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最前線にて

退院から、はやひと月足らず。

ようやく筆を取る余裕が出てきました。最初の1週間辺りはあまり記憶がなくて、とにかくノンストップでひたすら抱っこ〜オムツ替え〜授乳を繰り返していたことだけは覚えています。ほぼ3時間サイクルでこの3工程を回していくのだけれど、3人のペースが微妙にズレていくので息つく暇が無く、授乳だけで考えても3人目がやっと終わった〜と思ったら1人目の次の授乳が始まる・・という、冗談半分で想像していたことがしっかり現実に起こっています。油断していると、本当に眠れない。笑い話でやり過ごせたのはせいぜい3日くらいでしょうか。1週間経った頃にはだいぶ家の中の空気がギスギスと。。。。

うちの母はもともと看護師で、一時新生児病棟に居た経験があるらしい。赤ちゃん3人の扱いがやたらと手際が良いのはそういうことか。三つ子をベッドに並んで寝かせて、顔の横に立てかけた哺乳瓶でいっぺんに授乳をやり始めたときはちょっと驚いた。サボりの技も含めて「プロ」の手つき。満足に眠れず相当しんどいはずだけれど、どこか生き生きしている。昔を思い出してるのだろうか。

対して、奥さんの表情は日ごとに曇っていく。母と同じく看護師ではあったが新生児病棟の経験は無く、ごく普通の「新米ママ」である奥さんの消耗は思いのほか大きかったようだ。夫の母との不慣れな生活も少なからず影響した様子。直母(母乳を直接飲ませること)の練習もあまりうまく行かず、搾乳機の使い過ぎによる痛みで搾乳も満足にできない日が続いた。当然母乳は溜まっていく。2日もせずに乳腺が詰まってきて、病院へマッサージを受けに通う日々。1週間を過ぎた頃、子供の体温計測ついでに熱を測ると38℃を超えている。乳腺炎を発症していた。

敢え無く、奥さんは子守りの夜勤シフトから外れてしばらく療養することになり、残りの1週間は夫と姑の2人で夜勤をこなす。申し訳なさもあってか、奥さんの表情はますます曇った。半ばノイローゼに近い状態だったと思う。別の日もいちど姑と軽い口論になってしまい、頭を冷やそうと車で奥さんを連れ出したのだが、車の中で、自分を連れ出したという事のみを執拗に責め立ててきた。

そんな中、当然自分の仕事はスケジュールを抜いていたが、現場を入れていないだけで若干の雑務が残ってしまっていた。実はこのタイミングで割と大きめの案件が入っていて、ギリギリのスケジュールパズルを組んでやり過ごしていた。退院までの間に山は超えていたので本来なら育休にしっかり入れる予定が、少しだけ雑務が残ってしまったのだ。職種の特性上、代わりは居ない。何より案件の売り上げをなるべく育休費用に当てたかった。他人に回していられない。フリーランスのツラみがここでも出てしまっていた。厨房のシフトをこなしながら休憩時間を使って雑務、と割り振ってやっていたのだが、寝ているはずが机に向かっている夫の姿を見た奥さんは激昂した。ここでもまた論理性は通用しない。いまここで仕事、という目の前の絵柄だけを注視し過剰に反応する。極限状態である。

姑である母は事情をよく理解していて、とくに奥さんを責め立てるようなことはしなかったが、これが数ヶ月続くといわゆる嫁姑の争いに発展するのは想像に難くない。
週明けまでで姑は岡山へ帰る予定だったが、奥さん乳腺炎の影響もあり数日延泊した後、一抹の不安を残しながら、岡山の実家へと帰っていった。

入れ替わるようにして、北海道から義母が来京した。出産時にも立ち会っていたため、今年2度目の来京である。いくぶん奥さんの表情が緩んだ。
が、今度は夫の表情が曇り始めた。家事のペースやスーパーでの買い物の量、ひいては冷蔵庫の使い方など非常に細かい部分が少しずつ、夫の慣れ親しんだペースとズレていて鼻についた。これはそれまでの夫婦2人の生活ペースともまた違うものだったが、奥さんはかつての実家生活を思い出したようで少し表情が明るい。
義母は久しぶりの東京生活で気が弾んだのか、スーパーで大量に買いこんだ野菜で、勝手の違う調味料とキッチンで大量に作り、また勝手の違うジップロックで大量に冷凍保存したカレーの斬新な味付けに、夫の頭の中では銃撃音が轟いた。これと似たような感触を、先週までの奥さんは感じていたのだろうか。

10日ほど過ぎた頃、奥さんが「自分の実家(北海道)へ行きたい」と言い出した。実家の近くに乳腺外来があるらしく、授乳相談が出来るらしい。そんなのはどの土地にもあるから1ミリも理由にならない、とは思いつつ話を聞く夫。他に色々理由を述べていたが、つまるところ慣れた実家で過ごしたいのだろう。「里帰り出産」ならぬ「里帰り保育」とでも言っておくか。

そもそもなぜ「里帰り出産」をしなかったのか? というと、一番の理由は病院の問題だった。なんせ、早産のしかも多胎児をいっぺんに受け持つ周産期センターを地方で探すのはなかなか難しい。場合によっては、三つ子たちの入院先が別々の病院に分かれる可能性もあった。医者には「多胎で里帰りなどあり得ない」位のことを言われた。地方出身者としては若干イラっとしたが、一理はある。じゃあせめて産まれた後に里帰りを、とも思ったけれど何せ奥さんの実家は北海道の道東地方。遠方すぎていちど住み着くとそうそう出てこれない。しかも飛行機に産まれたての乳飲み子を乗せるのは非常に不安・・・ということで、僕の実家(岡山)へ身を寄せる話でまとまりつつあった。自分の実家に奥さんと子供たちだけ置いとくわけにはいかないので自分も・・・などと芋づる式に、夫の故郷への移住計画に発展していった。事務所物件、地元での仕事獲得・・・実家の両親や親族に「奥さんと子供を何卒よろしく頼む」と頭を深々と下げてお願いしたりもした。もちろん「息子に免じて、仲良くしてやってくれ」という意味も込めて。
色々なめどをつけてさぁ来月!という段階での、今回の「授乳トラブル」である。急転直下で、「里帰り」先が北海道に変更された。給与保証など無いので夫の育休はそこまで長くは取れず、仕事を再開するためにしばらくの単身赴任。岡山なら何とか安価で行き来できるのに。あのチャイルドシート付きの車はどうするのだろう。親に申し訳が立たない。さてあの人とあの人にお詫び回りしなきゃ。ていうか飛行機の問題どうするんだ。何か足元から崩れる音がした。そもそも華奢な土台だったのかも知れない。

常識的には、産前産後は妻の実家でゆっくり過ごすもの。当然理解していた。結局何ごとも、基本から外れる事は出来ないのだ。規格外の人数と想定外の状況を突きつけられて、「そうしたいのは山々〜」という言葉を山ほど口にし、現実感の無い境遇に浮つかされていたのが強引に現実へ引き戻されたような気がした。そして例によって論理性を失ったわが妻への対処法は「折れる」しかない。テレビに目を向けると奇しくも「いい夫婦の日(11/22)」。総理大臣が発した 「家庭幸福の秘訣は妻への降伏」という絶妙なおやじギャグに頭を打ち抜かれた気分。はぁ、あなたがそう言うんなら、仕方がないですね。

後日、実母が
「(義母と)日程が逆だったらだいぶ違ったかもね…」と呟いたとき、うなだれるしか無かった。夫の戦略ミスか、もしくは必然なのか。そんなもん知るか。今言うなよ。

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父親目線での三つ子育児日記 退院後の子育て開始から北海道移住まで

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