見出し画像

移動手段 その2(三つ子、初めて飛行機に乗る)

乳児3人の、東京から北海道への移動。数ある、突っ込みどころ満載の選択肢の中から結局、飛行機移動を選んだ。それが最善でない事が分かっているのにわざわざそれを選ばなければいけないこの閉塞感。なんだか変な脳内物質が出たらしく、頭がふわふわしてきて次第に考えるのをやめた。まぁ大丈夫だと言う人もいるから多分大丈夫だろう。そう思わないとやっていられない。無責任なただの情報に頼るしかない。

当日。

車で羽田空港へ。車の移動でははなぜか3人とも大人しい。家を出る際に少々機嫌が悪くても、車に乗って数分経てばうたた寝を始める。良い感じに揺りかご効果でもあるのだろうか?時間帯のせいもあってか渋滞もさほどなくスイスイ。1時間ちょっとで空港へ到着してしまった。

駐車場から出発ロビーへ。未だに抱っこヒモの扱いに慣れない奥さんが、やたら窮屈そうにしている。明らかにヒモの調整が短すぎるのだけれど「もういい、もういいこれ嫌い」を繰り返しながらそのまま進もうとするのをムリヤリ引き止めて背中の方からベルトを調整してやると、憑き物が取れたような顔になってすたすたと歩き始めた。

ロビーへ入り、空港の電光掲示板に信じがたい表示があった。「到着先悪天候のため手続き中止中」。さすが北海道。おそらく大雪が降っているのだろう、これは下手をすると欠航かもしれない。もう笑うしかなかった。イヤこれでしばらく渡航不可能にでもなってくれれば色々事態が動いて飛行機に乗らなくて済むかもしれない。そんなグダグダの極致のようなことを、少し期待してしまっていた。

少し待っていると、3人が一斉にぐずり始めたので全員で授乳室へ。長男はおむつからうんちがはみ出していて痒かったのか、大泣きしている。隣では次男がおむつの順番待ち。パーテーションの向こうでは長女が授乳している。この人数だと当然、授乳室は貸し切り状態になるが、周りに気を使わないで良い分すこし気が休まる。

程なくして空港内にアナウンスが流れた。「〜行きの飛行機は予定通り運航します。」

そして「目的地の天候が思わしくない場合は羽田へ引き返します。」と流れた瞬間にスピーカーを二度見した。引き返す!??さんざん心配している飛行機にわざわざ乗ってわざわざ引き返す、とか。もう最悪。またしても頭がふわふわとしてきた。もうどうでもいい。なるようになれ。

搭乗口へ。当然、優先搭乗の対象である僕ら家族がまず早めに飛行機へ乗り込むと、出迎えてくれたCAさんが「三つ子ちゃん楽しみにしていました〜!」とこちらへ近寄ってきた。やはり赤ちゃんというのは無条件で人を笑顔にする。そこに容姿の優劣や誰の子であるとか、何がある訳でもなく、自然の摂理として「赤ちゃんは可愛い」のだ。

1列に3つの席が2列並ぶ機内。乳幼児はだいたい大人が抱きかかえて乗るのだが、非常用の酸素ボンベが一列に4つしかないため、その1列に座ることのできる乳幼児は通路沿いに1人までとなっている。12月の中旬、特に目立ったイベントもない時期(しかも平日)の羽田〜中標津便に乗る人はそうそう居ない。機内は空いていて、僕らが座る席もそれぞれ通路側の1つを除いて空席という、ちょっとした貸し切り状態だった。僕は右側の列に長男と一緒に座り、左となりの列には義母と次男、その後ろには長女と奥さんが座っている。シートベルトを締めてから長男をひざに乗せ、CAさんに貰った毛布を上からかけると、長男は気持ち良さそうにうたた寝を始めた。飛行機のエンジン音がなかなかの轟音をたてているがあまり気にかける様子もない。そういえば、赤ちゃんというのは、実は少しうるさいくらいの方が落ち着くのだ〜という話を聞いたことがある。確かに家にお客さんが来たときも、話し声がしている中でもぐっすり寝ていたりする。静かになったり人が居なくなったりすると逆に騒ぎだすのだ。人間が最も堪え難いストレスとは、孤独なのだ。

離陸が始まり、エンジン音もいっそう大きくなる。徐々にスピードが上がり、体にGがかかってくる。さすがに長男が「ん?」という具合にきょろきょろしている。僕は長男の両耳を手で押さえながら離陸に備えた。離陸してしばらく上昇を続ける間、やはりというか耳には何度も気圧が襲ってくる。何度か唾を飲んで耳抜きをした。長男にはおしゃぶりを咥えさせて唾飲みを促す。ちゃんと唾を飲んでいるかどうかは分からないが、とくに表情はいつもと変わらず泣き出す様子もない。左のほうからも特に泣き声は聞こえない。天候が悪いのでなかなか激しい揺れ方だったが、長男はあまり気にしていない様子。そのまま機体は安定して、シートベルトのサインが消えた。まずは、第1関門突破したらしい。

CAさんが飲み物案内に座席へ来た。赤ちゃんを抱かせて欲しい、と言うので快く応じていると、それを見た他のCAさんが私も私もと集まってくる。なんせ3人もいるので遠慮することはない、とそれぞれに応じる。機内はとても和やかな空気に包まれた。義母がカメラを持ってCAさんに「子供を抱いて写真に写ってくれ」と頼んでいる。ん?とその場の空気が一瞬止まったがとりあえず応じてくれた。たしかにそのCAさんはとても美人だがただの乗務員であって芸能人ではない。が、その場の和んだ空気に流されて数枚の写真を撮った。CAさんと赤ちゃんだけの写真。とてもシュールである。

窓の外は一面、雲の上の世界。生後間もなくしてこの景色を見れるなんて贅沢なやつだな、と長男を窓に誘うが、なんとなくきょろきょろしてはみるものの景色そのものに興味は無さそうだ。この景色はおそらく2〜3歳くらいからが対象年齢だとは思う。窓の外を見て「うわぁ〜〜っ」とか、なる訳がない。しかし本当に、少しもぐずらない。乗り物が好きなんだろうか? 先ほどまでの色んな心配ごとが幻のように、とても和やかな空の旅、という感じ。

天候はそれほど悪くないらしく、引き返すことなくやがて着陸態勢に入った。ベルトを締め直して、再びおしゃぶりを用意し、長男の両耳を手で塞いだ。「ここから先は乗務員も着席します」とアナウンスが流れる。機体が降下を始め、わりと激しく揺れ始めた。が、想像していたよりは緩やかな感じ。とくに乗り物酔いするようなことは無かった。

はずだった。

左側でカチャカチャッ ガタガタッ!!と、大きな物音がしたので振り向くと、義母が血相を変えてシートベルトを外し、抱いていた次男を座席に残したまま後ろの席へ駆け寄っていった。呆気にとられて後ろの席を見ると、奥さんが目を半開きにしたままうなだれている。全身の力が抜けているようで、長女を抱えている手にも力が無い。意識を失っているようだ。

何が起こっているのか全く分からない。義母が奥さんを激しく揺さぶって声をかけると、気がついたようでゆっくりと顔を上げた。その顔は血の気が無い。

はっとして、真左の席に目を戻すと、次男が横たわっていて今にも座席から落ちそうだ。自分は自分で、長男を手放すわけにはいかない。一瞬パニックに陥ったが、僕は少し立ち上がって後ろで着席しているCAさんに向かって大きく手を振った。「着陸態勢にはいっていますので、ベルトをしめて・・・・」注意を促すアナウンスが聞こえたがそれどころではない。大きく振った手でそのまま左の席を指差し、状況を必死にアピールした。しかし、CAさんの手が大きく「×(バツ)」を示した。目を疑ったが、着陸態勢の中ではCAもその席を離れることはできないのだ。僕は長男を右手に抱えたまま席を立ち、左側の席まで移動して、横たわっている次男を左手で支えた。後ろを見ると、義母が長女を抱えたまま奥さんを介抱している。意識の混濁した奥さんが「ごめんねぇ・・・」と力なく言った。

なんなんだこの地獄絵図は。まだよく事態を把握しきれない僕は、とにかく着陸まで子供の安全を確保することに集中しよう、と前を向き直し、子ども2人を手で支えながら飛行機の揺れに耐えた。不安定な体勢に、さすがに次男がぐずり始め、やがて声を上げて泣き始めた。逆にここまでよく我慢したな、と少し感心する余裕は、もちろんまだ無かった。やがて、そのまま飛行機は着陸。シートベルトをつけない状態で、右手に長男、左手に次男を抱えながら、着陸の衝撃に必死に耐えた。

着陸すると、すぐにCAさんが駆け寄ってきた。「席を立つ訳にいかなかったので…申し訳ありません」とお詫びをされたが、それはもう仕方が無い。それよりも、三つ子の乳児を飛行機に乗せて、やはり周りを騒がせてしまった申し訳なさの方が先に立っていた。が、その騒ぎの中心は三つ子ではなく、奥さんだった。

三つ子が退院してから2ヶ月あまり、繁忙期のレストランの厨房のような我が家で、満足に睡眠も取れずにひたすら赤ちゃんの世話を続けていた奥さんの体は限界を超えていた。睡眠不足は義母や自分も同じだけれど、出産間もない奥さんの体にかかった負担は想像もできない。着陸中にしばらく意識を失って、すぐに戻ったものの、顔面蒼白で立ち上がるのも辛そう。他のお客さんが降りてもなかなか動けずにいると乗務員さんが車いすを持ってきてくれた。数人で奥さんを車いすに乗せてようやく飛行機から外に出た。ロビーまでの通路で、奥さんが口を大きく膨らませた。どうやら嘔吐したらしい。すぐに紙袋が手渡されて、袋で吐瀉物を処理する。嘔吐したことで少し調子が戻ったらしく、奥さんの顔に表情が少し戻った。

到着ロビーでは、甥っ子と義父が出迎えてくれた。まさかの事態にあまり会話も無く、まだ調子の戻らない奥さんは救急搬送することに。三つ子たちを義父母に任せて、奥さんと僕は救急車に乗り込んだ。

救急車。そうそう乗ることの無いその車内では、問診や病院への連絡など救命士の声が行き交いまるで何かの映画でも見ているかのようで、あまりにも予想外の出来事に頭は混乱している。奥さんの手を握ると、職業柄、消毒液を多用するために若干荒れ気味なのに加えて、血色を失ってすこし冷たくなっている。僕は半ば放心状態になりながら、その手をもみほぐした。

問診の中で、「昔、同じように飛行機で気を失ったことがある」と奥さんが言った。そういえばそんな話をされたことがある。そもそも奥さんはあまり乗り物自体が得意ではなく、車に乗せても乗り物酔いが激しかった。最近は幾分慣れた様子だったのですこし忘れていたが、どうやら今回も激しい乗り物酔いで、胃腸に血液が集まりすぎて脳貧血のような感じになったらしい。「以前に同じことがあった」と聞いて、僕は少し胸を撫で下ろした。以前にあったからと言って今の状況が好転する訳では無いのだが、少なくとも、以前、同じことがあったけれども、今無事に生きている。その実績に希望を見たのかもしれない。おそらく、これで今死ぬことはない。ということに対する安心だった。出産のときに書いた同意書や、近い日にあった親戚の不幸など、身近な人の「死」が割と現実に近い位置にあっただけに、自分としては決して大げさな心配ではなかった。

病院に着いて、しばらく点滴を打ってもらうことに。「とにかく良く休むことです。」と医者。ほっと、本当に胸を撫で下ろした。先ほどから握っている奥さんの手にも幾分体温が戻ってきた。

奥さんの寝顔を見る。出産時にむくみきっていた顔がだいぶやせ細っている。この時期はたくさん食事を取っても、ほとんど母乳で出て行ってしまうので体に残らないのだ。初めての出産で3つ子。初めての子育て、授乳の問題、そして引っ越し問題。・・・どれだけの負担をこの体で耐え忍んでいるのか。だいたいのことは見ていれば良い父親など、楽なものだ。このとき初めて、今の状況を受け入れることが少しだけ、出来た気がする。

しかし、だ。

今回の「三つ子の移動手段」については意外な結末となってしまった。三つ子たちは何も無かったかのようにピンピンしており、病院に担ぎ込まれたのは「母親」の方だった。正直、「お前かい!!??」と少し突っ込んだ。これが車やフェリーだったからといって、なにか変わるのだろうか? もちろん人によって体の状態も違うので、確かな答えなど無いが、ひとまずこの結果から言える事としたら、「子どもは割と大丈夫、だった」ということだろうか。超低体重児からここまでたくましく育った三つ子たち凄ぇ、という言い方もできる、が。

生まれる時も、よく医者に言われたのが「いちど生まれてしまえば、そいつ次第」何かの状況に置かれて、それを乗り越えるかどうかはあくまでその本人次第で、親がどうこうできる事など限られているのだ〜という理屈である。いちどこの世に生を受けた子どもたちは、大人が思っているよりずっとたくましいのだ。そして気をつけなくてはいけないのはその間に、しなくても良いケンカや余計な心配事などに右往左往して、なにより子育てという激務にさらされて疲れきっている「奥さん/母親」のことを忘れるな、という事であった。

ここから先は

0字

父親目線での三つ子育児日記 退院後の子育て開始から北海道移住まで

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?