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それでも夢を追いかける ―小林良 挑戦記#1

ただ真っ直ぐに自身の夢を追いかける者がいる。多くがその旅路の途中で「諦める」という選択をしても、彼の辞書にその文字はない。スラムダンク奨学金11期生、小林良。夢はNBA選手。淡々と語る言葉の中に感じる、誰よりも熱い思いをご覧あれ。(取材日:6月14日)

アメリカに導いた恩師の言葉

宮本 スラムダンク奨学金11期生としてアメリカに渡りましたが、いつからアメリカに行きたいと思っていたんですか?
小林 小学生の時に、白澤卓さん(横浜ビー・コルセアーズU18HC)と出会って、中学1年の時に「一緒に夢を見ないか?」と言ってもらって、その時にアメリカに行くこと、NBAを目指すことを決めました。高校を選ぶときも、アメリカに行くことを考えると白澤さんに継続してバスケを教えてもらえる環境があることが1番大事だったので、地元神奈川の桐光学園を選択しました。「卒業後の進路はアメリカで決めています」と学校側にも最初に伝えましたね。
宮本 それはスラムダンク奨学金に受からなくてもアメリカに行くことは決めていたということですか?
小林 「決めていた」というよりも「行きたかった」が正しいですね。正直、どうやって行くのかは全然考えてなかったです。
宮本 白澤さんに「一緒に夢を見ないか?」と言われたときに、その話に乗ろうと思った理由はなんですか? 
小林 白澤さんが昔からやっているシーガルスというクラブチームがあって、僕の兄が加入したんです。当時僕は小学校の低学年か中学年くらいで、ステージの上で親と遊びながら白澤さんのジャンパーを勝手に着て、「これもらう」とか言っていた悪ガキだったんですけど、白澤さんには本当によくしてもらっていました。その後に僕も入れてもらって、他のレベルの高いバスケにも混ぜてもらっていました。「一緒に夢を見ないか?」と言われたのが伊勢原のマックなんですけど、呼ばれた時は「なにか悪いことしたかな」と思ったんです(笑)。そしたらワクワクする話で、やりたいと思ったから「やりたい」と言っただけで、当時はどんなことが必要だとか、お金がどのくらいかかるかとかも考えていませんでした。
宮本 なるほど。時期的にもすごくいいタイミングというか、高校に行ってからだと考え方も変わって、その後のキャリアも変わっていたかもしれないですよね。
小林 はい。兄も桐光学園で卒業後は比較的いい進学先に行く人が多い学校なので、僕も兄のようにいい大学に入って、いい企業に入るという道を目指していたかもしれません。
宮本 アメリカに行くにあたってどんな準備をしていたんですか?
小林 夏は白澤さんと毎日マンツーマンで練習をさせてもらって、大人の方を呼んでもらって1対1をしたり、それこそ5対5に入れてもらったりしました。あとはトレーナーさんから柔軟や体幹、ダイナミックストレッチなど基本的なコンディショニングを教えてもらって、アメリカに行った時に1人で自分の身体を管理できるように準備していました。
宮本 なるほど。
小林 当時、「お前が寝ている間にも世界のどこかで、お前のライバルになるやつが死に物狂いで練習しているんだぞ」と言われていて、「確かにな」と思いました。だから1日3部練、4部練は当たり前でしたね。中学生だからできたことですけど(笑)。
宮本 今同じことをやれって言われてもね(笑)。
小林 厳しいですね(笑)。白澤さんは僕にかなりの時間をかけてくれていました。家族と同じくらい一緒にいたので、本当に感謝しかないです。

自身の武器、シュートへのこだわりと自信

宮本 スラムダンク奨学金は最後に現地でのトライアウトがありますが、印象に残っていることはありますか?
小林 僕はトライアウトや代表選考などを割と経験しているんですが、「あ、受かるだろうな」という感覚になるときがあるんです。
宮本 それはトライアウトでの出来が良かったということ?
小林 そうではなく、あまり理解されないんですがその場所の空気を吸って、「あ、受かるな」と感じるんです。セントトーマスモアに行った時は「あ、俺はここに来るんだろうな」と感じました。
宮本 なんかかっこいいね。
小林 当時の僕はそんなに英語ができなかったんですけど、自分から仲間やコーチに話を聞きに行きました。「どんどん攻めていい」と言われたので、思い切り攻めたんです。後々、酒井達晶さん(スラムダンク奨学金9期生/群馬クレインサンダーズAC)や鍵冨太雅さん(スラムダンク奨学金10期生/茨城ロボッツ)から聞いた話だと「小林だけ目が違った」と言われていたみたいです。
宮本 プレーの手応えはどうだったんですか?
小林 「準備してきてよかった」という感じでした。対峙する選手たちの身体の強さも14歳の時に白澤さんとアメリカに行って高校生や大学生のプレーを実際に見ていたので、イメージを持ちながら日本で練習をしていました。そこはイメージ通りというか、予想の範囲内でした。
宮本 トライアウトに合格して渡米しますが、セントトーマスモアではどんな過ごし方をしていたんですか?
小林 必ず毎日朝練に行っていました。それは達晶さんと太雅さんもやっていました。どんなに疲れていても、遠征から夜遅くに帰ってきても、朝5時半の体育館開きにはいました。
宮本 すごい。
小林 それは絶対にやるようにしていましたね。コーチへのアピールもありますし、バスケットボールをするために、夢を掴むためにアメリカにきたので、そのぐらいはしなきゃダメだろうという気持ちは強かったです。僕は身体能力が高いタイプではないので、周りの外国人と同じレベル、もしくは勝つにはこれぐらいやらないといけないと今も思っています。やれることはすべてやる感じでしたね。
宮本 アメリカに行けば「なんだ、この日本人」という目で見られることもあったと思います。
小林 そうですね。そこは当然だと思っていて、逆に僕はそこがアメリカのいいところだと思っています。結果を出せば、手のひらを返してくれるんです。最初はやっぱりボールは来ないし、「何だ、あいつ」という感じで試合も全然出してもらえない。でも、出してもらった時にボールを要求して、結果さえ出せば「お前、次入れよ」と言ってくれて、どんどんボールも回ってくるようになります。そこがアメリカのいいところだと思っていますし、好きなところですね。
宮本 そのお話も準備をし続けてきたことに繋がると思います。最初のショットを決め切れるかなどをイメージして準備していたということですもんね。
小林 そうですね。ある意味、スキルよりもマインドセットの部分が大きいと思います。あとは白澤さんが「平均的なプレイヤーよりも何かがずば抜けたプレイヤーの方がコーチとしては欲しいんだよ」ということを昔からずっと言ってくれていました。僕にとってはずば抜けたものはシュートであって、それをとにかく磨いたほういい。何かが欠けていても他の何かがが突出していれば、絶対に見てくれるコーチがいるからと。もちろん自分の弱みを補うことはことは大前提になりますけど。
宮本 小林良にとってシュートへのこだわりは特別だと思うんですけど、逆にシュートに関して自信がなくなったときとかはあるんですか?
小林 ないです。
宮本 それだけの準備をしてきたし、それだけの努力をしてきたと?
小林 してきました。もちろん入らない日もありますし、ずっとフェイスガードで守られて打たせてもらえないこともあります。でも、それだけ相手が脅威に感じてくれている証拠だと思うし、アメリカでも僕の強みが評価されていることは嬉しいですね。
宮本 実際に今シーズンもフェイスガードでマークされた試合がありましたよね。
小林 シュートは数を打った選手が強いと思うんです。もちろんセンスもあるのかもしれないですけど、とにかく数を打って、シュート練習をした選手が1番シュートを決められるようになる。練習していない選手が「シュートが入んないんだよね」っていうのはちょっと違いますよね。だから僕はとにかく数を打つことが大事だと思いますし、自分もそれだけ打ってきた自負があるので、その自信が揺らぐことはないですね。

恩師・白澤卓コーチと 写真提供=小林良

#2、#3につづく

取材・文=宮本將廣

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