最後の弾丸 Last Bullet 第1話

死は突然やってくる。だからこれはきっと運命。
そう割り切るには些か不条理な現実から、私は逃げている。


『サイト47にて被検体47009が脱走。職員は直ちに―――』
ノイズまみれのスピーカーはそこで喋るのをやめた。無責任にも先に逝ってしまったか。荒れたデスクの一つ。その下、人ひとりが隠れられる空間に潜む白衣の女、サーシャは呟く。現状とは裏腹に、彼女の頭は驚くほど冷静だった。
「サーシャさん弾残ってますか? ホント、無駄撃ちするなって理想論でしか無いですよ」
「…現状は」
「見て解りませんか? 地獄です」
「ほざけ見て解る。お前が見てきたモノだ」
「何処も一緒です、デスクは荒れ放題電気は遮断。こんなことならもっと早くトイレ済ましとけば良かったです。此処でしていいですか?」
「……ん」
潜むサーシャに話しかける若い男、後輩であるファードはサーシャから一発の弾丸を受け取る。
「…かぁ~こりゃ酷い。これどっちの意味で渡してますか…」
「どっちもだバカ」
弾丸を受け取ったファードは、俺は行きますと言い残しさっさと去っていく。
「…あぁ、理想論だよ全く。くそったれ」
空のマガジンを捨てたサーシャも普段の数倍虚ろな目をして走り出す。

化物戦争。今やガランドを含む総ての国々で行われる代理戦争である。生物兵器の台頭は革新的であり、それまで大量に生まれた戦死者は圧倒的に減少した。
しかしそれは兵士に限った話。街を破壊する化物達の実情は本来無関係なはずの一般市民ばかりが死ぬ最悪なモノだった。此処、サーシャが勤める魔生研究所はその最悪な生物兵器を生み出す、世間から見れば地獄よりも地獄の施設だった。

そして今。洗脳途中の化物が逃げ出した地獄の研究所は、さながらこれまでの悪行の報いを受けるが如く阿鼻叫喚の真っ只中であった。

ファードと別れてからどれだけ経っただろうか。とっくに限界の足を引き摺り走り続けたサーシャは、広々とした廊下の一画でとうとう精魂尽き果てその場に蹲る。逃げることに神経を使い続けた所為か、荒れ放題の地面を蹴り続けた足には所々生傷が見られる。停電を起こした辺りは、窓一つないのも相まって底なしの暗闇を演出する。こんな所に長居してられないのは百も承知だったが、酸欠状態の脳と酷使し続けた身体は云うことを聴く筈が無い。
「…ここに骨を埋めるのか……」
サーシャの脳裏には最早諦観しかなかった。徐に手に持つ銃を蟀谷に当てる。弾は無い。トリガーを引く音が木霊する。
「…ファード。気が変わった、やっぱり弾返してくれ」
か細い声に、平常の覇気は微塵も感じられない。
「……ふふ。あはは…」
不意に笑みがこぼれる。不思議な話だが、人は絶対的な恐怖の中で笑うらしい。
「あはは…はっ…はは…」
「ははは!くっ…!あははっ!!」
廊下に笑い声が響き渡る。化け物が来ることを厭わないその声量は、活きの良い自殺者と形容するのが相応しい。
「ははははは!!!ははっ!!!はぁっ!!!ははは―――」
「サーシャさん! どこ居るんですか!?」

聞きなれた声に思わず声を抑えるサーシャの顔は、徐々に恐怖と安堵が入り混じる顔に変わる。
「サーシャさん! 居るんでしょう! 返事してください!」
「っあ…此処っ…此処だ! ファード! 廊下だ!」
叫び過ぎで痛む喉に鞭打って絞り出す。
「ファード…早く来て…一人で死ぬのは…怖い」
うわ言の様に呟く。満身創痍のサーシャには、ファードが自分を見つけるまでの恐らく数十秒すら永劫に感じる程、孤独からの解放に飢えていた。白衣がはだけた事に気付かない程に。
「サーシャさん! …居た! サーシャさん!」
永劫から解き放たれたサーシャは目に涙を浮かべながら、自分を見つけたファードの声の方を見やる。

そこに立っていたのは、右腕のないファード。
「っ!?」
思わぬ光景に驚くサーシャは視界に移る隻腕をじっと見る。
「お前…腕…」
彼女は気づいた。残った左腕も本来であれば絶対に曲がらない方向に折れ曲がっている事も。
「すいませんドジ踏みました。これじゃ何のために弾もらったのか解んないっすね…」
いつもの軽口を叩きながら、サーシャの方へふらふらと近づくファード。
サーシャは変わり果てた後輩の姿に動けずにいた。

やがてサーシャの元へたどり着いたファードは膝から崩れ落ち、床に伏す。
絶え絶えの息遣いで発話もままならない彼はやっとの思いで囁く。
「腰のホルスターに俺の銃があります。俺にゃもう出来ません。殺してください」
「ふざけるなバカ…お前殺したら人殺しになるだろうが…」
「キレ無いなぁ…いつものサーシャさんなら弾の心ぱ…がはっ!」
「おい喋るな! もう喋るな…」
「自分の事は自分が一番解ります…最後に一つ、謝らせてください…」
「っ…何だ」
「撒けませんでした」

化物が生物兵器たる理由。それは人間をはるかに凌駕する力と”進化”にあった。人間の全力疾走など赤子の手をひねるが如く容易く追いつき対象を死に至らす。魔生研究所の記録では時速120㎞で約五時間稼働した例もある。そして”進化”。程度の差はあるが、平均して二週間で化物は突然新たな生命体を吐き出す。それらは往々にして宿主と異なる性質を持ち、単なる自己複製では無いとされているが、高度な技術を誇る魔生研究所すらもこの現象を解明できていない。

迂闊だった。二人して声を張り上げ、あまつさえだだっ広い廊下にへたり込んだ状態。明らかに化け物にやられたファードの怪我。大方腕を犠牲に逃げ出したのだろう。二人がすべきは安いドラマではなく逃走であるのは明白だった。しかし時すでに遅し。

ぐおおぉぉおおぉぉぉ!!!

肉を欲す化物が哀れな男女を見つけるには十分な時間を、彼らは浪費した。
「っ!!」
全長8mはゆうにあるであろう化物の威圧に全身の筋肉が強張るサーシャ。反射的にその身体はファードの銃を手に取るが、震える手が構える銃口はカチャカチャと金属音を鳴らしながら明後日の方向を向き続けていた。袋小路に追い込まれたネズミの様に死の恐怖に全身を覆いつくされた彼女を一瞥した化物は、一瞬口角を上げるや否や二人目掛け跳躍をし、瞬きより速くサーシャを飲み込む。死の刹那、サーシャは。
「生きたい」
口を動かすことすら叶わなかった夢を。


「―――その願い。叶えてあげようか?」


「っは!」
目を醒ます。気が付けば、サーシャは見知らぬ場所に一人、乱れた服装もそのままに置かれていた。あり得ぬ状況に狼狽する。
「何処だ此処? というより、私は…あの時死んだはずでは?」
思考は巡り巡るが、やけに頭が重たく考えは纏まらない。一通り逡巡した頃、今いるこの空間を探るため生傷を携えた足でふらつきながら歩きだす。

「異様な空間だ。あらゆる所に木材が使われてる。しかもこれ、量産のために一枚一枚加工してるのか? 意味不明だし非合理だ。それに、恐らく会議室の役割を果たすだろう部屋も薄い窓一枚でしか隔ててないじゃないか。これじゃ話が駄々洩れだしそもそもこんなに沢山要らないだろ…」
サーシャは目の前の光景と自分の常識の乖離に違和感を覚えつついくつも並んだ会議室の一部屋に入り込む。
「成程、ここがスピーカーの立ち位置か。この白い棒は…うおっこれ書けるのか! あぁでも指に付いた…これ消えるよな? ってことは、こっちの黄色いのは―――」
「それそんなに珍しい?」

不意に声を掛けられ、サーシャは思わず仰け反る。そして声の主のほうを見やり、
「誰だ?」
威嚇しながら銃口を声の主に向ける。あの化物に比べれば人の等身をした女など恐怖の対象にはなり得なかった。
「おっと。おねーさんそれ撃てないよ? 腰にある方に入れ替えたら?」
銃口を向けられた見慣れない格好、クールビズな制服に羽の生えたズックの女はおどけた態度でサーシャに笑いかける。
「ハッタリか? 残念だがその手には―――」
「嘘だと思うなら撃てばいいじゃん。アタシは構わないよ~」
自分の思い通りにならない女に苛立ち、サーシャは引き金を引く。しかし女の言う通り、いくら引いても弾は発射されない。
「言ったでしょ? おねーさんミリタリー勉強した方が良いよ。口径合ってないじゃん」
にやけ顔を維持したまま、女はスピーチ台を挟んでサーシャの反対に立ちスピーチ台に肘を立てる。サーシャは彼女の掴みどころのなさに困惑しつつも手に持つ銃から弾を取り出しながら問いかける。

「聞きたいことは山ほどあるがまずあんた。あんたの素性を教えてくれ」
「私は姫川。ヒメって呼んでいーよ。高校生やってまーす」
「コーコー…?何だそれ、どんな職業だ?」
「アハ! 新鮮な反応ありがと! ん~職業ではないよ、大人見習いのような…なにか? 改めて考えると説明しずらいな」
「……? まあいい。それじゃあ――」
「おねーさん人に名を尋ねるなら自分も言うべきじゃないの?」
「………サーシャ」
「はいよくできました!」
「…此処は何処だ?私が知る建物とは何もかもが違うが」
「そりゃあそうでしょう。ここは日本、おねーさんが居たナントカって国とは常識から倫理観やら何やら何まで違うとこ。ソッチじゃそれはオシャレなの?」
「…………」
僅かに顔を赤らめ、サーシャは身に着ける白衣を着直す。
「…二ホン……すまない地理には明るくないんだ。その二ホン?は何処にあるんだ? あ? それならどうやって私を連れてきたんだ?」
「おねーさんパラレルワールドって知ってる? 日本てのはそのうちの一つ。要するに”異世界転生”ってこと」
聞きなれない言葉のワードサラダに小首を傾げ始めるサーシャ。しかし姫川はそんなサーシャに構わず続ける。
「多分アタシはおねーさんの案内人役。どこのラノベにも居るでしょそんなの。そいでもって…はぁ! うふふ、こういうのもアタシの仕事」
「……? あんた何をした?」
「んへぇ一々説明するの面倒くさいなぁ…端的に言うとチート能力あげちゃいます」
「チー―――
「だーーもう! めちゃすごパワーあげたの! それで、おねーさんにはアタシがあげたその力でやってほしいことが有ります」
「…はぁ」


「”この世界”の終末の原因を当ててください」



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