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山内翼選手のご家族にインタビュー(前編)

 ダブドリvol.16から始まった渡辺早織さんが選手のルーツに迫るコラム「あの日のあのね、」。第2回の今号では福島ファイヤーボンズ山内翼選手のルーツを探るべく山内選手のご実家に。父の隆さん、母の弘美さんが知る山内選手の素顔や芯の強さを伺いました。前編は大学進学までのお話です。最初はあまり乗り気じゃなかった山内選手のバスケ人生を変えた恩師とは……。

【息子にもバスケをしてほしかった。】

渡辺 福島ファイヤーボンズのホームページを拝見して、バスケを始めたきっかけがお父様だったと書かれていましたが、どういったきっかけがあったのですか?
 私は中学校の教員でバスケットボール部の顧問をやっていて、子供にもやらせたいという気持ちがあったんです。だから翼が小学校3年生になる頃に「バスケをやらないか?」と誘って、ミニバスの体験に連れて行きました。本人は野球も好きだったから、最初はそんなに乗り気ではなかったんですけど(笑)。

渡辺 バスケに対してお父様はかなり熱い思いがあるんですね。 
 バスケはずっとやってきたから、子供にもやってほしいなと思っていましたね。
弘美 あと私たちが共働きで1人でお留守番になってしまうので、出来るだけ皆と一緒にいる時間が多い方がいいなと思ってバスケをやらせたかったんです。
渡辺 最初は気持ち的に少し消極的なところからバスケ人生をスタートしたんですね。
 そうでしたね。地元にミニバスがあるし、「やってみないか?」って何回か誘ったんですけど、「自分で決めるから」って。人に決められるのが嫌な子でした(笑)。
渡辺 ハハハハハ。ご両親は見守るタイプですか? それとも言うタイプですか?
 見守るタイプですね。ただ、「1回ぐらい体験に行ってみようよ」ってミニバスに連れて行ったら結構ハマったんです。
渡辺 その時は心の中ではちょっと嬉しい気持ちもありました?
 ありましたね(笑)。
渡辺 山内選手が小さい時は一緒に遊んだり、練習に付き合ったりされていたんですか?
 ちょっとドリブルをついたり、道路で一緒に練習したり、一緒にNBAを観たりはしていましたが、基本的に指導はミニバスに任せていましたね。
渡辺 ちなみに今、背番号を11番にしてるのは何か意味があるんですか?
弘美 1から頑張るっていうことと、何でも1番になりたいっていう意味で11をつけたっていうのは聞いています。
渡辺 素敵ですね。今日も試合後に個人練習をされているとおっしゃっていましたが、山内選手は結構負けず嫌いですか?
 そうですね、あまり表に出てこないタイプですが、やっぱり負けず嫌いですね。
弘美 自分で決めたことを貫くタイプですね。

【東海大じゃないならバスケはやらない】


 翼が中学校2年か3年の時に陸川さん(東海大学男子バスケットボール部・陸川章監督)のクリニックが福島であって、参加したんです。その時に本人が陸川さんは素晴らしい指導者だと感じたみたいで、大学進学を決める時には「日大には行かない、東海大じゃないと行かない」って言われたことがありました(笑)。私たちは、通ってた日大東北高校(日大東北高等学校)が付属高校だったからそのまま日大にいくのかと思っていたんですけど(笑)。
渡辺 ハハハハハ。その時はどう思われましたか?
 「何言ってるんだ?」と思いましたね(笑)。東海大は全国のトップ・オブ・トップの高校生が行く大学で、陸川さんが直接声をかけてスポーツ推薦で上がってくるから、仮に入れたとしてもプレーできるのかという不安がありました。だから、「いくらなんでもそれはちょっと難しいんじゃないの?」という話を何度もしました。
渡辺 お父様は下手に期待をさせるよりも現実を伝えたんですね。それに対して山内選手は何とおっしゃっていましたか?
 普段はあまり表情や態度に出さないんですけど、その時は苛立って「俺、東海大じゃないならバスケやらないし」って言っていました。
渡辺 そのぐらい強い思いだったんですね。
 そうですね。
弘美 私は特に反対せずに、本人がやりたいのならやってみるのも良いのかなと思っていました。
 実は毎年、東海大が山形の蔵王(山形県山形市蔵王)で合宿していたので、翼が高校3年の時にプレーを見てもらいに連れて行って、合宿に半日だけ参加させてもらったことがあったんです。そこで陸川さんにプレーを見てもらったら「いいんじゃないか」と言ってくださって。
渡辺 すごい。その合宿が大学進学のきっかけになっているんですね。
 そうかもしれませんね。でもそれは東海大学のAチーム、Bチームに所属出来るという意味ではなくて、東海大学のバスケ部に入れても大丈夫じゃないか、ということだったんだと思います。
渡辺 お父様は結構現実的に考えられてたんですね。お母様はどうでしたか?
弘美 スポーツ選手になるとは思っていなかったんですが、もしなれたとしてもずっとできるものではないので、やっぱり安定した職業に就いて欲しくて教員免許は取って欲しいなと思っていました。
渡辺 おふたりとも結構現実的なお考えだったんですね。

<撮影:大柴壮平>

(後編につづく)

📖ダブドリVol.17📖
本インタビューをもとに渡辺早織さんが執筆したコラム
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