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【小説】8.26 / Dream Match (4)【イーロン・マスクvsマーク・ザッカーバーグ】

4.

 暗い。と思った。明かりが消えている。しばらくして、それが照明の暗さによるものではないことに気づいた。視界全体がぼやけ、揺れている。
 ひどく眠い。だが、起きねば。立ち上がろうとして、ふらふらとよろめいた。膝に力が入らない。
 音も聞こえづらい。雑音がうなり、耳の奥で響いている。

「エェーーーーーッックス!!!」

 己を呼ぶ声だ。それに気づくと同時に、音が戻ってきた。地鳴りのような声援が聞こえる。
 ぱっと景色が開ける。不安げにこちらを見る、若い男と目が合う。

(意識を失っていたのか、私は)

 Xは胸にびっしり浮かんだ玉の汗を叩いた。びしゃりと、音を立てて汗が飛び散る。暑い。なぜ暑い。腹が立った。ぼうっとする。日本の夏は暑い。暑すぎる。
 深く息を吐く、吸う。その場で飛び跳ねる。両足がしっかりと地面を踏みしめるのを確認する。問題はない。
 ロープを掴み、転がるようにしてリングに上がる。両腕を交差させ、あらんかぎりの声で叫ぶ。
「エェーーーーーッックス!!!」

「エェーーーーーッックス!!!」
 同じポーズで、観客が応える。

 スレッズが近づいてくる。その顔に、先ほどの余裕の笑みはない。別人格であっても、肉体的なダメージは残されている。彼もまた限界が近いのがわかる。
 最初と同じ距離で、2人は向き合った。
「まだやるかい」
 スレッズが聞く。
「ああ、やろう」
 Xが答える。
 答えた時には、2人ともが動いている。
 拳が交差し、十字を描いて互いの顔面に突き刺さった。

 1歩よろめく。踏み出して殴る。殴り返される。血を吐き出す。今度は蹴り飛ばす。蹴り返される。

「我々の気持ちを、我々以外の誰かが理解できるかな」
 戦いの前、ザッカーバーグはそう言った。
 愚かな問いだ。と思う。

 なぜ戦うのか、なぜ耐えるのか。
 2人の戦いには何も賭けられていない。敗けて失うものがあるのか。あるのかもしれない。なんだろうか。富か。名誉か。いや違う。そんなものではない。誇りプライドとも違う。2人のプライドはリングの上にはない。

理解わかるかなァ……)

 打つ、打たれる、打ち返す。

理解わかんねェよなァ……)

 打つ、打たれる、打ち返す。
 打つ。
 打ち返してこない。

 血しぶきがマットを濡らす。スレッズが顔中から血を流し、膝をついている。側頭部に巻き付くようなXの蹴りが入る、同時に左足がスレッズの右足に絡みつき、前傾になった姿勢の片腕をひねり上げる。
 蛸固めオクトパス・ホールド――通称、まんじ固め。
 いや、絡み合った2人の姿が描く、その形は。

「あれは、あの形は……」
「X――」
Xエックス固めってコト……!?」
 決着を予感し、観客たちがざわめく。

「エェーーーーーッックス!!!」
 握り拳を突き上げ、マスクド・Xが吠える。

 スレッズは歯を食いしばり、うめき、痛みに耐える。抜け出すためにもがき続ける。
 だが、いかなる忍耐力の持ち主であろうと、人間である以上、限界を超えた痛みを感じ続ければ、やがて意識を失う。
 Xはスレッズの体から、みるみる力が抜けていくのを感じた。

(死ぬかもしれんな)
 それでも、Xは技を解かない。レフェリーのいない戦いで、降参ができないのであれば、それは自然な決着だった。
(死んでほしくはない)

 観客たちが決着の瞬間を配信しようと、一斉にスマートフォンを掲げる。
 そのときだった。
 この大量の同時配信、同時視聴の負荷が、日本国内の通信回線に致命的な打撃を与えた。携帯各社のサーバーが相次いで爆発し、観客が掲げるスマートフォンの通信機能が一斉に失われる。
 同時に、この通信回線のトラブルが、東京ドームの電源システムを制御するWindows Vistaにも影響を与えた。ドーム内の照明がすべて落ち、観客の手元、わずかなスマホ画面の明かり以外は闇に包まれた。
 突然の出来事に、思わずXのロックが緩む。その一瞬の隙をついて、ザッカーバーグはX固めから脱出した。
 スレッズの意識が失われたとき、主人格であるザッカーバーグが目を覚ましていたのだ。
 暗闇の中で、三度、男たちが対峙する。

「またやるかい」
 今度はXが尋ねる。落ちた影に隠され、互いの表情は読み取れない。だがふらつきながら、ザッカーバーグは無言で構えた。それが答えだった。
 そうだろう。Xは思う。このような決着では、認められないだろう。

 既存のどの思想とも、哲学とも、イデオロギーとも違う、マーク・ザッカーバーグMetaイーロン・マスクXという2つの新しい世界の優劣を決めようとするなら。それは我々自身が、戦って決めなければならないのだ。
 他ならぬ我々自身が、そこに他者という不純物を認めない限りは。
「ふ、はは、ははは……」
 自然と笑い声が漏れた。なんたる傲慢。なんたるエゴイスト。
 だが、ならば答えは単純だ。
 どちらかが倒れるまで、戦い続けるだけ。

 観客が、もはや配信機器としての機能を果たさなくなったスマートフォンのライトを、次々にリングへ向けた。
 光の失われた東京ドームの中心で、2人の立つリングだけが、煌々と浮かび上がった。
 ザッカーバーグとマスクド・Xが両手を合わせ、がっちりと組み合う。

「新たな世界の玉座をめぐる戦いか……あるいは……」
 眩しそうに目を細めながら、ビル・ゲイツがつぶやいた。古い記憶に思いを馳せるような、どこか懐かし気な口調だった。
「劇の主役を奪い合う……2人の子供か……」

 戦いは続く。
 光の中で、男と男が、肉と肉とがぶつかり合う。
 観客たちは静かに、その決着を見守った。

 ◆

 ……7年後。
 2030年、日本。

「おとうさん、おはよー!」
「うん、おはよう」

 寝ぼけ眼をこすりながら、男性は――あの日、マスクとザッカーバーグを発見した青年は、朝食のテーブルに腰を下ろした。
 青年は7年前の東京ドームで出会った女性と結婚し、一女を儲けた。
 裕福とは言えないながらも、充実した生活を送っている。
 客席に突っ込んだマスクから、後ろの席の少女を庇ったことが、2人の出会いであった。

 かつて、青年は生粋のツイッタラーX-Userで、キラキラしたSNSを好ましく思っていなかった。
 一方、妻となる少女はインスタグラマーであり、Xはアカウントは作ったものの空気に馴染めず3日でやめた、オタクに優しいギャルであった。
 あの日、あの場所でなければ、交わることなかった2人である。

「あ! ザッカーバーグとマスクド・X!」
 テレビに映る映像を指さして、娘が楽し気にポーズをとる。
「えーーーっくす!」
「こらこら、イーロン・マスクさんは謎のSNS仮面マスクド・Xとはなんの関係もない、一般CTOなんだぞ」
 娘をたしなめながら、元青年もテレビに目線を向ける。ニュースの内容は、世界50億ユーザーを突破する世界的巨大プラットフォームとなったnoteに対抗するべく、XとMetaが手を組んで戦う、というものだった。
 テレビの中では、2人の男がにこやかな笑みを浮かべながら、がっしりと握手をしている。

「ねぇ、お父さん、マーク・ザッカーバーグとイーロン・マスクは、本当はどっちが強かったの?」
「――ん~、そうだなぁ……」

 7年前の2人の決着について、すべての配信は止まっており、直に目撃した人の中にも、はっきりと口にするものはいなかった。
 あの日、あの場にいたものたちだけが、その結末を知っている。
 彼もまた、一生口にすることはないだろう。そう思っている。
 娘の頭を撫でながら、元青年はあいまいにほほ笑んだ。

 ニュースはちょうど、いつのまにか言い争いを始めていた2人が、周囲の制止も聞かずに上着を脱ぎ始めたところだった。次の瞬間、2人のパンチがXの文字を描いて交差し、互いの顔面に突き刺さった。

おわり

※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。



 

 
 


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