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(日記)5日前、兄と私と

9カ月ぶりに兄に会った。これは日記だけれど、5日前の出来事を掘り起こして書いている。

この記事を書くまでに何日も要してしまったのは、この日のことでめちゃくちゃ疲れていて、心身の回復に時間がかかってしまったからだった。



話は月曜の夜に遡る。年に1,2回しか連絡を取らない5つ上の兄からラインが来ていた。

「明日時間ある?ランチせん?」

私は家族が苦手なので、布団の中で頭を抱えて返信に30分悩んだ。去年の十月末の父の葬式以来、私は一度も肉親と会っていない。それでも「久しぶりに家族に会えて良かったなあ」と思うことはまず無いのは明白だった。家庭内で常にヒエラルキーの最下層にいた私は、家族に会うとどうしても自分の尊厳が傷付いてしまうし、会ったらその後いつもつらい記憶に苛まれたり体調不良に陥ってしまう。


でも、会うべき理由も私の中でそれなりにあった。私はその後の数日を犠牲にする覚悟で、「明日会えます」と返信した。そして明日が来てほしくなくて泣きながら眠った。



子供時代、私にとって家は牢獄で、世界の全てだった。優秀な兄と常に比べられ、さらに女の子だからという理由で兄とは全く違う扱いを受けるのが当たり前だった。

(幼少期~中学までの話の記事)


私は義務教育が終わったら物理的に家を離れ、家庭内の人権に関わる音楽からも離れる決意をした。

兄は才能に富んでおり紛れもない神童だったが、奔放な性格と地道な努力が苦手なことから、有名音大の付属高校の中で才能だけではカバーできない過酷な実力の世界では凡人になっていた。でも兄は青春を謳歌していた。クラスの人気者で、慕われる生徒会長で、えげつないほどモテるので少なくとも三股はしていたと記憶している。

そんな彼は彼なりの人生があって、大学受験の失敗などままならないこともありつつ、なんだかんだで生きていたと思う。志したことを成せることもなく、何度も方向転換を繰り返して彼が行き着いたのは水商売だった。そして才能を発揮して大成した。ナンバーワンを取り続け、今年には自分の店を持つという話は聞いたことがある。



待ち合わせに来た兄は彼女と一緒だった。モデルのように美人で、年齢を聞いたら兄とは干支ひとつぶん離れた若い女の子でびっくりした。

お好み焼き屋さんでせっせと兄の分を取り分ける彼女に、兄のどこが好きになりましたかと聞くと、ぱあっと明るい顔になって「全部です、本当に全部!強いて一番を言うなら、素晴らしい人格ですかね…自分のことよりも他人のことを想えるとか……」とつらつら語っていた。

私は兄に愛情もあるし、感謝もある。でもどうしても許せない過去もあるし、恐ろしいと思う気持ちもある。彼女の語る兄もいま目の前にいる兄も、優しくて誠実な人のように見えるのに、私には本質的な兄の姿にかけ離れているように見えた。彼女が好きになった兄のいい所は、私には一度も向けられたことのないものばかりだったし、むしろ正反対の要素を知っている事柄も多かった。


食事が終わった後、兄は通りかかった服屋に入って「これだちこに似合いそうじゃん」と可愛い服を手に取って、それと私を試着室に押し込んだ。渋々着替えたその服の大ぶりなフリルも開いた背中も、私には似合っていないように見えたし、自分がその服を持ったとして愛していけそうに思えなかった。

試着室のカーテンを開けて「私はあまり好きじゃないかも…」と小さく主張したものの兄と彼女さんは「めっちゃいいじゃん!可愛い~!」はしゃいで、兄は問答不要でその服をレジに持って行って私に買い与えた。彼女さんは「優しいお兄さんなんだねえ~」と私にニコニコ話しかけるのでもう曖昧に笑うしかなかった。

私は彼女との関係における“だし”にされるために呼ばれたんだろう。



兄の高校の文化祭に行った時のことを思い出した。人混みの中で兄を見つけて駆け寄ったら、「お、来てくれたんだ。わざわざありがとうな」と私の頭をポンポンしてきて、私はひどく混乱した。兄はそんなことはしない。私に優しくするメリットもそんな類の愛情もないはずだったから。

でもその直後、周囲から黄色い声が聞こえてくるのに気付いて納得した。きっと「妹に優しい兄」という姿を皆に見せたかったのだ。兄を慕う女の子にそれが絶妙に効くというのは私にも容易に想像できた。そしてぞっとした。



最近一緒に暮らし始めた彼らの生活用品のショッピングに付き合ったのち、カフェで欲しくなかった服の紙袋を抱えながら、私は私の目的を果たすべく兄に話をした。今年のお盆は父の初盆で、納骨がされるため母に呼ばれていること。私は自分のためにそれに行かない選択をしようとしていること、そのために兄に帰省をして体裁を整えてもらいたいこと。兄はあの牢獄で育ったながらも家族想いの人だ(私はそれすら歪なことに感じる)。そうかそうか兄ちゃんに任せとき、と快い返事をもらえてほっとした。兄は刹那的な感情に身を任せがちなタイプだ。母は兄が好きなので、盆の件は私がどう言われるかはわからないがなんとかはなるだろう。



彼女さんは、私の話せる限りの「お兄ちゃんとの楽しかった思い出」をたくさん聞けて満足したようだった。彼氏の家族に会う、というイベントに大きな緊張も期待感もあったことだろう。とても大人びてはいたが彼女はまだ大学生だ。


兄の彼女、という立場はすなわち「兄の一番太い客」ということになる。その関係が長期間うまく続いたのを私は見たことがない。去年付き合っていた彼女は兄に巨額を貢ぐための仕事を辞めたいと言い、それは困るしじゃあ別れると返され、絶望してマンションからの飛び降り自殺を図った。一命を取り留めたが傷跡も後遺症も残るだろう。兄は見舞うことも金銭的な支援をすることもなく彼女と別れた。

兄がどんな恋愛をしようと私には関係ないし、勝手にしたらいい。けれど、誰かがひどく傷付いたり、それが取り返しのつかないような大きなことであると、家族として私も心が痛んでしまう。

兄は今、彼女のことも、彼女といる時間も心から大切に思っているのだろう。兄は本心でしか動かない。だからいっそう残酷だ。自分にとってメリットも興味もなくなった人間にどんな態度を取るかは、私も身をもって知っている。



二人に見送られて笑顔で手を振りながら改札を通り、そこから電車に乗っているうちに急激に気分が悪くなって、私は何度も下車してトイレに駆け込んだ。携帯のラインが鳴りやまないと思ったら兄が今日撮った写真や動画を送っていて「今日はほんとありがと!また連絡するわ!」と添えられていた。

駅の階段で転びかけて、そこから立ち上がれなくなった私は駅員さんに保護されて、救護室のような場所で薬を飲んでしばらく寝かせて貰った。覚悟の上だったが、行きの4倍の時間をかけて私はなんとか帰宅した。兄は私の持病の名前も憶えていないだろう。



その後2日間、私は昏々と眠った。回復と現実逃避を身体が求めていた。さらにその後の2日間は、最低限のことをする以外はベッドでぼうっとしていた。自分のコンディションを取り戻すのに数日はかかるのははじめからわかっていたことなので、昨日ペンタブを握ってこの記事の見出しの絵を描けるまでこれたのは嬉しいことだった。



なんでこんな日記を書いているんだろう、と何度か思いながら文章を打った。きっと誰も良い気分にならないだろう、私も別に救われない。何日かツイッターでつぶやくこともままならなかった言い訳をしたかったわけじゃない。

ただ、私は幸あれと願う。あの仲睦まじい二人が、どんな道を選んでもどうかどうかなるべく不幸がありませんように。


ずいぶん疲れたけど、私はお盆に帰らないという表明を家族にするとこができた。近いうちに待ちわびた光回線も我が家にやってくる。私は私の楽しいことをする夏にしたいと思う。



だちこ


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