「私はシン・ニホンをこう読んだ」 我々は明るい未来を創ることができる、そう諦めない限りは

 『シン・ニホン』分厚い本だなぁ・・・共に研究会で対話を重ねているメンバーの一人から、この本めっちゃ面白い!読むべき!!と勧められた時のことを鮮明に思い出す。著者が安宅和人さんであると聞き、『イシューからはじめよ』の切れ味の良さから、これは買って読むしかないと期待に胸を高鳴らせ、本を購入した。実際に、手に取ってもやはり分厚い感覚は残った。そしてその分厚さは見た目だけではなく、中身も同じであった。中身は分厚いというよりぎゅうぎゅうに詰まっていると言い換えた方が適切だろう。そう餃子から溢れる肉汁のように・・・

 少し、回り道をして、私が参加している対話会の話をする。私は、3年以上、ビジネスキャリアを踏み出した組織の多様なメンバー数名(現在は私のようにその組織を離れたメンバーもいる)と「個の社会システム研究会」という対話会を続けている。研究会の名前は、私がつけたお気に入りだ。個人と社会、本来は交わっているにもかかわらず、別々の存在になりがちである。本研究会では、その両者に接点はあるものの、その接点があえて無いように(見えないように)なっているのはなぜなのか、個人が社会をどう主体的に創れるかという大きな問いを立てている。『社会的共通資本』、『ティール組織』、『なぜ、それでも会社は変われないのか』などの書籍を題材にし、メンバーの経験や現在の問題意識を重ね合わせながら対話を深めており、対話が持つ力を感じられ、かつ信じている。毎回終わった後に感じる、今日も研究会は、良かったなぁという感覚は対話によるダイナミズムが場にもたらされているからだろう。

 話を『シン・ニホン』に戻す。私は、この本を読んで、1959年3月ヨーロッパ生産性本部がローマ会議報告書で提唱した「今日は昨日よりも良くなり、明日は今日よりも更に良くなる」という生産性の精神状態を思い出した。その精神状態において、「良くなるとはどういう変化を指すのか」、「我々は、良くなった先にどこに向かおうとしているのか」などの問いが重要である。加えて、どのような経緯で今に至り、そもそも我々は今どこにいて、どのようにその目的地に辿り着こうとしているのかも同様に重要である。しかし、現代社会において、それらが曖昧なまま今より何かを良くしないといけない、良くしたいという暗黙の了解があるように感じる。目的地が曖昧なまま何となく良い悪いが関係者で対話され、その何となくの結果に基づいて意思決定が行われていることに誰も悪気がないシステム的な脆さを感じる。

 『シン・ニホン』の主語は、日本社会だと感じるが、それは国民一人ひとりと言い換えることもできる。日本は戦前からの教育や産業など様々な蓄積、戦後からの経済的な意味での成功体験が今も根強く、これからもある程度の良い国であり続ける(そこまで政治やシステムで酷いことはされない)という安心感が我々の中にあるように思う。そのこと自体は先人たちが知恵を絞り、行動してくれた結果であり、素晴らしい遺物である。しかし、日本を取り巻く環境が変わる中で、そして世界の価値観も変わる中で、一人ひとりが本来の力を解放し切れていない感はある。なぜ解放し切れていないのか、どうすれば解放できるのか、その未来への処方箋が『シン・ニホン』を読んでストンと腑に落ちた。

 「より良い未来を創るために過去、そして現実を深く理解する必要性」の矢が次々と飛んでくるように、説得力を持って伝わる経験。そんな本と巡り合える機会はなかなかない。本で展開されるストーリーの力も強力だ。おそらく、このストーリーの力は、明るい未来を信じ、その未来への明確な道筋があるにもかかわらず、悪手を打ってきた日本に対する安宅さんの熱く冷静な指摘に加え、プロデューサーである文夫さん、編集者である慎平さんの思いも本の構成と細部に宿っているからだと感じる。未来へのぐうの音も出ない納得感があれば、自然と私にもできる、私もやりたい、私がやらなきゃとそれぞれの立場から共感する体験が立ち上がる。

 特に、『シン・ニホン』が発する「どんな未来を残すのか」という問いは非常に本質を捉えているように感じる。誰のための未来なのかということと同義であり、現代を生きる我々がついつい自分本位の社会づくりになりがちな視点を正しく揺さぶってくれる。その意味からも一人でも多くの人が『シン・ニホン』を読んで欲しい。どうすれば日本が昔のように世界からも注目を浴びる国に戻れるのかという「回帰の視点」以上に、次世代や次次世代に残したい日本とはどのような姿かという「創造の視点」を得るきっかけになる。人材育成(教育)は数年ではなく、数十年かけて成果が見え始める世代を跨いだプロジェクトである。

 本からのインスピレーションを基に、残したい未来をイメージすることは、その未来に向けて一人ひとりが置かれている環境から仕掛けるモチベーションにつながる。私もその一人かもしれない。
 
 例えば、シン・ニホンアンバサダー養成講座の一幕。それは1回目の対話の時であった。妄想と夢の話の中で、人から見たら妄想で個人的には、夢という話、「アフリカの村にだっちー(Shinya Adachi)像を建てる」というものであった。この話をした時のメンバーの前のめりの反応はすごいと思った。なんと銅像近くの通りに名前をつける!という強者まで出てきた。私の夢をここまで理解し、盛り上がるメンバーたち。この場は何だ!と感じた良い意味の違和感。「異人」と言葉にするのは簡単であるが、なんか面白そうでここまで熱くなれる人がいるんだ!と嬉しく、ワクワクしたものである。

そう諦めない限りは、明るい未来を創ることができる。私は、変な人と言われることも多いが、それで良いと自信を持って言える。そしてそのように動け、仕掛けられる。これからもそう言い続け、残したい未来のために生きていく。銅像をその証として。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?