見出し画像

2021.11.9 夢日記

飼っていた猫が亡くなった。元は捨て猫だったが、人懐こい可愛いオスだった。

動物用の桐の棺に、たくさんの白百合と、彼の特にお気に入りだったおやつを入れてあげた。火葬場の予約が近付いているのに、私は棺を抱きかかえたままそこから動けなかった。こんなかわいい子を焼くだなんてなんてひどい、彼はこんなにも可愛い顔で、ただ眠っているようなだけなのに・・・。

彼の好きだったブランケットで棺をくるんで、車の助手席に乗せてエンジンをかけた。そうだ、一緒に逃げよう。そして私の手で弔おう。地の果てでも海の底でも、ふたり一緒なら寂しくないだろう。


特に目的地のないまま、深夜になっても私は運転し続けた。聞き流してるだけのくだらないラジオをBGMに、時折助手席の方を見る。夜の高速道路の規則正しく並ぶライトの灯りが、桐箱を包んだブランケットをちらちらと照らしていた。この中に私の愛する猫がいる。そして「死」がある。ゲージに入れて病院に行く時なんてあんなに暴れてたのに、今夜はなんて静かなドライブだろう。

空が白んできた頃、適当なサービスエリアに車をとめた。もう誰も私たちがここにいることなんて知らない。今日のことも明日のことも何も考えなくていい。起きたらまた気ままに走ろう。シートを倒し、彼の箱を抱えて眠った。


起床のきっかけは強烈な違和感だった。私の腹の上で、何かが振動している。目をこすらずとも覚醒するには充分すぎる衝撃的なことが起きていた。彼を入れてくるんだ箱が、かすかに動いている。

急いで箱を包むブランケットを解いた。そして桐箱の蓋を開けた。

彼のくりっとした瞳と目が合った。震える指でその頬に触れると、小さい声で甘えるように鳴いた。あたたかい。百合の花粉を拭ってやりながら、はらはらと零れる涙が止まらなかった。この世でいちばん愛おしい彼が、あたたかくて、生きている。


生きている?


彼はあたたかく、動いているし、飯をねだって鳴くし、生きているように見える。でも私は彼が亡くなったのをこの手で確かめた。どんどん冷たくなって硬くなってゆく亡骸を抱いて昨日泣いたはずだ。

彼は「生きている」のだろうか。それとも、「この世の理から外れた存在になった」のだろうか。それとも私の記憶が間違っている?私には判断がつかない。彼は空腹なのかやけに鳴いては私の手を甘噛みしてくる。それすらも愛おしいのに、私の心は嬉しさよりも混乱と疑念の方が大きかった。

私は彼をどうしたらいいのだろう。一緒に生きるべきなんだろうか。それとも・・・そうあってはならない、と判断すべきなんだろうか。

何も考えたくなくなった私は、また車を走らせることしかできなかった。彼はよほど空腹なんだろう、機嫌悪く文句を垂れているらしいが、私は彼に食べ物は与えなかった。上手く言えないが、それをしたら何かが決定的になってしまう気がした。そういえば私も彼と同じ時間くらい何も食べていないが、彼と違って不思議と空腹感はなかった。



気が付けば海の見える場所まで来ていた。観光地のような小綺麗な場所ではないが、彼と一緒に海を見るのは初めてだ。波で揺れる水面が美しく輝いている。近くで見せてやろうと思い、そこの辺りで高速を降りた。

適当な駐車場に車をとめて、彼を抱きかかえて海に向かって歩いた。もしかすると、ここで一緒に海に沈んでいくのも悪くないのかもしれない。もし君が生きているべきでないのなら、私も同じ場所に行こう。

空腹か疲れか、砂浜まで来て私はふらついて彼を手放してしまった。謝りながらもう一度抱こうとするが、彼は海と逆の方向に走って行く。人も車通りも見当たらないが危ないことには変わらない。彼を追いかけて、やけにあがっていく息をおさえながら走った。


海の裏手は山があり、石の階段でできた参道があった。彼は軽々とそこを上っていき、ぜえぜえと階段を踏みしめる私を時々振り返って見ていた。一体どこに行くつもりなのかは知らないが、彼の行動には意思があるのはなんとなくわかるので必死についていく。少しでも楽になればと錆びた手すりをつかむと、参道の横に小さな地蔵が並んでいるのが見えた。この先に神社でもあるのだろうか。


陽が傾き、カラスの鳴き声が響いてきた頃にようやくたどり着いた。くすんだ大きな鳥居をくぐると、やけに古びたお堂がある。この建物はいつからここにあるのだろう。静謐でやけにきれいだ。ここに人なんているのだろうかと思ったが、手水舎の水は流れていた。喉が渇き切っていた私は、作法も厳かな気持ちもないまま柄杓を手に取り、その手水をごくごくと飲んだ。身体に染み渡るような透き通った水だ。

「おや、」と私たちに気付いたお坊さんがお堂から出てきた。半分部屋着みたいな恰好でぼろぼろになって水を飲んでる私はさぞ奇怪に見えるだろう。すみません、うちの猫がここまできちゃって・・・としどろもどろに説明すると、お坊さんは私と彼を交互に見た。

「この猫は・・・あなたにとって大変特別なのですね。」

彼は何かを察したのだろうか、少し言葉を選んでいるようだった。私は気まずくてしょうがないが、猫は気ままなもので、お坊さんにすり寄って鳴いている。

「本来、魂はあるべきところに還るものです。理から外れても共にありたいと願う者を説教する気はありませんが…愛する者であるがゆえに迷っていらっしゃるようだ。」

お坊さんの穏やかな声には何もかも見透かされているようで、私は頷くことしかできない。

お坊さんはゆっくり近付いてきて、私の肩にそっと手を置いた。付いてきた猫もじっと私を見ている。

「あなた方は深く愛し愛されていたのですね。その愛情も別れの苦しみもよく伝わってきますよ。私に出来ることは少ないですが…。」

ちょうど向こう側にある陽が下っていく中で、お坊さんの顔が見えなくなってきた。強い山風が木々を揺らして、朱く染まった葉が視界の中でざああと舞っている。


山に闇が訪れる中で、どんどん意識が朧になっていく。もう大丈夫ですよ、と言われた気がした。視界が白んでいく中で感じていたのは、愛する猫が私の足に寄り添う体温だけだった。



気が付けば私は白百合の香りに包まれていた。誰かが何かを言っている。誰かが私の頬に触れる。誰かが私をどこかへ運んでいる。何もわからないが、もう何も考えなくていいのは確かなのだろう。

ひとつだけはっきりと聞こえるものがあった。猫の鳴き声だ。世界で一番愛する彼の声だ。



私たちは離れ離れになるのだろう。どうか幸せに、と言葉にすることもできないが、それが伝わらない仲でもないはずだ。

どうか幸せに。どうか健やかに。いつか私を忘れてもいいから、憂いなく彼が生きますように。




だちこ

最後まで読んで頂きありがとうございます!頂いたサポートはだちこがnoteを書きながら食べるおやつなど、活動の励みにいたします(*´ω`*)