のところには何がしか文庫版が収蔵されているに違いない。どうしてわざわざ新書版の『野火』を読んでいるのか。気になる。

「デート美術館展」でSNSを検索して、本来は「テート美術館展」に来たはずなのに、由緒あるイギリスの美術館から海を渡ったコレクションよりもデートで頭がいっぱいの、 脳内がお花畑になっている(あるいは、単に美術館に対する敬意のない失礼な)ひとたちの投稿を見て、しみじみとする。週末にするべきでない愚行に時間を浪費する。こんなことをするよりも読書したほうがいい。

 ヘレ・ヘレ『犬に堕ちても』(筑摩書房)を読み終える。どこかそっけなく、淡々とした文章なのに、描写の的確さがデンマークの片田舎、そこに暮らすひとびとの生活が過飾なく綴られる。小説のなかで流れる時間はわずか数日のものだけど、日々のふとした時にゆっくり読み進めたい。そう思っていたはずなのに、後半をするするするすると読んでしまった。デンマークのひんやりとした空気が、どこか心地よかったのかもしれない。

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