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『ダブドリ Vol.15』インタビュー07 長島蓮(熊本ヴォルターズ)

2022年11月9日刊行の『ダブドリ Vol.15』(株式会社ダブドリ)より、長島蓮選手のインタビュー冒頭を無料で公開します。

どんな時もきっと誰かが見てくれている。そんなことは本当にある。長島蓮のバスケ人生のターニングポイントは間違いなく一人の若き新米ヘッドコーチとの出会いだった。長島蓮、熊本ヴォルターズ移籍までのストーリーを、溢れ出る想いを抑えながら、さいたまブロンコスヘッドコーチの泉秀岳が聞いていく。(取材日:8月13日)

「プロってやばいな」って思いました。

 まず何から聞けばいいかな。経歴から聞いていきましょうか。
長島 父がサッカーをやっていたので、小学校3年生くらいまではサッカーをしていて、バスケは小学校4年生から始めました。バスケを始めたきっかけは友達と遊んでいた時に、年配の女性の方に、「アメをあげるからバスケやらない?」って話しかけられて……。
 危ないおばちゃんじゃん(笑)。
長島 その人がミニバスのコーチだったんですけど、それでバスケをやりに体育館に行ってみて、気づいたらバスケを始めていました。その後は地元の中学に行って、飛龍高校に進んで、大学で白鴎に行きました。
 蓮の転機の一つが大学なのかなって思っていたんだけど。
長島 そうですね。大学は全額免除の推薦とかではなくて、自分で売り込んだんです。落合嘉郎さん(当時白鴎大学監督・現仙台89ERSアシスタントコーチ)が声をかけてくれた時があって、あとから落合さんに自分から話をしに行って、白鴎に入学することができました。最初、誰に言われたのか忘れましたけど、「Aチームには入れないよ」って言われたんです。その時は同学年にバスケ部が30人ぐらいはいたんですかね。そこから10人ぐらいしかAチームには入れない。だけど、入学して1週間ぐらいは全員がAチームで練習するんです。それで、最後に5対5でテストみたいなことをした時に結構活躍できて、Aチームに入ることができました。
 1年生で?
長島 そうです。そこで落合さんに僕のプレーを評価してもらった感じですね。3年生の時に1回、Bチームに落ちたんですけど……。
 嘉郎さんに落とされたの?
長島 落とされました(笑)。
 ほんとかよ(笑)!
長島・泉 ハハハハハ。
長島 4年生でAチームに戻りました。
 そこからスタメンになって、宇都宮ブレックス(当時栃木ブレックス)の特別指定選手まで行くんだよね。最初にブレックスに行った時はどうでした?
長島 あれは衝撃的でした。舐めていたわけではないですけど、やっぱり調子に乗っていたんでしょうね。関東の大学1部でスタメンですし、通用するだろうって思っていたんですけど、全然違いました。何も通用しなくて、「プロってやばいな」って思いました。
 そこから、当時B2の群馬クレインサンダーズに移ります。その時の群馬もB2上位で強かったですよね?
長島 そうですね。当時はヘッドコーチが平岡富士貴さん(現新潟アルビレックスBBヘッドコーチ)で厳しい方でした。ブレックスとは違う厳しさを群馬では学ばせてもらいました(笑)。
長島・泉 ハハハハハ。
長島 群馬では試合も出たり、出なかったりでしたね。
 小淵雅さん(引退)がいて、樋口真斗選手(トライフープ岡山)がいてだもんね。
長島 そうですね。本当に群馬時代は平岡さんに怒られてばかりでした。今は厳しさを教えてもらって、感謝していますけど、当時はめちゃくちゃ怖かったです(笑)。ぶっちゃけ「このやろう」って思っている時もありました。(笑)。
一同 ハハハハハ。
 うちの昨シーズンの日本人のスタメンは蓮と佐藤文哉、新川敬大(現ベルテックス静岡)の全員が群馬でのプレー経験があったからね。コーチ目線で言うと厳しいところを経験していると、やっぱり自主練とかの取り組みも違う。この3人は何も言わなくても自ら取り組めるところはこちらとしてもありがたかったです。そういう意味で、平岡さんに教わっている選手は信頼がありますよね。
長島 自主性とかは群馬でめちゃめちゃ学ばせてもらいました。当たり前ですけど、プロは勝たないといけない。個人としても活躍しないとダメな世界なので、そういう考え方、取り組み方は本当にたくさん学ばせてもらいました。

「こんな俺を欲しいっていうチームがあるんだ」

 群馬との契約が終わって、蓮にとっては地獄の日々が始まるんだよね?
長島 ハハハ。そうですね。群馬との契約が終わった後はチームが決まらなくて、B3の金沢武士団のトライアウトを受けて、契約させてもらいました。
宮本 素朴な疑問なんですけど、どうしてチームが決まらなかったんですか?
長島 群馬でプレータイムをもらえてなかったから、本当にどこからもオファーがなかったんです。
 その時の心境は?
長島 ブレックスに入って、群馬で試合に出られなくて、オファーがなくて気持ちはどんどん下がっていましたね。「当たり前かー」って自分でも思ってはいました。活躍しないとどこもほしいとは思わないだろうし……。
 そのシーズン(2020-21)の開幕戦が僕らは金沢だったんです。その試合で結構蓮にやられて、北川裕崇GMに、「来年、絶対に長島蓮が欲しい」って話しましたね。
宮本 コーチとしては長島選手のどの辺りを評価していたんですか?
 やっぱりアタックできるところですね。蓮はレイアップで得点が取れるんです。外国籍がいてもこの身長でレイアップまでいけるのは貴重だし、こういうタイプは今のバスケ界に少ないので、一緒にやれたら面白いだろうなって思っていました。金沢の時はどんな気持ちだったの? 当時のB3で下位争いをするのは金沢かさいたまだったけど(笑)。
長島 正直に言えば、ここでも試合に出れないかって感じでした(笑)。
一同 ハハハハハ。
長島 人のせいにするとかではなくて、そういう感じかって。
 何が足りなかった?
長島 そこまで考えることもできていなかったですね。自分は何をやってもダメなんだってめっちゃネガティブになっていました。
宮本 そんな中、長島蓮を獲りたいと?
 そうなんですよ!
宮本 当時の話は、ダブドリ内の泉コーチのコラム「泉秀岳の新米コーチ奮戦記」でも書いてくれたじゃないですか? 泉さん側の話は読んでくれた人も多いと思うので、長島選手側の話を聞いてみたいですね。
長島 当時、一番最初のオファーがさいたまブロンコスでした。「こんな俺を欲しいっていうチームがあるんだ」って感じでしたね。めっちゃ早い段階でオファーをくれましたよね?
 3月くらいかな? 本当は1月にしたかったくらいですよ。2ヶ月間、思いをしまっておいて、「今じゃない。対戦が終わってからにしよう」と。
一同 ハハハハハ。
長島 その後はちょくちょく他のB3のチームからも話が来たりしていたんです。でも、こんなに早い時期からオファーをいただいたので、ブロンコスにしようって思いました。北川GMにも群馬時代にお世話になっていたので。
宮本 長文のラインを送ったんですよね? そこには何を書いたんですか?
 「俺は蓮をメインで使う」って。1回体調不良で休んだ時がありましたけど、それ以外は全試合スタメンで使いました。僕自身も蓮がどんなプレーをするのかを見てみたかった。ラッキーだったのは佐藤文哉が来てくれたことですね。彼がいなかったら、蓮の良さを出しきれなかったかもしれないです。文哉がいるだけでアシストもつくし、役割をはっきりできたので、当時の2人にとっては大きかったと思います。僕はとにかく蓮の可能性に賭けてみたかったんです。
宮本 ヘッドコーチからの熱い思いが溢れてますけど、今日はインタビュアーですからね(笑)。
一同 ハハハハハ。
 蓮は当時どうだった(笑)?
長島 そうですね。いきなり北川GMがラインを作って送って来たんです。そこに泉さんからメッセージが送られてきて、「メインで使いたい」って書いてあったので、びっくりしました。もうメインって決まってるんだって。
一同 ハハハハハ。
長島 実際、さいたまでプレーをして、30分くらい出させてもらいましたけど、そんなにプレーしたのは大学以来でした。さいたまに移籍して、ガードとして学びながら、成長させてもらいました。そして、B2の熊本に移籍させてもらって、めちゃくちゃ感謝しています。
 だそうです。
宮本 なんだかんだ嬉しそうな顔してますね(笑)。
一同 ハハハハハ。
 改めて言われると嬉しいですけど、恥ずかしいですね。

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