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《唯信:九坊院より言の葉だより》&《和讃の時間;Time of WASAN 》唯信◆2024(令和6)年3月号:九坊院より言の葉だより&和讃の時間自力聖道の菩提心【自力聖道の菩提心 こころもことばもおよばれず 常没流転の凡愚は いかでか発起せしむべき -正像末浄土和讃:三時讃-】

♦❖♦唯信:九坊院より言の葉だより♦❖♦​
💎和讃の時間;Time of WASAN 💎

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{碧き鳥よ 嘆く事なかれ…深き空は旅の途中の時空を包む}

~この逆謗の穢愚身、唯今ここに帰命尽十方無碍光如来~

南无阿彌陀佛
NAMOWAMIDABUCHI
NAMOAMIDABUTSU

『心に彌陀本願他力回向の慈慧の響きと平安を』

北條不可思
法名:釋難思



浄土真宗本願寺派

眞信山蓮向寺

當麻九坊院

{東京教区神奈川組:蓮向寺住職}  {安芸教区安芸南組:蓮向寺住職}
  北條大慈(法名:釋大慈)     北條不可思(法名:釋難思)

♦🔶♦唯信:九坊院より言の葉だより♦🔶♦
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♢和讃の時間;Time of WASAN ♢​

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このメッセージレターは、北條不可思が住職をつとめる
浄土真宗本願寺派 眞信山 蓮向寺【相模原市當麻九坊院】
有縁の方々にお送りいたしました通信です。

九坊院より言の葉だより♦

♦唯信:九坊院より言の葉だより&和讃の時間♦


♦♦♦唯信:九坊院より言の葉だより♦♦♦
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♢和讃の時間;Time of WASAN ♢​

2020-2024
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唯信◆2024(令和6)年 3月号


唯信◆2024(令和6)年3月号

謹みて 有縁の皆様におかれましてはお念仏ご相続の事と拝察申し上げます。年明け早々より心落ち着かぬ出来事が続きました。しかし、世は混乱混迷にあっても、気候の変動は激しく心身の調子が良かろうとも悪しかろうとも、阿弥陀さまのお慈悲の中で活かされて生きている命です。

暦も弥生の頃となり、今月は春彼岸をお迎えします。

慧眼見真 能度彼岸

(えげんけんしん のうどひがん)
「仏説無量寿経」下巻より

   *

自力聖道の菩提心               /じりきしょうどうのぼだいしん

こころもことばもおよばれず     /こころもことばもおよばれず

常没流転の凡愚は                 /じょうもつ るてんのぼんぐは

いかでか発起せしむべき     /いかでかほっきせしむべき

{正像末浄土和讃:三時讃}

【意訳】自力聖道門のさとりを求める心は、思いはかることも言葉に表すこともできない。常に迷いの海に沈み、生まれ変り死に変りし続ける愚かな凡夫に、どうしてそのような心をおこすことができるであろう。


自力(じりき)…

自分の力で善根を修め、さとりを開こうとすること。

聖道門(しょうどうもん)…

自力の修行によって、さとりを開くことをめざす教え。浄土門(じょうどもん)に対する語

凡夫(ぼんぶ)…

愚かなものの意。真理にくらく、煩悩に束縛されて、迷いの世界を輪廻するもの。      

(出典『三帖和讃』浄土真宗本願寺派編)

    *

 すでにご承知のとおり、親鸞聖人さまは九歳で出家得度され二十九歳で比叡山をおりられるまでの二十年間、自力聖道門での修行に身を尽くされておられました。私自身は浄土真宗本願寺派の他力浄土門の僧侶としての経験しかないので、自力聖道の求道の尊さや険しさを正確に理解することは出来ません。例えば、体験宿泊などのテレビ映像を眺めながら、一泊二日の体験の延長線上に本来の修行修学があるとは思えない程度の理解しかありません。しかしながら、聖道門における仏道に身をおきながら、その道にさとりに至る道を見いだせなかった親鸞さまの苦悩と苦痛さらには癒しようのない失意と絶望の一端を想像することは出来ます。


 この御和讃には、幼少の頃より仏縁を得て、我が身を捧げて修める行と学びに歳月を重ねて過ごして来たはずなのに、修行と学問で〝さとり〟に至る証(あかし)を完成できなかったご自身への深い悲しみが宿っていると思えてなりません。歩くべき道として示された道を歩けないと知る悲しみ。『誰』かではなく『私』のさとりへの道ではないと知る苦しみ。親鸞さまの語られる『凡夫』の鮮明な姿に思いが至ります。

 しかしながら、その深い悲しみ絶望は新たな扉を開く鍵となりました。不可思議なるお導きを得て法然聖人さまとの出遇いで本願他力廻向の念佛のみ教えに帰依されました。


 決して二者択一で選んだのではありません。自力と他力のいずれかが優れているという問題でもありません。自力の修行修学に遠く及ばない凡夫としての深い自認(自己認識)があったからこそ、「この私」のために絶対の救済、誓願成就の阿弥陀佛の無量無辺の智慧と慈悲の船に乗せて頂くという唯一無二の白道を歩かれました。『本願成就の願船:我にまかせよ必ずすくうの彌陀回向の名号法』こそが沈むほかない我が身を苦悩の此岸と西方浄土とを渡す阿弥陀如来さまの悲智の願船であると信知され、後の世に生まれた私たちにもその道をお示し下さっています。尊く有難い蓮に向かう道です。                               

合掌称佛

住職 北條不可思


難思の弘誓は難度海を度する大船

顕浄土真実教行証文類

総序より

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唯信:九坊院より言の葉だより

このメッセージレターは、北條不可思が住職をつとめる

浄土真宗本願寺派眞信山 蓮向寺

【相模原市当麻・九坊院】

有縁の方々にお送りいたしました通信です。

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❖和讃の時間;Time of WASAN❖

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『浄土和讃』より

善知識にあふことも(ぜんぢしきにあふことも)
をしふることもまたかたし(をしふることもまたかたし)

よくきくこともかたければ(よくきくこともかたければ)
信ずることもなほかたし(しんずることもなほかたし)

☛十方微塵世界の (じっぽうみじんせかいの)
念仏の衆生をみそなはし (ねんぶつのしゅじょうをみそなはし)

摂取してすてざれば (せっしゅしてすてざれば)
阿弥陀となづけたてまつる (あみだとなづけたてまつる)

諸仏の護念証誠は (しょぶつのごねんしょうじょうは)
悲願成就のゆゑなれば (ひがんじょうじゅのゆえなれば)

金剛心をえんひとは (こんごうしんをえんひとは)
弥陀の大恩報ずべし (みだだいおんほうずべし)

清風宝樹をふくときはい つつの音声いだしつつ
宮商和して自然なり 清浄勲を礼すべし

平等心をうるときを 一子地となづけたり
一子地は仏性なり 安養にいたりてさとるべし

若不生者のちかいゆゑ 信楽まことにときいたり
一念慶喜するひとは 往生かならずさだまりぬ

 ☛たとひ大千世界に みてらん火をもすぎゆきて
仏の御名をきくひとは ながく不退にかなふなり

 ☛自利利他円満して 帰命方便巧荘厳
こころもことばもたえたれば 不可思議尊を帰命せよ

一々のはなのなかよりは 三十六百千億の
光明てらしてほがらかに いたらぬところはさらになし

染香人このその身には 香気あるがごとくなり
これをすなはちなづけてぞ 香光荘厳ともうすなり

『高僧和讃』より

尽十方の無礙光は 無明のやみをてらしつつ
一念歓喜するひとを かならず滅度にいたらしむ

本師源信ねんごろに 一代仏教のそのなかに
念仏一門ひらきてぞ 濁世末代をしへける

真の知識にあふことは かたきがなかになほかたし
流転輪廻のきはなきは 疑情のさはりにしくぞなき

濁世の起悪造罪は 暴風駛雨にことならず
諸仏これらをあはれみて すすめて浄土に帰せしめり

五濁悪世の衆生の 選択本願信ずれば
不可称不可説不可思議の 功徳は行者の身にみてり

☛西路を指授せしかども 自障障他せしほどに
曠劫以来もいたづらに むなしくこそはすぎにけれ

☛弘誓のちからをかぶらずは いづれのときにか娑婆をいでん
 仏恩ふかくおもひつつ つねに弥陀を念ずべし

生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば
 弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける

罪障功徳の体となる こほりとみづのごとくにて
こほりおほきにみづおほし さはりおほきに徳おほし

名号思議ふの海水は 逆謗の屍骸もとどまらず
衆悪の万川帰きしぬれば 功徳のうしほに一味なり

男女貴賤ことごとく 弥陀の名号称するに
行住座臥もえらばれず 時処諸縁もさわりなし

本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし

久遠劫よりこの世よまで あはれみましますしるしには
仏智不思議につけしめて 善悪・浄穢もなかりけり

無礙光の利益より 威徳広大の信をえて
かならず煩悩のこほりとけ すなはち菩提のみづとなる

『正像末和讃』より


自力聖道の菩提心 こころもことばもおよばれず
常没流転の凡愚は いかでか発起せしむべき

往相回向の大慈より還相回向の大悲をう
如来の回向なかりせば浄土の菩提はいかがせん

『弥陀智眼の広海に 凡夫善悪の心水も
帰入しぬればすなはちに 大悲心とぞ転ずなる』

『弥陀の本願信ずべし  本願信ずる人はみな
摂取不捨の利益にて 無上覚をばさとるなり』

『不思議の仏智を信ずるを  報土の因としたまへり
信心の正因うることは  かたきがなかになほかたし』

如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も ほねを砕きても謝すべし

無明長夜の灯炬なり 智眼くらしとかなしむな
生死大海の船筏なり 罪障おもしとなげかざれ

末法五濁の有情の 行証かなはぬときなれば
釈迦の遺法ことごとく 竜宮にいりたまひにき

正像末の三時には 弥陀の本願ひろまれり
像季・末法のこの世には 諸善竜宮にいりたまふ

弥陀智願の広海に 凡夫善悪の心水も
帰入しぬればすなはちに 大悲心とぞ転ずなる

仏智うたがふつみふかし この心おもひしるならば

くゆるこころをむねとして 仏智の不思議をたのむべし

弥陀・観音・大勢至 大願のふねに乗じてぞ
生死のうみにうかみつつ 有情をよぼうてのせたまふ

弥陀大悲の誓願をふかく信ぜんひとはみな
ねてもさめてもへだてなく南無阿弥陀仏をとなふべし

他力の信心うるひとを うやまひおほきによろこべば
すなはちわが親友ぞと 教主世尊はほめたまふ

煩悩にまなこさへられて 摂取の光明みざれども
大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり