【小説】シカでした。

 ここに来る途中、祠みたいのがあったでしょう。あ、見てない? バス亭の近くの、竹藪の中に道があって、その奥にね。
 ……焦げた木材が積んであっただけ? そうですか……。
 ……。
 それって、近くにお地蔵様とか、ありませんでした?
 いや、それもね。地蔵堂ってほど立派なのじゃない。ほんと、祠ってのがしっくりくるんですけど。小さな木の屋根だけあって、その下にお地蔵様が置かれてるような。そういうのがあったんです。
 それがどうにも変わっていてね。
 はじめ見たときは、お地蔵様の頭に何かが乗ってるように見えたんです。で、誰かがお帽子でもかぶせてあげたのかなって。ほら、そういう童話もあるじゃないですか。そう思って近づいて見てみたら、どうも違う。
 首から下はごくふつうのお地蔵様なんですけどね。頭が、人間の頭じゃないんです。何か特定の動物ってわけでもない。鳥のようにも見えるし、魚のようにも見えるし、角が生えてるようにも見えるし。
 あれも土着信仰みたいなものなのかな? ちょっとよくわからないけれども。
 何にせよ、なんだか不気味に思えてね。最近は竹藪の前を通るときも、目線を向けないようにしていたんですが。
 そうですかあ、あれ、燃えちゃったんですね。
 落雷とかですかねえ。

 え?
 あたしですか?

 この辺の人間っていえばそうなんですけど。でも"おにえ"の生まれってわけじゃなくって。駅前の方に住んでます。
 "おにえ"には祖母ちゃんが……今はその祖母ちゃんも市内の施設にいるんですけどね。人はいないけど、家だけは残ってるから。ときどきは様子を見に来ないと。
 ……。
 ……何だろう、今の。何かの鳴き声かな。

 最近、多いですね。鹿とか猪とか。
 東京の方でも、熊の目撃情報が1日何件とか、ニュースでやってますよね。このあたりは田舎だから、もっと多いだろうけど。
 ……200件以上?
 1日に? そんなに多いんだ。
 ……まるで何かに怯えて、山から逃げてきてるみたいじゃないですか。

 ……。
 …………。

 あの、ひょっとして、これから"おにえ"の方に向かうんですか?
 ……やめた方がいいですよ。熊……がいるかもしれません。

 いや。
 はっきり見たわけじゃないんです。

 祖母ちゃん家の雨戸を開いて、換気をしようと思ったときにね。
 裏山の裾あたりに、黒い、ずんぐりした、毛むくじゃらの生き物が見えたんです。

 それが、うずくまって、動いてるんです。
 何か別の生き物の体に、頭をうずめて、食べてる……みたいでした。
 吃驚してるとね、顔を上げて、こっちを見て。
 ……あたしおかしいんですよ、あんなに離れてちゃ、顔なんか見えるわけないのに、そいつが歯をむき出しにして笑ったように見えちゃって。

 あたしも怖くって、気が動転して、よく確かめずに逃げてきちゃったんだけどね。やっぱりこういうの、通報したほうがいいんですかね。

 ……え?
 でも……遠くだったし、見間違いだったかもしれませんから。猪が筍掘ってただけかも。
 …………。

 いや、違います。食べられてるのは、たぶん……鹿くらいの大きさの……生き物でした。
 きっと……鹿でした。

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