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再読と満腹(日記の練習)

2023年7月22日(土)の練習

 中学生以来、北村薫『夜の蟬』を再読する。読み返してみると、当時は気づかなかった語り手である〈私〉の心情の揺れや機微に改めて気づくことも多く、楽しい。
 主題に呼応するよう随所に仕込まれたモチーフの転がし方、それに日常への観察にねざしたささやかな謎と解決で、ほとんどドラマチックなことが起こらないなか中編の分量を読ませるのだから、この巧みさは脱帽するほかない。むしろ、ドラマチックなことを起こさない意志を強く感じる。

 友人とふたりで、立川のシネマシティで映画『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』の再上映を観る。

 映画を観たあとは、オリオン書房ノルテ店をのぞく。友人に付き合って、ひさしぶりに児童書コーナーとコミックスコーナーを一棚ずつじっくり見る。児童書はともかく、コミックスも知らない作品がふえていて動揺する。
 児童書コーナーでは、児童書文庫レーベルのデザインがどれも一新されていたことを今更になって知る。角川つばさ文庫、講談社青い鳥文庫、集英社みらい文庫など、各レーベルで背は規定の一色に統一されていて、同じ棚のなかでぱっきり分かれている。そこにポプラ社のキミノベルやスターツ出版の野いちご文庫などが新規参入している様相。一般の文庫コーナーを見ているのとは違う論理で棚の全体像が組み立てられていて面白い。
 コミックスコーナーでは、友人の好きなタイプではないかと思って、三島芳治の『児玉まりあ文学集成』を薦めて買わせる。私も最新刊の第三巻をまだ読んでいないから、一緒に買えばよかった。三島芳治は最初の単行本『レストー夫人』刊行当時に何かアンテナが働いて読んでみたら好きだったので、数年を経て『児玉まりあ文学集成』の連載がトーチwebで始まった時は感謝したほど。『レストー夫人』も再刊してほしい。そのあとは文庫コーナーをめぐり、迷ったら買えばええんやと友人を煽って、青崎有吾『11文字の檻』と石川宗生『ホテル・アルカディア』も買わせる。気づいたら二時間以上書店にいた。

 夜は三鷹のUDON STAND GOZで日本酒とうどんをいただく。普段は好んでは注文しない焼きトロ塩サバもしっかり脂がのっていて美味しかったが、やはり鶏料理は格別だった。鶏ムネの梅和えタタキに、ねぎおろしポン酢で食べる鶏天は単品でも頼んだうえで、〆にも鶏天柚子こしょうぶっかけうどんを頼んでしまう。ひさしぶりに苦しくなるほど食べてしまう。日本酒は閃、会津中将、あづまみね、寫楽、大七をのむ。
 隣の席では夫婦らしき若い男女が座っていた。ひととおり食事を終えたのか、男性はスマートフォンを横に持っていたのでゲームアプリでもプレイしていたのだろう。女性は本を読んでいた。よく考えたら食事中に行儀が悪いなと思いつつ、ちらちら見てしまう私も不作法の謗りは免れない。何の本を読んでいるのか気になるが、通路を挟んで斜向かいに座っているから、背と裏側の表紙しか見えない。しかし、本を閉じた時にちらと表側が見えて、なんとその本は北村薫『空飛ぶ馬』であった。偶然に驚いて、友人の話も一瞬で飛ぶ。「いま私も、北村さんの『夜の蟬』を読んでいますよ!」と声を掛けたくなるが、不作法に不作法を重ねるわけにはいかない。しかし、三十年以上前に書かれた小説の、そのシリーズの一作目と二作目を読んでいるひとが同じ空間にいること。嬉しくて仕方がない。
 帰りは友人に連れられて、終電までカラオケに付き合う。

 帰ってから、また『夜の蟬』をすこし読む。一編目「朧夜の底」の主軸となる謎解きから明かされる、後の北村薫作品でも幾度かに亘って変奏される無自覚な悪意の有り様に、何年か越しに深く杭が打ち込まれた思い。
 中学生以来の再読がもたらす変化は、時の経過だけではない。当時は想像するほかなかった御茶ノ水や神田や九段下といった地名が、東京で生活するようになったおかげで、ありありと実景が浮かぶ。「朧夜の底」最後の場面が、御茶ノ水橋の上で秋葉原のほうから神田川を眺めて終わっていた。同じ場所で同じ景色を見た日のことを思い出す。

 ジョージ・ソーンダーズ『十二月の十日』(河出文庫)、虫明亜呂無/高崎俊夫編『むしろ幻想が明快なのである 虫明亜呂無レトロスペクティブ』(ちくま文庫)、ジャン=ルイ・ド・ランビュール編『作家の仕事部屋』(中公文庫)を購う。

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